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バロウズの二つのスタイル

(『ユリイカ』 1997年12月 特集:バロウズのいない世界 pp.104-110)

山形浩生

はじめに

 ウィリアム・バロウズを語るにあたって認識しておく必要のあることがいくつかある。まず、ほとんどだれもかれの小説なんか読んじゃいないということ。にもかかわらず、かれにはそれなりの大衆的人気があるということ。したがって、かれの大衆的な人気は明らかに小説以外のところからきているということ。

 これは当然しごくのことなのだけれど、一般にバロウズが論じられる時には(おそらくは意図的に)これが混乱される。作品の持つテクニカルな前衛性(というか難解さ)が文化的なシンボルとしての存在根拠にされて、それがさらに大衆的な人気の根拠にされるのが通常のやりかただ。バロウズはこんなにわけのわからない小説を書いているから文化的なシンボルになっているという部分と、バロウズはこんなわけのわからない小説を書いているのに文化的シンボルになっているというのは、実は別個の話なのだ。

 にもかかわらず、両者は根っこのところで共通するものを持っている。

 本稿では、まずこの両者それぞれについて別個に概説したうえで、その両者に共通した要素について語る。そしてそれが最終的には、バロウズにとってどういう意味を持っていたのかを考察してみよう。ひいては、それがわれわれにとっていかなる示唆を与えるものかについても。これはすでに以前本誌に掲載した追悼文で、ざっと述べた内容である。ここに目新しい内容は一切ない。


スタイルその一――文のスタイル

 ウィリアム・バロウズの小説といえばカットアップやフォールドインが即座に連想されるほど、バロウズの小説スタイルはその技法と密接に結びついている。これはまちがいではない。カットアップは、適当に本や新聞を選んで、それを縦横に切って並べ替え、できた文をそのまま使ってしまおうという技法だし、フォールドインは切るのさえ面倒だから折って並べてすませようという技法だ(後者のほうが、各パーツが多少長めになるという傾向はある)。バロウズが、『裸のランチ』において使った(意識的にというよりは、結果的にそうなってしまったようだが)、雑多に入り混じった原稿をそのままいい加減に使うという手法と、ブライオン・ガイシンがコラージュやモンタージュといった絵の技法を文でも使えると実証してみせたこと、そしてテープレコーダや、映像と音声を別トラックに保存する映画やビデオなどのテクノロジー的な実験への興味と目新しさが一九六〇年代はじめにうまく混じりあって、徐々に成立した技法である。

 特にガイシンらの議論では、これは文に隠されたサブリミナルなメッセージをあらわにすることになっていた。たとえば『裸のランチ』を酷評する書評があったとする。「同性愛と麻薬の醜悪な世界を漫然と描いた死ぬほど退屈な本」といったような文をカットアップすると、「麻薬は醜悪」「同性愛は死ね」といった文があらわれて、それが実は書評者のサブリミナルな主張をあらわしており、そして文の表面上の意味よりもそうしたサブリミナルなメッセージこそが読者には伝わるのだという。

 これはもちろん、英語という言語の性質も若干関係していて、カットアップの途中で主語をちょんぎられた文章は命令文になってしまうために、できあがる文章も強いメッセージを持っているかのような印象が出る。日本語では、助詞などで明示的に命令文をつくる必要があり、また主語の省略が非常に一般的であるため、翻訳にあたってはかなり恣意的な操作が必要になる。たぶん支那語でのカットアップは日本語よりずっとおもしろいものになるのではないか。

 まあガイシンらの議論の正しさはおいておこう(ある程度は正しいだろう。同性愛や麻薬に好意的でない人は、『裸のランチ』を好意的な目で読むとは思えない、という意味において)。ガイシンは、この考えに基づいて、同じ文章内でのカットアップを好んで行い、のちには一つの文の単語をすべての組み合わせで並べ替え続けるという実験ばかりを好んで行うようになる(異様に退屈な代物である)。かれの主眼は、文の中の隠されたメッセージを発見することである。

 一方のバロウズの場合も、サブリミナルというのは重要な概念であり続けた。なんだかんだ言いつつ奥さん殺しを後ろめたく思っていたバロウズの場合、頭の中に入り込んで他人にやりたくないことをさせてしまうという、暗示とか憑依とかいうのが実在してくれればとてもありがたかったから。妻は自分が殺したのではなく、何かの暗示や霊が自分の意に反して身体を動かし、妻を殺したのだと言えれば、バロウズとしてはとても安心できる考えだったからだ。しかし、理論はさておき、バロウズは異なった文同士をカットアップするほうを好んだ。ダダやシュルレアリズム流の、偶然性に基づく併置の意外性を求めてカットアップを行ったわけだ。この意味で、バロウズのほうが画家だったガイシンよりもずっと、コラージュなどの絵画的技法に忠実だったと言えるかもしれない。かれの主眼は、文脈の中で単語やフレーズを独立させることだった。

 これが機械的な作業だという批判に対して、バロウズは「何をカットアップするか、その後、できたものの中から何を選ぶかは自分の判断だし、それに結果がよければいいじゃないか」と反論している。

 ただしこの議論がどこまで正しいかはわからない。カットアップを自動的に行う「ドクター・バロウズ」というソフトウェアがあるが、これを使うと原料はなんであっても、いかにもバロウズっぽい文ができてしまうのだ。ということは、実はカットアップで面白がっているのは、単に変なことばが変な文脈で挿入される、その組み合わせのタイミングのほうであり、単語そのものではないのかもしれない。材料で何を選ぼうとあまり関係ないのかもしれない。これについてはいずれ心理学などのほうから解明されることを期待したい。

 一方で、カットアップの実験を繰り返す過程でわかってきたのが、この技法が単語を文脈から解放する一方で、文脈の雰囲気だけを保存する非常に有効な手法だということだった。こうしてバロウズは、『ノヴァ急報』などの諸作と並行して、自分の故郷の古新聞や見せ物小屋、回想などの文章をカットアップして、意味はまったくわからないけれど懐かしさだけが漂う文章を大量につくり、短編としてまとめるようになる。『おぼえていないときもある』につながる諸作である。

 そこにあらわれるノスタルジア、両親の思いで、子供時代へのあこがれ――カットアップのサブリミナル理論や、ガイシンの影響下における「言語は宇宙からのウィルスだ」的な主張が、七〇年代に近づくにつれて徐々に薄れる中で、最後まで残ったのがこうした要素だった。そして確かに、それはバロウズのいちばん素敵な部分ではある。しかし今にして思えば、晩年の回顧趣味的な諸作の萌芽は、すでにこういう時期にあったのだろう。ただ、当時はそれがストレートに出ないでカットアップされていたので、具体的に何の話をしているのか本当に漠然としかわからなかっただけなのかもしれない。

 そして八〇年代に入って突然発表されたのが、『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』のシリーズだった。これこそが、実はバロウズが本当に書きたかった小説であり、バロウズがふつうの小説家として成長していれば、たぶんこれがかれの処女作かメジャーデビュー作になったのだろうという柳下毅一郎の指摘は、非常に鋭い。バロウズは昔から、少年小説や冒険SF 、悪漢小説や西部劇にあこがれていた。『シティーズ』等はそれをストレートに実現した、まったく思索的な深みのない、手法への耽溺も見られない、単純な冒険小説やウェスタンとなっている。カットアップも、少し雰囲気をつくるのに(そして一部章題やイメージの創出に)使われているだけとなる。

 そして晩年のかれは、もっぱら飼い猫やか弱い動物、そして思い出話を主体とした短い小説をポツポツと発表するだけとなった。最晩年にはもはや、筆を折っていたに等しい状態だった。これについては後述。

 そしてもちろん、ほとんどのバロウズファンは、かれのこうした文体のことなどまったく関知するところではないのだ。


スタイルその二――ライフスタイル

 バロウズの圧倒的な人気(とまでは言わないにしても、根強い人気)を支えているのは、かれが一生にわたって送ってきたライフスタイルのためである。

 そこそこよい血統の出身。ハーバード大学で教育を受け、その後は定職にいっさいつくことなく、世界中をふらふらとめぐって過ごす。その過程で麻薬中毒となり、この世のありとあらゆるドラッグを試しつくしただけでなく、究極のドラッグを求めてアマゾンのジャングルにまで旅をしてしまう。親の仕送りで生活に困るようなことは(クスリに使い果たしでもしない限り)ほとんどなく、気が向けばウィーンでまた大学院に入り直したりして悠々自適。カットアップとかいう、他人の文を切りつなぐだけの一見簡単そうなやり口で小説をでっちあげ、それでビートジェネレーションの代表格にのしあがり、世界の大小説家の一人になってしまう。晩年にはこれまた戸板にショットガンで穴を開けるだけの代物でアーティストも気取る。ビート時代のニューヨーク、今の香港なんかメじゃないほどいかがわしくておもしろかった(といわれる)国際都市時代のタンジール、六〇年代のスウィンギング・ロンドン、七〇から八〇年代ニューヨークのアンダーグラウンドなど、世界のおもしろい時代のおもしろい場所にはいつのまにかちゃっかり顔を出している。さらに家庭というものに一切しばられることなく暮らし、ごくはやい時代からホモセクシャルであることを宣言しつつ、一方で結婚を二回もして、子供まで作っている。そのくせ奥さんはうまいこと射殺して、しかも事故ということでうまうまと逃げおおせ、その間のどさくさにまぎれて子供も親戚におしつけ、親の老後も面倒を見ることなくすませる。いつの時代にも、適当にボーイフレンドをつくり、あるいはタンジールではお稚児さんをいっぱい買ってはべらせ、しかも六〇すぎてからも新しい愛人をこしらえては自分の身辺の世話を見させ、最後にはカンサスの田舎に引っ込んで、ここでもどうやらいろいろ若い男の子を身辺にはべらせていたようだね。

 書いているだけでうらやましくなってくるような、やりたいほうだいの勝手気ままな人生である。いっさい責任をとることなく、その時々で傍観者的におもしろいものをつまみ食いするというこの根性。土地にも家族にも、なんらかの運動にも積極的にコミットすることのない生き様。すでにあちこちで書いたけれど、かれはビートジェネレーションの代表格とされてはいるが、年代的にもかなり上であり、またその後のビート詩人たちのヒッピー運動への傾倒などに対しても冷ややかだった点で、いまいちビート「運動」の中ではおさまりが悪い。作品的にも、ケルアックも含めてビートが一様に示している東洋仏教思想への言及もいっさい見られない。そもそもビートとつきあっていたニューヨーク時代、かれは『ジャンキー』を書いていただけで、それが売れなかったために作家になる希望も失っていた。かれは年上の、変な教養があって後ろ暗いところもたくさん知っているという兄貴分だった。

 ロンドンでも、ニューヨークのアンダーグラウンドの帝王とかいう話にしても、バロウズは何をしたわけではない。いただけ。タンジールでも、基本は小説家くずれのヤク中の変なヤツにすぎない。後から考えてみると、ああ、あれがバロウズだったのか、という話だ。

 また、かれは自分が小説家になるしかなかったのだ、ということをあちこちで語っている。しかしながら、これは通常みんなが想像するのとはちょっとニュアンスがちがっている。自伝めいた文をいろいろ読んでみると、かれは「昔から小説家になりたかった」とは言う。しかし、「小説を書きたかった」とか「これこれを描きたかった」とかいう言い方をすることはまずない。かれは、小説家という優雅な知的無産階級のライフスタイルにあこがれていた人間であって(この点について、バロウズは少年時代の夢想としていささか自嘲的な書き方をしている。が、それを否定したことは一度もない)、何としてでも書かずにはいられないスティーブ・エリクソンのような作家とはちがうのだ。

 バロウズは、こうしたモラトリアムの理想をすべて実現したがゆえに、高い人気を誇っている。もちろん、親ドラッグ、親同性愛的な作家としての人気もあるだろう。が、それに加えて、ここまで徹底して死ぬまでやりたい放題しおおせた人間というのは滅多にいないのである。モラトリアムの星としてのバロウズ。しかしその一方で、バロウズの名誉のためにも、かれのモラトリアムが現在とはまったく異なる環境の中で実現されていることは認識しておくべきだろう。ドラッグや同性愛に対するしめつけは、現在では考えられないほどの厳しいものであった時代に、かれはそれを公然と表明している。奥さん殺害を隠そうとしたこともない。家族的価値観もずっと確立していた戦後すぐの時代に、かれは敢えてそれに逆らうだけの強さはもっていた。それだから、かれの無責任はある意味で尊敬に値する無責任とはいえるかもしれない。


両者の共通点

 カットアップなどの文体と、モラトリアムを貫徹したライフスタイル――両者の共通点は、その自由さの志向にある。そして、一方でそれは、他人のことを意に介さない身勝手さでもある。

 ライフスタイルの面で見れば、かれの自由さと身勝手さは明らかだろう。なるべく他人との深い関わりをさけて面倒に巻き込まれないようにしてきた「透明人間」バロウズだが、それでもかれの身内は決していい目にはあっていない。ひたすらすねだけかじられて、葬式にもきてもらえなかった両親。その世話をおしつけられた兄。ろくに世話もしてもらえずに、冷たい父を恨みながら先だってしまった息子。そして(こともあろうに)射殺されてしまった妻。だがもちろんバロウズは、かれらのためにいささかなりとも自分の自由を犠牲にする気なんかなかった。そして晩年の諸作で、それを深く後悔している。これについては後述。

 文体のほうではどうだろう。なるほど、カットアップは単語そのものが持っている力――通常は文脈の中で殺されている意味――を解放し、利用する。しかしながら、単語が文脈の中に置かれることで、フレーズとして発揮される喚起力のほうは、逆に殺されてしまう。最良のバロウズは、ことばそのものの力と、文脈の力やナラティブの力がバランスをとって共存している、『おぼえていないときもある』の頃の諸作だろう。

 だが、今世紀の小説史に残るのは、『おぼえていないときもある』ではなく、『裸のランチ』であり、そこからかなり下がって『ノヴァ急報』か『ソフトマシーン』である。これらは二〇世紀後半を代表する小説の古典となるだろう。小説史において重要なのは、作品そのものの出来ではない。むしろそれがどれだけ小説の地平を拡大したか、どれだけ他に影響を与えたか、そしてどれだけの話題性があったかということなのだから。ウラジーミル・ナボーコフは、『アーダ』や『目』がいかに大傑作であろうとも、『ロリータ』を書いたちょっといかがわしい匂いのする作家として記憶されてしまう。同じ理由で、『裸のランチ』は、同性愛と麻薬中毒の幻覚の世界を公然と描いたショッキングな小説ということになるだろうし(ちゃんと読むと、あんまりそういう話ではないのだけれど、もちろんそんなことも問題ではない)、それは発禁裁判騒ぎがあったから初めて話題になり、影響を与えることとなったのだけれど、それも意に介されることはないだろう。『ノヴァ急報』や『ソフトマシーン』はそこに技法への耽溺を加えて小説の可能性に幅をもたらした点、そして現実が操作されているというアメリカ的オブセッションを異様なまでにストレートにうちだした点で評価されることになる。

 これはすべて、それまでなかった何かを小説のメインストリームに持ち込んだ、つまりは小説の自由度を拡大したという功績で小説史に残るわけだ。トマス・ピンチョンも『スローラーナー』の序文などでこれについては触れているし、『ハイ・リスク』の序文で編者のアイラ・シルヴァーバーグ(バロウズの取り巻きの一人である)も、『裸のランチ』を読んでカミングアウトする勇気が出ました、といったいささか見当はずれの(だがそれなりに数は多いと思われる)思い出話をしている。また、技法の面ではバラードがこの影響で『残虐行為展覧会』に代表される一連の濃縮小説を書いたのは有名な話だ。

 しかし、テーマ面はさておき、技法面でのバロウズは非常に困った袋小路に入り込む。バロウズの文体は、最終的には読む側のことを意に介さない、ノイズの固まりのような文章となる。文脈や構造から解放されれば、確かに単語としての自由度はあがる。でもそれを極限までおし進めれば、それは受験生の暗記用単語集のような、脈絡のない単語の羅列となる。そしてそこには、もはや何の喚起力もなくなってしまう。基本的にはローカルなことば同士の関連で印象をつくりだし、その印象が特に脈絡もなくからみあうのがバロウズ小説のおもしろさなのだが、従来の「小説」 全体を支える物語的なフレームはなくなり、小説である必然性すらなくなる。別になくてもいいのだけれど、ある程度以上の長さの文を、何らかの構造なしに支えるのは非常に難しい。結局、バロウズの小説は、読者側に大きな負担を強いるものとなっている。

 もともとバロウズは、表現すべき深い思索や、どうしても描きたいテーマを持った作家ではない。それは『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』などが明らかに示しているとおり。かれは小説を書きたかったのではなく、小説家になりたかっただけなのだから。主張やテーマがなければ、それを伝えるための構造や展開は不要となる。逆にそれが、手法的な探求を極限まで押し進めることを可能にしているのだ。そしてカットアップとは基本的に、「おれは何も伝えるべきメッセージを(あまり)持っていない。したがって読者は勝手に読みとりたいものを読みとれ」という技法なのだ。


その帰結――そしてわれわれへの意義

 晩年のバロウズは、すでにもう外向きに書くのをやめていた。これは別にどうでもいい。書くことがなくなったらもう書かない。潔くていいなと思う。しかし晩年の諸作を読む限り、バロウズはこれだけやりたい放題やって、好き放題に生きてきたにもかかわらず、でもあまり満足していたわけではないようだ。

 しかもそれは、まだまだやりたいことがいくらでもあって、あれもこれもしたりないという感じの不満ではない。たとえば、石川淳は死ぬまで作品の中である種の(バロウズとはちがうけれど)自由を追求し続けて、絶筆『蛇の歌』で。あるいは先日他界した、ぼくの好きなイギリスの飲んだくれエッセイスト、ジェフリー・バーナード。最初から最後まで酒びたりで過ごし、嫌味と皮肉と冗談の固まりのような文を書き散らして、肝臓をやられて脚を切断してドクターストップがかかり、それでもなお酒場にいりびたって、酒場で他界した。立派だねー。

 バロウズも、あらゆる意味での身勝手な自由を追求し続けた。文においても、生き様においても。他の連中が、その身勝手さの代償として早死にしたり、いきなり家庭に目覚めてみたり、途中で妙な宗教に走ったりして老醜と無惨なボケぶりをさらしている中、バロウズ一人は悠然と生き延びて、映画に出てみたりコマーシャルに出てみたり、カート・コバーンとCDを出したりして時代の先端と戯れ続ける自由さを発揮し続けていた。それはもう、何の悔いもないまったく思い残すことのない人生であったはずなのだ。みんなバロウズを見て力づけられていたはずだ。家庭にも仕事にもドラッグにも捕まらず、無責任に自由に、しかもスタイルを持って生き続けることは十分に可能なのだ。早死にしたり、途中で脱落するやつらはいるけれど、それは根性と頭が足りなかっただけ。バロウズをごらん。ああやって最後の最後まで逃げおおせているじゃないか。ポジショニングとシャープな鑑識眼と、知性とセンスにちょとした運さえあれば、それはわれわれにだって開かれている道であるはずだった。

 そのバロウズが、最後の最後になって、あんなに深い後悔と、絶望を通り越したような諦めをもって、回想に終始するような作品しか書かなくなっていたことに、われわれはある意味で失望させられるし、ある意味では「やっぱり」という感じを受けざるを得ない。やはりそうなんだろうか。あのバロウズにして、最後は省みなかった家庭のことを後悔するとは。常にやりたい放題で、何の悔いもないはずのバロウズが、こともあろうに一番避けていた家族を懐かしみ、惜しんでしまうのか。やはりそうなるしかないんだろうか。

 『内なるネコ』以来、遺作『我が教育:夢の書』にいたるまで、これは世界のバロウズファンすべてが何となく思っていたことだった。かれの死によって、それがいま、決定的となりつつある。バロウズの死の直接の影響かどうかは断言はできないけれど、ここ数年でアーティストや小説家などの家庭回帰や保守化が強まるだろう。そのプロセスで、自由というものについて多くの人が再考を余儀なくされるはずだ。その中で、徹底的に自由に生き、自由に書き、そして不幸に死んだウィリアム・バロウズをどう評価するか ―― 21 世紀を前にして、これはわれわれにとって大きな課題である。

 やはり、ああなるしかなかったんだろうか。

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