Jeff Hoke, The Museum of Lost Wonder (Red Wheel Weiser, 2006)
(『一冊の本』2007 年 1 月号 pp.38-9)
山形浩生
要約: 正確さだけを求めてだんだんつまらなくなってきた博物館に対して、そもそもの不思議さ、わからなさを重視した博物館を紙の上で(模型も含め)再現しようとする試み。多くの自分自身を使った実験を通じ、見る人の中にある不思議を引き出そうとする楽しい本だ。
ガキの頃にうちにあった百科事典(そう、昔の家にはそんなものがあった)には、日本の天然記念物や史跡・名勝があれこれ載っていて、その写真を見るのがぼくは結構好きだったのだけれど、その中で初期の天然記念物等は、どこそこの「象岩」だの「亀岩」だのがたくさん指定されていたのをよく覚えている。別になにか科学的価値や歴史的な意味合いがあるわけじゃなくても、「これ、なんかおもしろーい」「変な形で楽しい!」というおもしろさ、不思議さ、わくわく感、それに伴う通俗的人気なんかが基準に選ばれていた。そういうののどこがおもしろいかは、小学生のぼくでも写真を見るだけですぐにわかって楽しかったのだけれど、新しいものになるにしたがって、選定基準もきちんと整備されてきて、ちゃんとした科学的な裏付けがないとダメだということになるにつれて一見すると何がポイントかわからない地味なものが増えていき、小学生だったぼくの興味も失われていった。
博物館というのも昔――たとえば十九世紀くらいまで――はそんなものだった。科学的な分析や分類も重要だったけれど、でもそれ以上に、そのコレクターの「これおもしろい!」と思った変な標本がところせましと置かれている。フィラデルフィアにあるムター博物館は、そういう雰囲気がある。昔のお医者さんが集めたコレクションをそのまま博物館にしてあるのだけれど、脂肪が沼地のガスと反応して全身がせっけんになってしまった死体、腐り落ちてしまった纏足の実物、シャム双生児をはじめ各種の奇形標本。それが暗い棚にひたすら並んでいる。分類もない。きちんと研究や分析が行われたわけでもない。それらを結ぶのはそのムター医師が「不思議だ!」「おもしろい!」と思った心の動きだけだ。今ならそれは博物館というより見せ物小屋だと感じられるだろう。でも、かれがたぶん感じていたであろうおもしろさは、いまもぼくたちの心をうつのだ。
それがやがて、博物館にも教育的効果が求められるようになる。科学的な説明を読まないと何がおもしろいのかわからない、正しい展示物の数々。明るい中に並ぶ各種標本に明快な科学的説明。押しつけがましい各種の「参加型」展示。でも、そうした学問的な意義や科学的正確さ、教育的効果の重視の中で、そもそもの博物館の発端になった――ムター博物館などにある――一つの重要な要素が決定的に失われていく。
それは「わからない」という心だ。かつての博物館に並んでいた多くのものは、なんだかわからなかったし、なぜそんなものができたのかもわからなかった。そしてだからこそそれらは展示されていた。展示する側とそれを見る側は、が、いまの博物館は、わかっていることを伝える機能にますます特化しつつあるのだ。史跡や遺跡なんかでもそうだ。素人が見るのであれば、いろんなものを当て推量でもいいから復元して見せてくれたほうが、イメージもわくし理解も深まる。でも、学者たちはそういうのを嫌う。責任が持てない、確実でない、憶測に基づいた展示は誤解を招く等々。そうやって本当に確実なものしか見せない結果として、何もない空き地だけが「遺跡」として公開され、見る人は結局何もイメージをつかめないまま、印象も残らずに忘れてしまう。
さて今回紹介するこの本は、科学と既知にまだ毒されきっていない、古き良き博物館を本の中で再生させる試みだ。決まった分野もない。あるときは天文、あるときは神話、あるときは進化、あるときは心の理論。展示物は、単に見るだけじゃない。切り抜き式で自分で作り上げるものも多い。単純なゾエトロープや、ちょっとした錯視のテストなをど切り口にして、身の回りの簡単な現象にひそむ不思議に読者の目を向けようとする。おどろおろどしい神話や各種伝説、創世神話。そんなものと科学的な説明とが交錯する。でも、それは決して何か答えを出すものじゃない。この博物館が採り上げるテーマは、死、現実、宇宙、記憶、心。どれも、科学でもなんでも「わからない」としか言いようのないテーマだ。著者はそれを、科学の知識と錬金術の歴史の研究とまぜあわせつつ、不思議な文章とイラストと紙工作の入り交じった本にして提示してくれた。
本書の魅力を口で説明するのは難しい。通読する本じゃない。かといって、何か百科事典的な本でもない。子供が、大人が、だれもが感じていた世界の不思議さ、人生の不思議さ、自分がいまここにあることの不思議さ――それを何とかして再現しようとする本、なんだけれどそう言ったところでだれがわかるものか。著者は答えを出そうとはしない。説明しきろうともしない。もちろん「現実とは何か」という問題で答えなんか出るはずもないわけだが、でもときに科学の本でも魔術の本でも、自分たちにわかっていること(またはわかっていると思っていること)を誇らしげに書きすぎて、それ以外のものが一切ないかのごとくにふるまってしまうことがあるのだ。本書にそれはない。
そしてこの博物館の7つの展示室をめぐり、さいごまで来たところで、読者はそれが読者自身の内部を探るたびでもあったことを知る。昨年出た本で『マインド・ハックス』というすばらしい本があった。人が自分自身を使ってできる各種の実験をまとめた本だ。この本の博物館が、その工作やなどを通じて提示する実験の多くは、まさにその『マインド・ハックス』にとりあげられたような、自分自身を使った実験でもある。でも、そうした実験をそれ自体として楽しめる科学少年少女やおたくたちは限られていた。本書はそれを、もっと大きな人間の探求の営みに再びあてはめなおしてくれる。そして、科学や哲学すべての根底にあった単純な驚き、不思議さを感じる心を蘇らせてくれるのだ。さて、こんな博物館が本当にあったらねえ。
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