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道化としての経営コンサル

(日経ビジネスウィナー 2000年8月号、2000/06/03あたり推定脱稿)

山*浩*



 経営コンサルタントというのはむかつく存在だ。何ら実務経験のない、プライドばかりは高い口先だけのチンピラが、マニュアルふりかざしてきいたふうな口をきく。えらきゃテメーが会社の一つも運営してみろといふのだ、ばか者めが。従業員たちの生活、株主への責任、そして事業への愛情と情熱――こういう経営者のしょってる重みを感じたことのないやつに、経営の何がわかるもんかと思う。が、経営コンサルの多くは、まさにその重みなしで能書きだけ垂れる立場にたちたい、脳天気な連中ばっかなのだ。

 なぜこんな商売が成立するのだろうか。それは経営にはたった一つの最適解なんてないからだ。集中型だろうと分散型だろうと、社員の性向や外的な環境で多少の優劣はあっても決定的な差ではない。どんなやりかたでも、そこそこの成果はあがるだろう。だから何をどうしようと、絶対的にまちがっていることはありえないのだ。要はそれをどう納得させて背中を押すか、というだけが問題なのだ。

 この手の寄生虫コンサル業は、最近はもっぱらアメリカで生まれ育っている。日本にはごく最近まで入ってこなかった。それはアメリカと日本の企業の運営方針のちがいに関わっている。

 アメリカ式を極端に単純化して言うと、すべてはトップが把握していて、その下にいる人間は歯車にすぎない、ということだ。下の人間は何一つ知らない。現場には、責任も権限もない。働く人は、契約通りに一つの業務だけをやればいい。

 一方、日本式のやりかたは、現場にいろんな責任や権限を与える。上の人間は、実はあんまりわかってない。社長なんて、ただの天下りポストでしかなかったりする。政治でも同じだ。大統領が替わると一変するアメリカと、だれが首相になろうがぜんぜん変わらない日本と。アメリカに比べて日本では下っ端とトップとであまり給料の差がないのも、この役割分担のちがいからきている。

 さて、前者は経営コンサルが入りやすい。トップが「ちょっと目先を変えよう」と経営コンサルに相談して入れ知恵をされて、「こうしよう」と号令をかければ、全体が変わる。そして社長はなんでも知っている(はずだ)から、これは一応機能するわけだ。しかも株主に対して、「自分はこんなに活躍しています」とアピールするニーズが社長にはある。コンサルを入れて「最新の経営手法で企業を刷新」とやるのは有効なのだ。

 でも、後者では、そうは問屋がなんとやら。社長がいんちきコンサルにそそのかされてどんな旗をふろうと、現場が「やだ」と言えばなにもできない。強行すれば、会社自体がまったく動かなくなる。だからこそ、経営コンサルが浅はかな入れ知恵をする余地はほとんどなかったし、それをやりたがるアメリカかぶれのバカな社長は、早晩追い出される運命にあったわけ。

 ただしもちろん、いまのは極端な類型。粗雑なアメリカ式は、日本の鉄鋼や自動車攻勢の前に完全に敗北して、実は1970 - 80年代にかけてアメリカの企業経営は、日本式の現場への権限委譲手法を必死で勉強した。たとえばTQCとか。ユナイテッド航空なんかの「社員所有の企業」とか、サターン(車のほうね)の工場運営とかは、そういう現場への権限委譲の動きの成果だ。

 逆に日本経済の低迷で、アメリカ式のCEO制のスピーディーな経営を導入しなければ、とかいうバカが増えている。これはまちがいで、いまの日本経済の問題は生産側の問題じゃない。日本で成功しているいくつかの事例も決して経営者の強権で成功したわけではない。でもこの手の物言いは勢力を増している。だから日本はこれからコンサル商売にはいいカモだろう。半端なCEOがわけもわからずコンサルにすがってむしられる図式が、これからあちこちで見られるはずだ。そして多くの外資系コンサルどもは、こうした日米経営モデルの差に驚くほど鈍感だ。下手をすると、優れた現場システムをぶちこわされてボロボロになる企業も出てくるだろう。

 さらにそういう悪徳コンサルたちの現場破壊を正当化するまたとない口実ができている。情報システムだ。情報化という旗印でコンサルが入り込む例は実に多い。しかし下手な情報化は、アメリカですら現場レベルの情報交換システムと融通をこわし、組織の機動性を殺ぐ例が多い。まして日本式では、これが破壊的な結果を生むことは想像がつく。

 だから、コンサルを入れるなら、よく考えなくてはならない。自分たちの強みをはっきり理解したうえで、簡単なプロセス改善くらいから少しずつコンサルの理解度と能力を試しつつ導入しないと、ひどい目にあうだろう。その過程で、自分の考えもしなかった天下の名案をコンサルがあっさり出してきてくれるとは思いなさんな。おそらく自分でやってできる範囲の仕事以上のものをコンサルに期待してはいけないのだ。

 ただしもちろん、ほんとうに現場のシステムが古くなっている場合だってある。コンサルだって完全なバカばかりではないし、悪徳ばかりでもない。かれらの言い分が正しいことだってあるんだ。問題の整理と発見は多少は期待できるかもしれない。多くの組織の問題というのは、特殊要因にとらわれすぎて問題が見えなくっているせいだ、というのもよくある。そこらへんのみきわめをつけられるかどうか。それがコンサル活用の鍵ではあるんだが……それができるくらいなら、そもそもあまり悩む必要もないわけだ。

 ではどうしよう。じじくさいけど、歴史に学ぶ、という手はある。古代中国の孔子や韓非子や諸子百家だって実は国家経営コンサルだったんだけれど、支配者から見るとこいつらは「滑稽」といって、道化師の一種だったんだ。これは実は、いまコンサルを使う人たちも見習うべき態度かもしれない。道化だってたまには真に役にたつことを言うし、ときには横暴な王様に正論を言える唯一の存在が道化ってこともある。だから道化には道化の役割がある。でも、道化に頼りきっては国は滅びる。要はそういうことだ。ついでながら、古代中国の各国の興亡は、儒家や法家などの「経営理論」の実践とは何の関係もなかったということも、意にとめておくべきかもしれないのだけれど。

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