要約: おたくも、その他の人びとも、サブカル的な立場から言うだけ番長になるのをやめて、現実的な社会との関わりを考えねばならない。浅羽『天使の王国』はその必要性を強く訴えかける好著だ。
本書は湾岸戦争の新聞の投書欄を読んだときの居心地の悪さから始まっている。「さあみんな、戦争反対を訴えましょう!」と叫ぶおばさんたち。「何の社会的影響を持たなくとも、『反対』と叫ぶことが大切なのだ」と一人で悦にいる物書きたち。
それなりに良心的なのはわかるから、むげに否定し去るのも悪いような気はしていたけれど、一方で何かちがう気もする。でも、何がちがうのか、はっきりと示せないもどかしさは常につきまとっていた。
「天使の王国」は、「何がちがうのか」をはっきりと断言してくれる。要するに、投書欄でいくら騒いでも、物書きがいくら声明を出しても、そんなものは現実の戦争の動向に何ら影響を与えない、だからそれは無意味なのだ。
イラクがクウェートに侵攻したのは、フセインが悪魔だからじゃない。非常に現実的な利害の計算んも結果として、軍事的な行動が選択されたのだ。同じくアメリカにしても、平和のためだの正義のためだので動いたわけじゃない。だから、日本がどう動くにしても、それは決して「国際秩序への貢献」だの「人道的見地からの協力」ではなく、非常にエゴイスティックな利害から出発するものでなければ、しょせんは共産党的なお題目に終わってしまう。われわれも戦争という事態に対して何かをしたいなら、「無意味でもいいから」と何かを言って自己満足にひたるより、日本という国のエゴイスティックな利害に訴えるような形での運動を組織すること、それができないなら、それ相応の力を持つため、何らかの努力をすること、それだけが意味のある行動なのだ。
開き直りと取られるかもしれない。しかし、これは正しい開き直りだし、現実に人が生きるために当然持つべき常識というものだ。その常識が、いまあらゆる場面で失われつつある。「天使の王国」が扱うのは、それを物語るさまざまな事例だ。投書欄しかり、文学者の反戦声明しかり、「おたく」しかり、「ニューアカデミズム」の流行しかり。このすべてに共通している、どこかに人並の苦労を回避して楽にゴールに到達するためのノウハウがあるのではないか、という甘い考えを浅羽はくさす。結論としてはつまらないかもしれない。しかし、われわれだれしも天才ではないのだから、地道な努力をつみかさねるしか道はない。そうして現実に対して何らかの影響力を獲得するしかないのだ。
学校も、社会も、この程度の「常識」を教える機能さえ喪失している、と浅羽は語る。だからまず、それを自分で獲得するための努力をわれわれは始めなくてはならない、と。こういう物言いが新鮮に感じられること自体、浅羽の論の正しさを示している。こうした正常な現実感覚の回復のためにも、われわれはこの本を読む必要がある。
その先は、ぼくの作業であり、この本を読むあなたの作業だ。
******************************
前略
梅沢葉子さんよりお話のありました、「源内」誌用の書評をお届いたします。事前に一度、ご挨拶しておこうとは思っておりましたが、年末でなにかとあわただしく、こんな時期になってしまいました。
条件としたしましては;
というふうにうかがっておりますが、これでよろしいのでしょうか。これ以外に、書評としてのタイトルは必要か(今回は仮につけておきました)、特に焦点をあてるべきジャンルやテーマ、書評対象の選択基準(たとえば絶対に新刊書である必要はあるのか)、書評内容についての制約(こきおろしてもかまわないか)などございましたら、ご連絡ください。また、原稿料についてお話をうかがっておりませんので、お教え願えればと存じます。
雑誌の性格やターゲット層などについても、いまはまだよくわかっておりません。こういった点についても、今後ご教示いただけたら、と思います。連絡などは下にお願いいたします。
山形 浩生
〒140 東京都 品川区 東大井
末筆ながら、よいお年をお迎えください。
草々
山形浩生