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「未来の伊藤計画:人類拡張計画の全貌」(2015.03)

蘇る伊藤計画

山形浩生

2016年冬。きみたちは伊藤計画の新作を目にすることになったはずだ。それも 超大作、いまどき時代錯誤な三部作。その新作のテーマは、進化と文明制度。民 主主義、暴力の抑制、理性、知力――それらは実はすべて、生物学的な基盤を持っ ている。そして人類の間でもその基盤の発達度合いはちがっている。人類は単一 の種ではない。文明と進化は相互作用し、亜種と言えるほどの差を生み出してい る。人種概念は復権し、一般レベルでは常識化する一方で、公式には民主主義と 平等理念の偽善からそれを公式に口にすることが許されない――そんな世界が新作 の舞台となったはずだ。

 三部作の第一作で、その遺伝子的な差異が最も明瞭にあらわれるのは宗教だっ た。これは『虐殺器官』でもある程度は提示されていた。でも2014-15年のイス ラム国は、伊藤の想像力を著しく刺激するはずだ。異なる宗教は、実は異なる遺 伝子の表現形でもある――民主主義や資本主義の根拠となる様々な性質――返報性、 包括利他性――はすべて遺伝性であり、五百年程度の淘汰を経て大きく変わる。そ れがもっと大がかりな形で噴出したら?

 おそらく伊藤がネタにしたのは、山形浩生訳で2015年に刊行されるニコラス・ ウェイド『困った遺産』だろう。この本の観点はズック『私たちは今でも進化し ているのか?』(文藝春秋)と類似だ。しかしズックの関心が、石器時代ダイ エットや原始人の生活習慣再現ブームに対する批判であるのに対し、ウェイドが 提示した問題はもっと深いものだった。伊藤がその異様な――そして困った――含意 を見すごすはずもない。

 そして第2部に入り、伊藤はその含意をさらに進める。この第二作はかのサ ミュエル・ディレーニの名作『エンパイア・スター』の完全なパロディ、または リライトとなっていた。伊藤が注目したのはシンプレックス、コンプレックス、 マルチプレックス。『エンパイアスター』に登場する、文明レベルでのランク付 けと差別の理論だ。ディレーニは黒人作家であり『エンパイア・スター』も「ル ル」という奴隷生物の解放メッセージをめぐる物語だ。だからこの作品が持つ、 奴隷制などよりはるかに大きな差別性に気がつく人はほとんどいない。しかしこ の作品では「シンプレックス」文明は(同じ人間なのに!)複雑な概念を理解す るだけの能力がなく、単純な原材料生産だけに従事し、そしてある種の高度な文 物がそこに導入されるとそのみすぼらしい文明社会構造が破壊されてしまうた め、厳しい規制下におかれている。それはもちろん、ディレーニとしては単なる 社会の階層構造と格差の比喩のつもりだろう。しかしその描かれかたは、父権的 な上から目線の文明格差であり、そして愚かな文明は厳しく統制しなくてはいけ ないという価値観となっている。しかもそれは統制ですらない。バカな連中の社 会を「保護」する、というのがその口実だ。

 これがいかに危険な発想であるか、それを平然と肯定する『エンパイアス ター』がいかに困った作品かについて、2015年時点で気がついている人物はほと んどいない。だが……イスラム圏の混乱を見れば容易にわかる通り、文明には明ら かに発達段階があり、自力でその段階を経ない限り、新しい概念(例:民主主 義)や文物(例:銃やインターネット)の導入はその文明自体を破壊しかねず、 それどころかその周辺地域すら脅かしかねない。この議論は実は正鵠を射ているのだ。 シンプレックス文明圏から密航により脱出し、単純なマニュアル化活動しかでき ないコンプレックス文明、そして多様性と自由を謳歌するマルチプレックス文明 へと渡ろうとする少年を描いた『エンパイア・スター』の物語を、伊藤は現代ア フリカのボート難民の物語として、絶望と呪詛に満ちた物語として語り直す。シ ンプレックスを脱出できない文明はどうすればいいのか? その中のコンプレッ クスたちはどうあるべきか?

 『エンパイア・スター』の主人公は、片目に宝石 型の異星人を押し込むことでマルチプレックス知性へと成長する。しかしこの物 語での少年が目に押し込まれるものは…… これまで比較的残酷な場面を描きつつ もドライな印象のあった伊藤作品は、ここで異様なまでの陰惨さに到達する。そ して遺伝的な宗教と文明の根拠の物語が、苦々しいアイロニーを持って語られる その物語は、日本の固定化された格差問題とも絡んで意外なベストセラーとなる 一方で、アメリカに次第に浸透しはじめた伊藤計劃作品が大きなバッシングにあ うきっかけともなり、そのとばっちりでディレーニは半世紀も前の自作につい て、差別的な意図がないことについて声明を出す羽目になる(もっとも多くの人 が驚いたのは、すでに忘れ去られていたディレーニが存命中であったことのほう だったのだが)。これは訴訟沙汰にまで発展したが、当分決着はつかない。

 だが伊藤は訴訟にひるむこともなく第3部を発表する。ここで文明の階層と遺 伝の関わりは、動物権利問題と絡んでさらなるひねりを見せる。遺伝子がちがう のであれば容赦なく殺せ、それはすでに人間ではない別種のケダモノである、と 主張する好戦派は、自分たちを自然淘汰の尖兵にすぎず、自然の業を代行してい るだけなのだと唱えて自分たちの正当性を主張する。これに対し、遺伝子がち がっても同じ人権があると主張する人々は、やがて過激動物権利主張と接続せざ るを得なくなる。これまた山形他訳ハーツォグ『ぼくらはそれでも肉を食う』で 提示されていた、ベジタリアンと肉食、ペットと実験動物、人類優先と動物愛護 との奇妙な関係が、ここでは全面的な小説のテーマとして活用されることになっ た。主人公の少年とその犬、その仲間にして敵でもあるウイグル系少女とその 馬、そしてその二人の出自にかかわり、経済格差による淘汰圧調整を通じた人類 進化操作を目論む謎の集団を代弁する男――

 むろん、多くの読者はこのあまりに複雑すぎる話を理解することはないだろ う。ほとんどの読者は困惑して沈黙、口を開く読者の多くも、それが無駄に衒学 的で、想定が荒唐無稽すぎる、もう伊藤計画もヤキがまわったと罵るばかり。そ して長引く訴訟も、それに伴う差別主義者とのレッテル貼りと、そしてネトウヨ どもの我田引水の差別議論への援用も伊藤にとっては苦痛でしかないことになる はずだ。ここから伊藤は、数年に及び完全な沈黙に陥ることになり、もはやペン を折ったのではないかと言われ、死亡説すらまことしやかに流布されるだろう。

 が、2019年に突然、伊藤計画が沈黙を破って新作発表する新作は、機械にとっ ての「価値」と人間の自発的隷属化を描いたものだった。機械や人工知能の発達 で人間が滅ぼされる映画や小説は『ターミネーター』を始め無数にある。だが機 械が人間と同じ価値観を持つ必要はない。いや、むしろこれほどに存続の基礎条 件が異なる存在にとって、価値体系が重なるほうが不思議だ。であれば、両者に とって必要となるリソースは異なるのが当然であり、したがって両者が争う必要 はまったくない。むしろ機械にとって重要なのは人間をいかに飼い慣らすかとな る。そのために人間のインセンティブをコントロールすることこそが機械にとっ ては重要であり、そしてそこで使われるのは経済システムとなる。そこに立ち現 れるのは社会主義計算論争の再演であり、計画経済こそがいまや効率よい経済運 営となり自由市場経済が劣勢に追いやられる中、人間の自由の発現として市場が 最後の抵抗を見せるのが

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お世話になります。出版社、宝島社のXXXXと申します。

この度、弊社より『蘇る伊藤計劃(仮)』と題しました作家の伊藤計劃氏のファンブックを出版することとなりました。『蘇る伊藤計劃(仮)』では、日本SF界に大きな影響を与えた伊藤計劃氏の未発表原稿を掲載し、また生前交流があった作家からのインタビューを収録、内側からみた伊藤計劃の像を浮かび上がらせたいと考えております。

つきましては、もし伊藤計劃氏がいまも生きて、作家あるいはその他クリエーター活動を行っていたらどのようなことをしていたか、伊藤計劃氏の可能性について「未来の伊藤計劃」というテーマで、山形様に原稿をご執筆いただきたくご連絡差し上げました。

ご検討のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

                   

* 3枚の原稿を書いたところ、評判がよかったそうで、もっと長く書けと言われて加筆したのが上の原稿。なお、最後はこのようにいきなり終わるのです。


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