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Freakonomics

相撲の八百長と経済学のフロンティアとの関係とは。

Levitt et al., Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything (William Morrow & Co, 2005)

(『一冊の本』2005年7月号)

山形浩生

要約: Levitt Freakonomics は、現代経済学の来るホープの一人、レーヴィットの研究を一般向けにまとめた経済読み物集である。変わった現象を経済学的に説明するという(それも思いつきではなく、ちゃんとデータを元に検討を加えて解説する。その現象も、相撲の八百長や子供の命名、ギャングの家計簿など笑えるものばかりで、きわめて楽しくも洞察に富んでいる。




 本書を読んで、二、三度驚きの声をあげない人はいないだろうし、また何度か笑い出さなかった人もいないだろう(もっとも扱われている各種ネタについて強い固定観念や幻想をもっている人は怒り出すかもしれないけれど)。だが読み終えて多くの人は、たぶんこう思うんじゃないだろうか:「でもこれ……どこが経済学の本なの?」

 経済学といえば、普通はお金の話だと思われている。あるいは教養人ぶりたい人なら「経済とは経国済民に由来した用語で人々の幸せを目指す学問で」といった(いささかピントはずれな)話を持ち出すかもしれない。経済学をちょっとかじった人は「経済学とは稀少な財の効率的な分配を考える学問だ」なんてことを言うだろう。でもこの本で扱われているテーマは、こういう話とはほとんど関係ない。学校の先生のテスト改竄の見破り方。人種差別組織KKKを「スーパーマン」で潰す方法。麻薬売人の家計。選挙資金と当選率の関係。出会い系サイトで成功する自己紹介の書き方。子供の名前の流行。親のしつけと子供の成績。アメリカでの犯罪低下の理由。そしてたぶん著者レヴィットの研究の中でも最も名高い、日本の相撲における八百長の実証。多少なりともお金が出てくるのは、選挙資金分析や麻薬売人の家計分析くらいのものだし、それだって著者の中心論点は別のところにある。国民の幸せなんていう大上段の議論も皆無。稀少な財の分配も……まあこじつければないわけじゃない、という程度。

 じゃあここでの「経済学」とは? それは人のインセンティブ、つまり人を動かすのは何か、という問題意識だ。

 たとえば相撲の八百長。本書は番付表に残れるかどうかが力士の将来にとってきわめて重要であることに注目する。そこには八百長をしても勝ちたい動機が確実にある。でも、それをどうやって調べようか? 著者はそこで、相撲の番付表から落ちかかっている力士と、そうでない力士との勝負を統計的に調べた。すると、同じ力士を相手にしていても、番付表に残れるかどうかを決める取組でだけ、異様に白星の率が高まる!

 それだけなら、番付に残ろうとした力士が必死になって火事場のクソ力を発揮したのかもしれない。でもおもしろいことに、かれらが番付に残った後で同じ力士と対戦すると、今度は異様に負けが多くなる。さらにマスコミで八百長疑惑が取りざたされると、突然勝負はいつもの平均値に戻る。明らかに通常とはちがう工作が行われているわけだ。

 他のテーマもすべて同じ。著者は思いがけない分野で、だれも気がつかないインセンティブ構造を見つけ、そしてそれを巧妙なデータ分析で裏付け、思いもよらない結論を次々に導く。選挙は実は金次第なんかじゃない。資金が半減しても、得票にはほとんど影響がない! 子供の名前は、一つ上の社会階層の流行に影響される! 金持ちと思われている麻薬の売人は、実は貧乏で支出のかなりの部分が仲間の香典! アメリカの犯罪低下は、ニューヨークのジュリアーニ市長の手腕とはほとんど無関係で、二〇年前に中絶が認められたために貧困地域の犯罪予備軍が減ったためだった! 地位の高いやつほど金をごまかす!

 ちっとも経済学っぽくないって? だが著者スティーブン・レヴィットは、こうした変な研究を次々に発表することで、ポール・クルーグマンに続くアメリカ経済学会の期待の星となっている。なぜか? これが経済学の根本を見直し、その射程を画期的に広げるものだからだ。著者の同僚であるノーベル記念賞学者ゲーリー・ベッカーは、ドラッグや浮気といったテーマに経済学的な説明を適用してみせた。でも、それらの多くは仮説的なものだし、基礎となる発想は「人は利己的に動く、自由放任が一番」といったあまりに大ざっぱなものだった。レヴィットはそれに実証的な裏付けを加える一方で、細かいデータ分析でそうした大なた分析の不十分さも明らかにしてくれる。人は効用とか利潤とかを最大化するとされるけれど、当然ながらもっと別のもの(見栄とか)にも反応する。それをどうやって分析に取り込もう? そしてもう一つ。いまの経済学の使う図式が単純すぎた。「市場」とか「取引」とか抽象的すぎた。人々が反応するインセンティブや合理性のレベルはもっと細かいんじゃないか? レヴィットの分析はこうした条件をデータ分析で次々に明らかにする、コロンブスの卵十連発のような代物だ。

 普通の学者はこの手の独創的なネタを一つ思いついたら、あとは一生それをこねくりまわして、数式化したり変形したり応用したりして一生を終える。でも、本当の重要な洞察は、その一番最初の独創にあるし、それは素人にだって十分にわかるのだ。レヴィットの研究は、その独創ネタを惜しげもなく投げ散らす。他の人がいかようにも発展させられるように。さらに、経済学は変な数式の並ぶエセ理系学問になろうとして、現実から遠ざかっているという批判があるけれど、レヴィットの研究はそれに対する答えにもなっている。小難しい数学に頼らなくても、日常的な直感を頼りに、それをちょっとしたデータ分析の工夫で裏付けるだけで、まだまだ最先端の研究がいくらでも出てくるんだもの。まだまだ世の中は驚異と不思議に満ちているし、学問にもフロンティアはたくさんあるんだ。本書はそんな希望を与えてくれる。

 そして、経済学なんかどうでもいいあなたも、本書はとにかく読み物として傑作。子供の成績が何で決まるか、興味ありませんか? 不動産や中古車の広告の本当の読み方、知りたくないですか? 出会い系サイトの経歴でみんながどういうウソをつくか、興味ないですか? 麻薬売人の家計簿、見たくありませんか? そしてその下世話な興味から、世の中を見る目も変わり、さらには経済学の最先端も理解できるというからお徳用。なんでもすでに邦訳が決まってるらしいので、英語の苦手な人も刮目して待て!

付記:本書はその後、レヴィット+ダブナー『ヤバイ経済学』(望月衛訳、東洋経済、2006-7) として見事な翻訳で邦訳された。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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