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『NewWords』2006年春号

新開発と保存のあり方について。

(月刊New Type 別冊「『NewWords』2006年春号 pp. 128-9)

山形浩生

要約: 表参道ヒルズは、同潤会アパートを壊して作られたために、同潤会に変な思い入れをもって保存云々と述べてきた人には、町並みを乱すとかいろいろ悪口を言われている。でももとの同潤会アパートだってまったく時代に取り残されて小汚くて圧倒的に場ちがいで、逆にそれがは多少のおもしろさを作っていた。建築そのものも、おもしろみは何もなかった。古ければブタのケツでもなめたがる保存のための保存運動を考え直す必要があるし、表参道ヒルズは(必ずしもよくないけれど)その契機ではある。




 表参道ヒルズがオープンした。大きいといえば大きいけれど、地域の都市構造をがらりと変えるほどのものじゃない。ただここは、おもしろい特徴を持っている。それはここが、古い建築保存という課題を持っていたことだ。ご記憶の方もいるだろうが、この場にはかつて、まったく場違いな小汚いボロアパート群が建っていた。それをどう活かすか/活かさないかが、この開発の一つの注目点だった。そしてそれは、今後の日本の都市開発の方向性にも多少は関連する話でもある。

 というと、歴史的な建築は保存しましょう、スクラップ&ビルドはけしからん、というような話をするんだろうと思うのが人情だと思う。だって世の中の歴史的建築保存を口走る連中は、そんなやつらばかりだからだ。だが、ぼくは昔からそういう物言いを聞いて居心地の悪い思いをしてきた。単に古いからというだけで保存しろという話に一切耳を貸す必要はない。金を払っても維持すべき現代的価値を示せなければ、そんなものは壊しても一向にかまわないのだ。特に最近、歴史的建築物を改修したマンションを買って、身銭を切って建築保存をやった身として、それは強く感じる。

 さて表参道ヒルズにあった小汚いアパート群は、関東大震災の罹災者向け住宅供給をしていた同潤会によるもので、かれらは先進的な集合住宅の提案をいろいろしている。でも表参道にあったやつは、建物自体には保存すべき価値はまったくなかったと思う。ただの階段室型アパートだもん。町並みとの調和が、なんて目のないことを言う連中は多いけれど、むしろあのアパートは場違いであったのがおもしろかったんだとぼくは思う。あんな汚いボロアパートが、目抜き通りに平然と存在している意外性が楽しかっただけだ。それは保存してもしょうがないし、保存しようがないものだった。

 むしろ保存すべきは、もとの設計者が八〇年前に、西洋長屋という悪口をかわすべく設けた配慮だ。それは建物を少し下げて間に緑地を入れ、道と隔離する設計、そしてもう一つは、単調なアパートが作っていた町並みのリズム、そのくらいだったというのがぼくの印象だ。

 さて表参道ヒルズでは、設計を担当した安藤忠雄がそれをどう料理するか、というのが一つの楽しみだったんだが……これがずいぶんと外している。

 まず、同潤会アパートそのものを再現した部分がいちばん表参道寄りにあるけど、もとの建物がいかにつまんない建物だったか示す以上の機能はない。そしてそれにくっいて、巨大なベターッとしたガラスの箱がどーんと敷地線ぎりぎりまで迫ってくるのに(悪い意味で)圧倒される。通りをはさんだ向かいには、青木淳やら伊東豊雄やらの特徴的な建築が並ぶけれど、こちらの表側は安藤らしさというものも特に感じられない。果てしなく続くのぺりしたファサードは、他の町並みとはまったく異質だ。てっぺんに乗ったコンクリート住宅部分は言われてみれば安藤っぽいともいえるが、むしろ下のガラス箱と完全に切り離され、単に単調なだけ。

 槇文彦は青山のスパイラルの設計で、でかい建物なのにファサードを分割して町並みのスケール感と統一性を持たせたけど、そういう配慮もない。うーん。いや、こんなものになるんなら、変な保存とかいう縛りをかけずに、もう少し自由に設計してもらったほうがよかったんじゃないかな、という気さえする。並木と調和、なんていうお題目のせいで、六階建てのでかい箱をべったり貼り付けるしかなくなったんだし。

 保存や街並みというのがお題目にしかなっていないな、と思う。そしてそれは、伝統や文化や古い建築をないがしろにする悪しき商業主義のせいじゃない。むしろ、変な保存意識が裏目に出たせいじゃないか、と思うのだ。何を残すべきかきちんと分析できない、とにかく何でも古けりゃ残せという「市民」的発想が、逆にメリハリのなさにつながり、変な屁理屈めいた保存のお題目を生んでいる。じきにそういうお題目は完全に忘れ去られるだろう。

 ただそれがよいほうに転ぶ可能性もある。さっき、もとの同潤会アパートは場違いだった、と述べた。この表参道ヒルズも、そのやたらに長い一枚のファサードはかなり場違いな感じではある。ここは保存のお題目とはまったく関係なく、商業施設としては成功しそうだ。いつか――いまから20年くらいすると、ひょっとしたらその場違い感だけがかつてのアパート群の記憶を伝えるものとなるかもしれないとは思う。その頃になったら、ここにあった同潤会アパートで本当に残したかったものは何なのか、いま闇雲な保存を叫んでいる人たちも見えるようになるんじゃないか。懐古趣味、守旧趣味に陥らない、ダイナミックでありながら歴史性を持つ開発や保存のあり方って何なのか? もう東京の旧市街開発でめぼしいところはあまりないかもしれないけれど、今後の日本の将来のためにも、そういうことを少し考える必要があるんじゃないか。この表参道ヒルズは、ある意味でその一つの練習問題といえるだろう。

 ただ……一つだけほめるなら、ここの裏通りはいい。狭い道をはさんだ建築同士が不思議に調和して、コンクリートうちっぱなしの安藤らしさも全開。こっちには街並み感があるのだ。これを前面にも活かせなかったものか、というのはないものねだりか。

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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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