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Shell Global Scenarios to 2025

お題目に走らない世界予測と企業戦略への驚き

Jeroen van der Veer (ed.), Shell Global Scenarios to 2025 (Inst for Intl Economics, 2006)

(『一冊の本』2006 年 11 月号 pp.38-9)

山形浩生

要約: シェル石油が世界の将来予測を行った本だが、各種のトレードオフを明確に図式化して、何を重視するかで方向性が決まるとする骨太な予測になっている。日本でありがちな、結論ありきの将来「予測」とはちがうまともな思考の入った考察。こんなのを自分でも作ってみたいと思う一方で、こんなのをまとめられる連中にはかなわんとも思う。




 ぼくは本業でいわゆるシンクタンクめいたところにいるので、各種の将来予測シナリオの構築はそれなりにやるし、また他人がやったやつも結構読んだりするんだが、このぼくですら、毛唐には勝てねぇ、と敗北感にうちのめされることがある。やっぱ肉食ってるやつらはちがうぜ、と。スケールの大きさ、総合性、そして大きな枠組みを作る構想力――そうした点で、ちょっと日本人では太刀打ちできないものが連中にはある。個人レベルならまだ何とかなる。でも、集団となるともうどうしようもない格差がそこには生じているように思えてしまうのだ。

 このシェル石油による将来シナリオを見たときにも、まさにそういう気分にとらわれてしまった。すごいよ、これは。

 この本は、シェル石油が自社の今後のグローバルな戦略を立案するために、2025 年までの世界の動向について分析を行った報告書だ。そしてそれは、石油会社だからといって石油やエネルギー需給の動向だけに特化したようなものじゃない。あらゆる世界情勢、世界を動かす大枠についての分析だ。

 本書では、その大枠として三つの要因を挙げている。効率、セキュリティ、社会のまとまり。それぞれとても広い概念ではある。効率は、まあ経済効率がいちばん大きいだろう。セキュリティは、軍事的な安全保障から対テロ、食の安全や環境、不正取引といった、人が漠然と不安と思うものからの安全すべてを含む概念。社会のまとまりは、社会格差や愛国心やコミュニティ意識(日本ではなぜか愛国心というのを、通常のコミュニティ意識や仲間意識と別の悪い物だと考える人が多いけれど、これらはまったく同じものだ)などを含む。本書はまずこの考え方の説明から始まっている。そしてこれらをまとめる一つの重要なコンセプトは「信用/信頼」というものだ。

 まず、このレベルでぼくは唖然とする。企業向けのシナリオ構築で、ここまで抽象性の高い枠組みを使えるとは。それもいきなりの導入部で!

 そして本書の慧眼がここで発揮される。この三つをすべて満足させることはできない! よくてもどれか二つ。そして地球の人々がどの二つを選ぶかで、将来のシナリオは変わってくるのだ。そこから、本書は三つのシナリオを導出する。

 効率とセキュリティを選んだら? 経済発展はとげる。いろんな形で安全性は確保される。ただしその代償は、セキュリティを実現するためのすさまじい規制や制約、あらゆるものをしばる契約とその裏返しの訴訟だ。そして経済発展は一方で社会の格差を生む。大きな格差で分断された社会が、厳しい規制や法律でかろうじてつなぎあわされる――そんな世界がうまれる。

 セキュリティと社会のまとまりでは? このシナリオだと、社会はもっと自警団的になる。愛国心や同胞意識が高まり、それによって社会としてのセキュリティも担保される。ただしそれは、経済効率を犠牲にすることになる。細かい集団がそれぞれ自給自足を目指し、効率の悪いブロックを構成してしまう。あるいは悪しき伝統重視によるイノベーションの阻害。そこにできるのは、ナショナリズム社会とでもいおうか。

 そして社会のまとまりと効率とでは? 市場の開放と相互依存、分配の高度化による社会のまとまりが実現され、そしてそれによりあまり思い規制がなくても社会は動き、イノベーションも高まる。ただし、これは一方でセキュリティはどうしても下げる。人やモノや金の移動が自由になれば、新しい不安要因は増える。

 そして本書はそのそれぞれについて、そこで何が問題になるか、考慮すべき因子にはどんなものがあるか(たとえば中国やインドの動向等々)、それぞれが環境やエネルギーやテロといった問題にどんな影響を与えるかについて検討する。なるほど。モデルによる定量的な裏付けもある。そしてそこからシェルがどんな将来戦略を考えたのか、ということまでは書いていないけれど、確かに企業戦略につなげられると思うところまで、まがりなりにも落とし込んでいる。

 すごいな。これを日本でやったらどうなるか。まず、発注企業は絶対に結論をしばりにくる。もっとエネルギー問題を前面にとか、明るい希望の持てる世界像をとか。まず冒頭にくるのは「現代世界が抱える課題」という章になって、テロとか民族問題とか環境とかグローバリズムとか、いろいろ世に言われる悪いネタを列挙するだろう。そして「シナリオ」というのも、それぞれ個別問題をどう解決するか、という話。結果はどうなるかは見ないでも見当がつく。1)現状をのばした環境悪化の地獄絵図シナリオ、2)テロの激化に伴う石油生産不安定化シナリオ、3)環境保護してみんな仲良しのユートピアシナリオ。こんな感じだ。そして第三のシナリオを実現するために、みんながんばりましょう、エゴを捨てて助け合わなくてはいけません、とかいうお題目を唱えておしまいだ。どっかででかいお披露目会でもやって、二度とだれも読まない。もちろん、企業戦略なんかには何の影響もない。あるいは、「やっぱり弊社の各部署にとってどういう意味合いがあるかをきちんと出してもらわないと」なんていう話になって、最後の最後で大風呂敷がいきなり萎縮して、妙にチマチマした話が羅列されるようになってしまう。

 でも、シェルはこんなものにお金を出すだけの度量があるし、またそれがちゃんと意味のあることだと理解できるだけの頭もある。もちろん、現実はこの三つのどれかにはなるまい。それらの中道がいくらでも考えられるし、さらにはそのどれもうまくいかないシナリオだってあるだろう。だが重要なのはそのフレームなのだ。すべては実現できない。どれかを捨て去る必要があるかもしれない。その発想そのものだ。

 うらやましい。そして、それに応えられるだけの人材がいるのもうらやましい。本書で検討されたシナリオやその帰結自体も、実にうまくまとまっていて読む価値は十分にある。でもそれより本書で人が戦慄すべきなのは、そもそもこれが構想され、まとめられたということ自体なのだ。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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