Valid XHTML 1.1! cc-by-sa-licese
against the day

ピンチョンの意地悪な新作

Thomas Pynchon, Against the Day (Penguin, 2007)

(『一冊の本』2007 年 9 月号 pp.26-7)

山形浩生

要約: 十九世紀末のシカゴ万博ではじまり、ウェスタン小説とアナキストの価値薬と、四元数とニコラテスラと、中央アジアのシャンバラ探索とリーマン・ゼータ仮説と飛行船少年冒険物語とツングースカ大爆発とをからめた得体の知れない収拾のつかない変な話。細部の深読みに喜びを見いだす人は大いに楽しめるだろうが、結局何だったんだ、という小説ではあって、読むヤツいるのか、という感じ。実は読者にイジワルしようとしてピンチョンが書いてるだけじゃないかとも思うのだが。




 トマス・ピンチョンの新作が出たのはしばらく前のことなのだが……いったいこれをどうまとめていいものやら。もともと謎の作家として評価の高いピンチョンの各種小説は、そのほとんどが異様に分厚いうえに要約不可能ではあるのだけれど、本書は歴代ピンチョン作品の中でも最も長いばかりでなく、その話のまとめにくさにおいても群をぬいている。

 時は一八九〇年、シカゴ万博前夜。話はだいたい四つの主要なストーリーラインと文体に沿って展開される。一つは飛行船インコンビニエンス号と乗組員集団「偶然仲間」たちを中心とした少年冒険物語シリーズの体裁。この飛行船はロシアのライバル飛行船としのぎを削りつつ世界各地で冒険を繰り広げているのだけれど、今回はニコラ・テスラによる全地球を共振蓄電装置として使おうというユニバーサル電力実験集の影響を調べに、実験地の地球の裏側の南太平洋に向かう。そして南極から地球の空洞を通って北極に出ると、北極からなぞの凍結エイリアンを持ち帰ろうとする探検隊を阻止しようとして失敗。さらにベニスでは怪しい力によるサンマルコ大聖堂の塔の崩壊を目の当たりにし、ニコラ・テスラの第二の実験の影響を見るとともにその力の謎を握る中央アジアの秘密都市シャンバラに向かうが……

 さてもう一つの話は西部開拓ウェスタン小説。ちょうと同時期にアメリカ中西部の炭坑では労働組合運動がわき起こり、それをさらに過激化したアナキストたちによるダイナマイトテロがあちこちで生じていた。その中心人物の一人トラヴァースはやがて、鉱山を所有する大資本家スカースデール・バイブに雇われた殺し屋に暗殺されてしまう。かれの子供たち、息子三人と娘一人は親の仇討ちのため殺し屋たちの後を追うと同時に、父の衣鉢を継いで爆弾テロなどにも手を染めたり。

 第三の話は、その末の弟キットをめぐる物語。鉱山技師として教育を受けてから、さきほどのニコラ・テスラの実験の助手を務めるほどの秀才。なぜかかれはスカースデール・バイブの目にとまり、イェール大学への進学費用その他を出してもらえることになる。バイブ一家は、トラヴァース兄弟が殺し屋の背後の自分の存在にどこまで気がついているか知りたいと同時に、ニコラ・テスラの実験によってエネルギー産業が崩壊するのではと恐れているのだった。

 さてキットはイェール大学で、時空間を四次元存在として把握する際に、虚数軸を時間に置くベクトル主義者と、三次元空間こそが虚数軸とする四元数主義者たちの戦いに巻き込まれる。そしてその中に出てくるのが第四の物語。かれが遭遇するのは、変なピタゴラス派幾何学オカルトを奉じるTWIT (聖なるテトラクテュス真の崇拝者団)たちがなぜか保護している中央アジアからの女性ヤスミンと遭遇。彼女はリーマンのゼータ仮説に夢中で、ゲッチンゲンでリーマンの遺稿の中にその証明があるのではと夢想。

 これら(とそれ以外の無数の話が)からみあい、一九世紀末から二〇世紀初頭の世界中を話はかけめぐる。二ヶ所に同時に存在できる奇妙な物体、同じところに二重に存在する物体、それを分解できる方解石――そうしたディテールを経て、やがて話はだんだんとシャンバラへと向かう。そこに何だかよくわからないが秘密があるらしいが、同時にロシアではボルシェビキ革命まっさかり。そして各種のしがらみの焦点となったキットが、カシュガルからバルカイ湖を経てシャンバラに向かう中で、かのツングースカ大爆発が起こる――

 ……とあらすじのようなものをまとめてみたけれど、正直いってこれがどれほどの意味を持つだろうか。ありとあらゆる伏線は気まぐれに紡がれては放り出され、めちゃくちゃな話の中に奇妙な論理が浮上。ちょっとした細部に妙な隠し味やスノッブなディテール。ストーリーを追ってカタルシスを得るタイプの読者であれば、数ページごとに頭をかきむしりたいほどの苛立ちを感じるだろう。

 ありえんと思うことが本当で、意外なことがまったくの作り話。日本関連でも、右翼団体黒龍会だのミキモト真珠の話だの、変な小ネタがやたらに登場。「エントロピー」や『重力の虹』で理系作家と言われた面目躍如の一作でもあって、ゼータ関数だ四元数だと当時の数学論争を細かくストーリーに織り込む技は鮮やかだが、それでできあがるのは、何やらオカルト系三流SFめいた(しかもそれを恬淡として羞じる様子もないあからさまな)軽々しいお話だ。しかもどのストーリーラインも最後まで読んだところで全然決着がつかない。

 その意味で、本書は実にトマス・ピンチョンらしい、とはいえる。ゆるく結び会わせる概念を中心としてあれやこれやをつめこみ、話を百科事典のような脈絡ない小話や情報の猥雑な集合体に仕立て上げ、それがある意味で現代世界の寓意となっている――それがピンチョン小説の味わいなのだから。『V』ではそれは、謎の女Vであると同時にすべてのものが底の一点に向かって集中する場としてのV、そして『重力の虹』ではそのVを名に関したロケットを中心に無数の話が展開される。本書ではそれは、謎のシャンバラであり四元数と別次元という概念なのだけれど――

 で、どうだろう。おもしろいかと言われると、おもしろいところもある、としか答えようがない。読む価値があるかと言われたら、あなた次第としか言えない。細部をほじくるカニを喰うような作業におもしろみを感じる人には是非。だが大味の物語性を求める人には、とてもお勧めはできない。本書もあと十五年くらいでまちがいなく翻訳はされるだろう。だがこれにつきあい切れる人が何人いることか。それに本書をヒイヒイ言いつつ読みながら、実はピンチョンは、読者に対するサディスティックなイジワルとしてこれを書いていたんじゃないか、とついつい思ってしまうのだ。

前号 次号 「一冊の本」レビューインデックス YAMAGATA Hirooトップに戻る


YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.1!cc-by-sa-licese
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。