Paul Poast, Pol Pot: The History of a Nightmare (John Murray, 2005)
(『一冊の本』2005年10月号)
山形浩生
要約: Short Pol Pot は、ただでさえ少なかったポルポトに関する記録を徹底的にあさり、関係者にインタビューすることでかつてない規模の伝記となった。その理由づけはすべてをカンボジアの国民性に帰するもので疑問ではあるが、今後数十年、これ以上のものは出ないであろう。
クメール・ルージュ支配下のカンボジアは、凄惨を極めた。無謀な強制移住や強制労働により大量の国民が餓死・病死、各種粛正とあわせて総死者数はわずか数年で総人口の五分の一以上。その恐るべき体制の頂点に君臨しつつもほとんど姿を見せず影の存在だったポル・ポトについて、現時点での決定版ともいうべき伝記が本書だ。片腕キュー・サンパンや義兄弟イェン・サリなど重要人物への長時間インタビューを元に構成された本書を超える本は当分現れないだろう。
そこそこ裕福な家庭に生まれたポル・ポトは、留学先のパリでは勉強より学生運動にかぶれていたがマルクスや毛沢東には歯がたたず、クロポトキンなど空想社会主義者たちに傾倒していたとか。そして国に戻るとベトナム共産党にゲリラ訓練を受け、カンボジアの最貧困農村に反ブルジョワ=反商業=反都市を教え込みオルグをはかる。そうした農民たちをまさに人間の盾としてすさまじい犠牲者を出しつつ、クメール・ルージュは、プノンペンを制圧した。
ちなみにシアヌーク国王は、悲劇の君主として粉飾されることも多いが、本書を読むとかれの日和見と暴君ぶりが後に禍根を残したこともわかる。フランスからは独立するが共産主義化も避けるという難しい道を取ろうとしたシアヌークは、諸外国を相互にけん制させようと政治的な立場をコロコロ変え、責任は下々の連中に押しつけて更迭・抹殺するのが常だった。派手好きなかれの鹿鳴館政策でプノンペンは華やいだが地方部の農民には何の恩恵もなく、またシアヌークの命令による共産ゲリラ狩りは、ロン・ノル指揮下の兵士たちによる無差別な首狩り競争となって忌み嫌われ、国民がクメール・ルージュに肩入れする大きな原因ともなった。
しかしポル・ポト以下クメール・ルージュ政権は、食料生産もインフラ整備も経済学のイロハも、とにかく国の運営に関わる実務を何一つ知らなかったのに(あるいはそれ故に)己の青臭い観念だけの社会主義に固執し、実務官僚たちを皆殺しにして反都市政策を文字通り実施。都市から地方部への強制移住と強制労働、私有、家族、貨幣の廃止など正気とは思えない政策を本気で実行する。「所有をなくせば万人は平等である、かくしてカンボジアは社会主義の前衛となるのだ!」「克己せよ、己を浄化せよ、感情的な結びつきから解き放て。友情や善意、家族の絆といった個人的主義的な感情をすべて消滅させるのだ!」それがもたらした生産力の大量低下と飢餓は、すべて国民の浄化不足、およびベトナムやCIAの破壊工作員の仕業として身内のスパイ狩りに精を出し、それがさらなる生産力の低下を招くという悪夢のスパイラルに突入した。そしてその状況下でも、ベトナム(そして背後のソ連)の勢力拡大を止めたい中国はクメール・ルージュに肩入れを続けた。本書はポル・ポトの足取りを整理しつつ、こうした国際政治の駆け引きをも明確に描き出し、あらゆる関係者がこの虐殺には手を貸していたことを明瞭に示す。
しかし、なぜクメール・ルージュだけがあそこまで酷い状況となったの。個別の事象であれば、大なり小なりどこの新興社会主義国でも起きている。キューバ革命後、チェ・ゲバラはバティスタ政権の要人を大量に粛正し、知識も経験もない中央銀行総裁を勤めて経済を破綻させ(かれもまた貨幣を廃止すべきだと考えていたらしい)、国民を困窮に追いやった。中国も文化大革命による都市人口の強制移住や大躍進による大量餓死を引き起こしてはいる。ソ連もご同様。でも、みんなどこかで歯止めはかかった。なぜカンボジアはそれができなかったのか? ここが本書の嫌なところだ。著者はそれをすべて、カンボジアの国民性に帰する。なぜ平気で親族やご近所を殺せたか? カンボジア人は昔から極端だったし、それに過去の恨みを根に持つ性格だから。内通者をリンチにかけて殺すのは、抗仏レジスタンス以来の伝統だから。なぜクメール・ルージュは極端な手に出たのか? カンボジア人は悪名高い怠け者なので、そうでもしないとみんな働かなかったから。なぜみんな反抗しなかったのか? 運命を受け入れるのが仏教の伝統だから。確かにそういう面はないわけじゃなかろう。が、それだけのはずはない……かな、どうなんだろうか? 他に何がと尋ねられると、ぼくにも答えはない。
そして本書を読んだあとでも、結局ポルポトの素顔はぼんやりしたままなのだ。なぜポル・ポトはクメール・ルージュ内で指導的な地位を維持できたのか? かれは常にアンコール・ワットの天女像にも似たほのかな笑みを浮かべ、実にチャーミングだったそうな。そしてそのほほえみのまま、身近な人々の粛正と殺害を平然と命じることができたという。極端な秘密主義を貫き、人には好かれるのに他人は一切信用せずに何も明かさない。かれは一体何を考えていたのか。理想に燃えた若者が、権力を握って堕落し、理想を忘れ悪政を敷くのが中国の歴史書の定番シナリオだが、どうもポル・ポトは逆に最後まで理想を捨て(られ)なかったらしい。そしてそれこそがポルポトの最大の罪だったのかもしれない。堕落できなかったことが、現実と妥協できなかったことが。
やがてベトナムが一気にカンボジアに侵攻し、クメール・ルージュ政権は軍事的にも無能ぶりを露呈、プノンペンはまたたく間に陥落。しかしその後も国際政治はクメール・ルージュ残党を駒として利用し続け、カンボジアは翻弄され続ける。明石代表指揮下の国連監視団の下での選挙も、ほとんど無意味な茶番となりはてた。一九九八年にポル・ポトは最後まで自分の正しさを強弁しつつ死亡、そしてカンボジアには極端に劣化した人的資源やインフラだけが残されている。本書はその様を淡々と描く。本書の副題は「ある悪夢の歴史」という。だがカンボジアにとって、その悪夢はまだ続いているのだ。
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