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無一物の億万長者:ビジネスと慈善

Conor O'Clery, The Billionaire Who Wasn't (Public Affairs, 2007)

(『一冊の本』2008 年 1 月号 pp.26-7)

山形浩生

要約: 日本人の団体ツアー観光客が必ず立ち寄った、ハワイや香港のDFS創始者は、億万長者になったがそれをすべて寄贈して財団を作り、絶対匿名を条件にすさまじい慈善を展開した。その慈善もビジネスマンのセンスを縦横に活かし、本当に価値あるプロジェクトを見事に選びだして見事な効果をあげている。金持ちになっても金に執着せず、家も持たずエコノミークラスしか使わないチャック・スウィーニーの伝記は、財産とビジネスと慈善の関係について読む者に考えさせずにはおかない。




 香港、ハワイ、その他の観光地にいくと、赤丸の中にDFSと書かれた免税店デューティーフリーショッパーズというのがある。パッケージツアーで、買い物に連れて行かれた人も多いんじゃないかな。本書は、そのDFS創業者チャック・フィーニーの物語だ。

 が、それだけじゃない。

 この人物は、DFSの大成功によって巨万の富を築いた。フォーブスの、世界金持ちランキングのトップ10に入りさえした。が……そのランキングは実はまちがっていた。その時点でかれは、自分の財産ほぼすべてで慈善財団を設立し、そこに全額寄付してしまっており、自分は無一文(というと大げさだが)だったのだ。本書のタイトルはそこからきている。「実は億万長者でなかった億万長者」という感じかな。

 そしてその財団はとんでもない額の個人寄付をしまくった。かれはアイリッシュなのでアイルランドの(すべての!)大学にかなりの寄付をし、高等研究施設、図書館、その他あれもこれも、全部フィーニーの寄付による。ベトナムでもものすごい数の病院や学校を寄付。しかもその条件はただ一つ――自分の名前を一切出すな! 完全匿名にしろ!

 本書前半は、かれとDFSの成功物語だ。朝鮮戦争で日本に駐留したかれは、帰還兵向けの免税品別送サービスに目をつけた。まずは酒、たばこ。それから各種の香水。そしてその課程で、かれは当時免税天国だった香港に拠点をかまえる。いま香港のペニンシュラホテルの裏にあるDFSの建物だ。そして折しも日本人の一大海外旅行ブーム――いわゆるジャルパック大侵攻――が始まりつつあった。DFSは、米兵と日本人ツアー客を標的に、ハワイ、グアム、アメリカ本土とその活動をどんどん広げ、ものすごい成長をとげる。ツアー会社にキックバックを払って観光客をつれてこさせる手法、それまでうさんくさいイメージのあった免税店の印象を一変させた手口、空港ビルそのものに入り込んで展開する事業手法――ビジネス書としても実におもしろい。

 手口だけじゃない。なぜDFSは安い(安かった)のか? 多くの人は単純に、関税がかからないからだろうと考える。でもちがう。各種の出店料や免税営業権利金、建設協力金などで関税分の安さは実は相殺されている。DFSが安かったのは、むしろ流通の合理化のためだ。日本や韓国などは、流通が実に不合理にできていて、中間マージンのために高くなっていた。DFSはそれがなかったので安かったのだとか。

 そして後半。DFS事業が絶頂期に達していた80年代半ば、かれは自分の資産(つまりDFSの株)のすべてを財団に移譲する。その財団の代表として、世界のあちこちに出かけては、事業機会を見つけてそこに寄付を始めた。アイルランドの大学、ベトナムの病院、オーストラリアの大学。IRAのテロ解除への貢献。すべて自分で見つけてきて、自分で寄付の是非を判断し、そしていったん決めたら数ヶ月以内にすさまじい金額をつぎこむ(通常の寄付財団は殿様商売で評価能力も低く、事務手続きが煩雑でお金がくるまでにえらく時間がかかる)。しかもその寄付の規模は半端ではない。そこにはかれの事業者としての嗅覚が徹底して活かされている。ちなみにかれは、90年代初頭にこの財団の保有するDFS株をすべてルイ・ヴィトングループに売却させている。それも見事なタイミングだった。ちょうど日本人観光客の行動は変わりつつあった。香港やハワイなどリピーターばかりだし、国内流通の合理化とともに免税店の安さもあまり魅力ではなくなっており、DFSの売り上げは頭打ちから減少に転じかけていた。LV は、自社の高級ブランド品を売ればシナジーが発揮できると思ったらしいんだが、うまく行かずに(スウィーニー時代は決して行われなかった)レイオフをどかどか行うようになる。

 寄付をする大金持ちは他にもいる。フィーニーが影響を受けたカーネギーもそうだし、アメリカの各種金持ちは自分の名前を冠した財団を作って慈善をする。ロックフェラー、スローン等々。最近ではゲイツ夫妻やバフェットなども有名だ。だがかれらは名を求める。自分の名の付いた研究所や建物を求める。でもフィーニーはそれをかたくなに拒んだ。さらに本人の(極端すぎるくらいの)倹約ぶりもすごい。かれは自分にはほとんど何も残さなかった。家すら持っていない。飛行機は常にエコノミー。車もなければヨットも持たず、どこへ行くにも公共交通。通常なら肥大化し、自己目的化するのが通例の財団の末路を避けるため、オペレーションは必要最低限の人員で行われ、世襲を避けるため、家族は財団運営にタッチさせない。そして財団そのもののすべての資産を、2020年頃までにすべて使い果たすことが宣言されている。ちなみにこれは、ちょっと考えるほど楽なことではないとのこと。スウィーニーの鑑識眼があまりに高いために財団基金の投資はうまく行きすぎていて、やたらに儲かる投資ばかりなのでなかなか減ってくれないのだとか。

 かれは、事業には興味があっても、お金には興味がなかったのだという。「10億円以上の財産なんかあっても意味はない」「金は墓場に持っていけない」「財産が多すぎるのは家族にはかえって重荷だ」。そして、そのお金を最高に使うにはどうしたらいいかという視点の鋭さ。慈善だから無駄遣いでもいい、収益性や効果を考えなくてもいいというありがちな発想に、かれは異を唱える。慈善だって事業だ。なるべくお金が生きる援助をしよう。お金の使い方を知っている人を見つけて、(匿名を除いて)無条件でかれらに任せよう――ビジネスと同じ明快な論理が、慈善にも適用される。ぼくはかれの注ぎ込んだお金よりも、このビジネス的視点のほうが活動全体の中で重要じゃないかとすら思う。

 おもしろすぎる。よくまあこんな変な人がいたものだ。かれが匿名をやめようとしたのも、単に寄付の規模が大きくなりすぎて、隠しきれなくなってきたからだそうな。その本書の唯一不満のようなものといえば――なぜ? なぜかれはそんな行動を? それだけはわからない。もとからそういう性格だった、とかれは言うだけ。「お金は人を変えないけれど、人の本性をあらわにするのだ」とフィーニーは言うそうだ。

 本書を読んで、読者も考えるだろう。自分の本性とは何だろうか。そして慈善、ビジネス、財産、成功って何だろう――本書は必ずや、それを考えるきっかけとなる。すぐにでも翻訳して、一人でも多くの日本人に読ませるべき本だ。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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