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「みんなの意見」は案外正しい

食糧危機論の包括的な批判:『食糧危機をあおってはいけない』解説

山形浩生

川島博之『「食糧危機」をあおってはいけない』(文藝春秋) 解説)

要約:食糧危機論は何度潰してもしつこく復活してくる。その手の論者は否定されると話をずらし、忘れた頃に元に戻ってくる。だから、逃げ場がないように全部まとめて潰して理解しよう。本書はそれを食糧のあらゆる面について行った好著。


 食料の話をする前に、ちょっと関係ない話を一つ。最近、四〇年の歴史を誇るアメリカのUFO研究誌が廃刊になったのだが、その廃刊の辞で発行者が苦々しい決別の辞を述べていた。UFO学をきちんと成立させようとがんばってきたが、40年たってもその萌芽も見えない、疲れた、と彼は言う。UFOの世界はきちんとした知識体系の蓄積が起こらない。ロズウェルやらナントカ事件やらについて、さんざん情報を集めてきちんと決着をつけたと思ったら、一年もすると同じ話が蒸し返されて元の木阿弥。そして毎回、自分の思った通りの結論が出てこないと、みんなすぐに政府や企業の陰謀だと騒ぎ立てるだけ。それを四〇年間見てきて、もういやになったのだ、と。

 食料をめぐる各種の議論も似たようなところがある。十年一日のように、毎度同じ話が蒸し返される。人口爆発で食料危機だ、中国やインドの生活水準が上がると食料不足だ、収量はもはや限界だ、土壌流出で農業壊滅、備蓄が減って大変だ、食糧自給率を上げないと国民が飢える、肥料や殺虫剤や遺伝子組み換えが作物を破壊する、水不足が大変だ、地球温暖化だ、アグロビジネスが儲けるために人々の命を犠牲にする云々。

 こうした話は、しばらくなりを潜めていたかと思うと、ちょっと市況が悪化したり、ちょっとどこかが不作に見舞われたりするのをきっかけにウンカのように湧いてくる。それに対して本当にもののわかった人たちは毎回、「いやそんなことはないんですよ」とていねいに個別撃破をするのだけれど、あまり報道されることもないので騒ぎはほとんど収まらない。が、やがて騒ぎのきっかけになった不作や価格高騰がおさまると、あの大騒ぎはどこへやら。騒ぎ立てた論者は口をぬぐって知らんぷり、人々もすっかり忘れてしまい、なんだか食い物がやばいらしいぞ、という漠然とした記憶だけが後にくすぶり、そしてしばらくしてまた何かをきっかけにそれが炎上し……

 もうやめようよ。ぼくはすでに四〇年以上生きてきて、これが何度も繰り返されてのを見ている。そして一度たりとも、危機論者のあおるような危機が起きていないのも知っている。それは危機論者たちは根本的にまちがっているからだ。食料を取り巻く環境についてきちんとした本を読んで、もうこの手の扇動にまどわされないようにしようじゃないか。

 そのための絶好の一冊が、この『食料危機をあおってはいけない』だ。

 本書には、さっき挙げた各種の食料危機論がほとんどすべて採りあげられ、それがなぜまちがっているかがきちんと解説されている。いちばん簡単な話として、世界の人口はまもなく減少に向かうので、人口爆発で食料危機なんてのはウソだ。中国やインドの生活水準があがっても、みんながアメリカみたいに肉を食うわけじゃない。収量はまだまだ上がる。備蓄減少はむしろ輸送や生産の余力が増えただけ等々。わかってしまえば当然の話が淡々と書いてあるだけなのだけれど、その当然の話を多くの人が理解していない現状で、こうした本はとても貴重なものだ。どの議論も、きちんとしたデータに裏付けられた明快な説明で構成されており、この分野に詳しくない人でも簡単に理解できるものばかり。

 こうした話を多くの人が理解するのはとても重要なことだ。というのも、食料に関する人々の反応は、実は頭にきわめて強く支配されているからだ。多くの人は、食べ物は肉体的なものだと思っている。頭じゃなくて舌と身体の問題だ、と。でもそれはウソだ。いまぼくはラオスにいて、コオロギやイヌやカエルを喰っている。それを喰えない同僚もいるのだけれど、おもしろいことにその同僚も、知らなければイヌやカエルを平気で喰える。「おい、それはイヌだよ」と指摘した瞬間に、かれはそれが食えなくなってしまう。頭の中の知識や情報が、食物に対するかれの行動を決定的に左右している。人々がインチキな食料危機情報に派手に反応するのも、そうした情報処理の問題だ。変な情報を頭に入れないことで、みんな極端な反応を避けられるようになるはずなのだ。

 ごく最近でも、ちょうど一年前に食料価格が高騰し、さっき挙げたあらゆる議論がずらりと勢揃いしていたのを思い出そう。いまや同時期に高騰していた石油価格と同様に、食料価格も完全にもとに戻ってしまった。結局、かれらの主張は何一つあたっていなかったわけだ。でも食料危機を騒ぎ立てていた評論家やマスコミは知らん顔だ。何も変わっていない。今後もまだまだ食料危機談義は、UFO話と同じように何度も蒸し返されることだろう。だが、次回までには国民も少しは知恵をつけておくべきじゃないか。食料危機話がどれもUFO目撃と同じ、無内容なヨタ話だというのを理解しておこう。本書はあらゆる人にそれを可能にしてくれる、目からウロコの真の啓蒙書なのだ。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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