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a pefect mess

片付けなくてもだいじょうぶ!

Eric Abrahamson, David H. Freedman, A Perfect Mess: The Hidden Benefits of Disorder : How Crammed Closets, Cluttered Offices, and On-the-fly Planning Make the World a Better Place (Weidenfeld & Nicolson, 2006)

(『一冊の本』2007 年 3 月号 pp.26-7)

山形浩生

要約: 片付けるとか掃除するとかばかりがよいと思われている昨今だが、片付けないことにはそれなりの論理と合理性がある。片付けるのにもコストがかかるので、やりすぎればかえって利得は減るし、片付けの一環として行われる捨て捨てはロングテール切り捨てでもある。また過度の整理は従来の考えにはまらない分類しきれないものを排除して新しい可能性を捨ててしまうし、往々にして計画しすぎるとそれが自己目的化して現実から遊離する。なんでも乱雑さを排除してはいけません。




 ぼくのような厚顔な人物ではあっても、部屋が汚いとか机がきたないとかいう世間の白い目と無言の圧力にはたまに肩身のせまい思いをすることがございます。世間でもそれは同様であり、『片づけられない女』『捨て捨てで人生すっきり』といった書物の売れ行きだの、あるいは某巨大掲示板における汚部屋脱出スレッドのかなりの人気ぶりなどを見ていると、乱雑派人民たちが単に一見きれいに整頓できていないというだけの理由で感じているコンプレックス、諦め、自暴自棄、果ては自己否定などの闇の深さに、慄然とさせられるのはワタクシだけでありましょうか。部屋が汚い、机が汚いというだけで、自動的に仕事ができないとかプロ意識がないとか、果ては人生の敗残者だとまでレッテルを貼られてしまう――でも世の中はこうした根拠なき偏見をかえって助長するような著述ばかりがはびこり、多くの人は自分が持っている整理整頓清潔に対するフェティシズムすら意識しなくなっているのです。

  が、全国の、いや世界の乱雑派のみなさん。ついにわれわれの立場を代弁してくれる著作が登場いたしました。それがこの A Perfect Mess です。

  乱雑さには、乱雑なりの合理性があるのだ、という(乱雑派であればだれでも知っている)論点を、本書はいろいろな角度から描き出してくれます。整理整頓の片づけ派は「無用なものはどんどん捨てなさい」と言いますが、これは往々にして、後で必要になるものを目先の判断で処分してしまう近視眼につながります。整理して蔵書を大量に処分したあとで「あー、あの本のあそこの記述が見たい!」という事態に遭遇するのはだれしも経験あるところ。乱雑は一方で、必要なものは往々にして手近なところに山積みになっているという自然な秩序を生み出します(それを利用したすばらしい整理法として、野口悠紀夫の超整理術もしっかり紹介されておりますぞ)。多くの創造的な人々がとんでもない乱雑な中に暮らしているのは、乱雑さが意外な組み合わせを生み出して創造の源泉になることが多いからだ、と著者はペニシリン発見の物語などを例に指摘。下手に整理整頓してしまうことは、既存の分類にすべてを押し込めるだけで、何も新しいものにつながりません。きれいに分類しようとすると、必ずどこにもうまくおさまらないものが出てきますが、整理を過度に要求する文化は、それを不適切なところに押し込んでそうしたものが持つ多様性や多義性を殺してしまう。でも、そういう分類不可能なものにこそ、新しい可能性があるのです。

  整理整頓と密接に結びついているのが、計画能力です。乱雑だと計画性がない、場当たり的だと罵倒されます。なんでも戦略計画とか立案し、目標目指して無駄なく進むのが望ましい、と。でも、世の中計画通りに進むことなんてほとんどないのはだれもが知っています。それをチマチマ細かく計画するのは、かえって計画のための計画となって無駄なばかりか、さらに計画にとらわれて臨機応変な対応ができなくなるという墓穴にもつながります。そしてそこから出てくる重要なポイントとして、整理整頓だの計画だのは、それ自体がかなりの手間とコストを必要とします。無秩序と場当たりによる多少の非効率からくるコストのほうが、きっちり整理整頓して計画するためのコストよりずっと低いことだってある! 海兵隊は、細かい戦術計画はたてないとか。そしてあのアーノルド・シュワルツネッガーは、細かい予定表を持っておらず、きたときに時間が空いていればだれとでもその場で会うのだとか。それが臨機応変さにつながているそうな。いや納得。われわれ乱雑派が常に主張したかったことをそのまま語ってくれる、すばらしい一冊ではありませんか。

  ことさら結論というものはございません。整理整頓や掃除、計画を一切するな、なんてことも言っていません。ただ、それをやりすぎるな、というだけです。みんな、世の住宅展示場やインテリア雑誌にある部屋を見て、それがいかにも嘘くさいと思うじゃないか、と。本もなく、ごみも脱ぎ捨てた靴下もない、そんなの清潔病のナチスみたいな代物じゃないか、と。人間らしさ、生活臭、そしてそこからくる心地よさはすべて、多少の乱雑さからきているのだ、と。それこそが豊かさの源泉なんだし、それをむきになって否定し去ることこそ愚かではないか、と。 いやまさに我が意を得たり。邦訳もすでに決まっているそうですよ。それが出た日には、われわれ乱雑派は胸を張って、あのクソうるさい計画ジジイや整頓ババアどもに胸を張って反論できるようになりましょうぞ。是非とも期待しましょう。

  とはいえ、ときどき「ん?」と思うような記述があるのはご愛敬。日本は世界でも清潔さと秩序に過度にこだわる国民としてあれこれ書かれている。でもあるとき、著者が日本の会議にでたところ、その会社の重役が出てきた。が、その重役さんは席につくなりいびきをかいて寝てしまった、と。そして会議が終わる頃に目をさまして、結果だけきいてそのまま出て行った、と。

  著者はとても驚いたんだけれど、そこでふと思い当たったそうな。重役が見ていては、上下関係を重んじる日本人たちは自由に発言ができない! 重役が露骨に寝てみせることで、人々は自由闊達で生産的な討議が可能になり、秩序の中に乱雑さが入り込むことを可能にするのだ! これは日本文化が育んだ高度なマネジメント手法なのである!

  ……いや大胆な仮説、まことに刮目すべきものではありますが、それはたぶんちがうと思うぞ。まあこういう部分は、乱雑なやり方をしていると、こういう変なものがまぎれこんでしまうこともあるというお笑いとして受け止めていただけると幸甚でございます。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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