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執念とくどさの果ての、比類なき爽快感

「フィツカラルド」について


山形浩生



 フィツカラルド。本名ブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルド。かれ自身はさておき、その(破綻した無謀な)トランス・アンデス鉄道は、今世紀初頭のアマゾンの天然ゴムバブル業界の一大語りぐさだった。資金的にも、技術的にも無謀のきわみ。いまもイキトスからアンデス奥地に入ると、当時の駅の跡が残っている。オペラに情熱を傾けていたのは事実らしく、将来建てるはずのオペラハウスの図面をいっぱい引いていたのが残されているという。

 もともとこの映画は、ジェイソン・ロバーズとミック・ジャガーの共同主演だったのである。ところが撮影が半ばで、この主演二人が病気とコンサートツアーのために役をおり、それで急遽キンスキーが呼ばれて、この二人の役を一人に集約するかたちで脚本が書きなおされて、撮影はほぼゼロから再開。

 が、そのキンスキーの撮影中のキXXイぶりは、「キンスキー:わが最愛の敵」を観れば明らかだろう。さらに撮影途中で、ロケ地のエクアドルとペルー国境付近で両国が国境紛争を開始。映画のセットが軍によって焼き討ち。さらには60年ぶりの渇水で、肝心の船が座礁、何ヶ月も撮影はストップ。やっと雨が降ったと思ったら、こんどは歴史的な大雨。

 それでもヘルツォークは、この映画を撮り続ける。

 「長い。なぜこんな長いの。画面がしつこいし。くどいし」といっしょに観ていた知り合いがいう。ぼくはむしろヘルツォーク映画にしてはてきぱき話がすすむ映画だと思うのだけれど、それはまあ比較の問題だな。「なんだかドキュメンタリーみたい」そう、たぶんそういうことなんだと思う。ドキュメンタリー的なしつこさ、くどさ。それはヘルツォーク映画のほとんどすべてに共通することなんだけれど、「フィツカラルド」はそれが信じがたいトラブルの連続に逢いながらも撮影を強行したヘルツォークのしつこさとも同期している。

 そのしつこさは、最初のオペラシーンだけでなく、アマゾンをゆっくり遡航する船の撮り方、斜面を覆い尽くして働く原住民たちの描き方にまで行き渡っている。氷を酋長に渡したとき、それまで斜面一面で忙しく働いていた無数の原住民たちが一瞬のうちに手を止めて静まりかえり、同時にこちらに向き直るときの、あの総毛立つ感じ。

 そしてあの船が本当に山をのぼってゆく驚異の場面。CGじゃないぞ、ミニチュアでもないぞ。ヘルツォークは、船を本気で山にのぼらせている(ミニチュアを使っているのは、たぶんあのポンゴの瀬に船がつっこむ場面だけだな)。映画は、それをしつこくしつこく描き出す。はじける甲板。滑車の放熱のために、水をいっしょうけんめいかける船長。きしんでゆがむ船。映画の後半は、ほとんどこの工学的な記録がくどく続けられている。そしてそのくどさは、あの主人公フィツカラルドのしつこさ、執念深さとも見事に一致している。

 正直いって、船の山越えだけでヘルツォークとしてはやりたいことは終わっていたはず。最後の水上オペラは、なしでフィツカラルドたちをポンゴの瀬に沈めておしまいにしちゃってもよかったはずだ。ほかの映画でなら、そうしていたと思うんだ。でもこの映画でヘルツォークは、フィツカラルド/自分に悠然と胸を張らせてみせたかったんだろう。この映画は、ヘルツォークには珍しく文句なしの大団円だ。事業は見事に失敗しても、おれはこうしてやりたいことをやった。本当は、オペラハウスを建てるつもりだった。本当は「フィツカラルド」はかなりちがう映画になるはずだった。でも見ろ。おれはオペラ/映画をやるといった。どうだ、こうして立派にできたじゃないか。あの場面では、みんなとってもうれしそうだ。観ているぼくたちも、笑って拍手するしかない。いやよくやった。すごい。執念とくどさの果ての、比類ない爽快感。

 実はそのフィツカラルドが本当に、あんな水上オペラをやったのかどうかは、記録がないようだ。それを言うなら、あの山越えも逸話の域を出ない。でもその後のフィツカラルドについては、若干記録がある。イキトスは映画の中でも指摘されたように天然ゴムのおかげで急速に発展し、フィツカラルドの製氷工場はかなり成功した。地元の成金を集めてオペラハウスも着工、落成がまちきれずに、ちょうどあの映画のようにマナウスにきていた楽団を呼んで、完成途上のオペラハウスで公演させたようだ。そのときのフィツカラルドは、たぶん本当にあの映画のキンスキーのように(そしてこの映画ができたときのヘルツォークのように、そして見終えたぼくたちのように)、どこまでも晴れ晴れと誇らしげだったのだろう。

 その後、合成ゴムの完成により、天然ゴム産業は壊滅。イキトスもマナウスも、一気に没落へと向かう。オペラハウスは資金ショートで未完成のまま放棄され、フィツカラルドはまたもや全財産を失う。無一文となったかれは、蓄音機とカルーソーのレコードを抱えて、あのアマゾンの奥地へと消えた。ちなみに「悲しき熱帯」などでこの地方の調査を行っているレヴィ=ストロースによると、ヒバロ族にはジャングルの中でどこからともなくわき上がる歌声の神話があるという。そしてその歌声があがるたびに、地の呪いは少しずつとかれるのだという。

注:本稿には一部ウソがまじっているので、鵜呑みにしたり、訴えたりしてはいけないよ。

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