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『New Words』連載 (2005-2006)

 角川の月刊 New Type のガンダムおたく層がいい加減中年になってきたので、それに対応するための雑誌を出すことになったらしい。それが 季刊 New Words だ。これで、何か東京の開発についての連載その他をやってくれ、とのこと。はいはいやりましょう、と二つ返事で引き受ける。ちょうど防衛庁跡地がたちあがってきたし、当然最初はそれ、次回は湾岸部でもやるか。その他、書評なんかもやってほしいようなことを言われている。

 原稿書いて、創刊号がやってきた。全体として、そつなくまとめたイメージ。アニメ雑誌から一歩踏み出すときに、まあ実写も入れた映画に展開しましょうというのは無難な線でしょう。ただ全体に無難すぎて、どのページを見ても、どっかで見たような印象がつきまとう。さらに内容的にも映画の宣伝とか、結局パブリシティ媒体から離れられないから仕方たないんだけど、でもどうせ「この冬注目の超大作だ」とか書いてあるんでしょ? 携帯電話の記事だってまともなレビューになってなくて、広告の延長でしかない。車もそう。携帯電話は、たとえば「法林岳之のケータイならオレに聞け!」なんかがんばってるし(その他このimpress.tvは結構わかってる)、車ならこのFifth Gear テレビ版のすばらしさみたいなものに迫れないもんかといつも思うんだ。ぼくは携帯電話も車も特に興味ないけど、これら番組での携帯電話や車の見方、視点がおもしろくていつも見てる。ちょっと気の利いた宣伝以上の記事に到達できないのかなあ、と思うのだ。それはそんなむずかしいものじゃなくて、このEngadget でやってる程度の視点で十分なんだけれどね。とりあえずここでやってるみたいに、タイアップPRでないような記事とか、もっとくだらない他では絶対出てこないようなチョイねたとか少しのせたらいかが? この電気カズーとかiMP ampネタとか、そのままパクったっていいくらいだ。

 季刊 New Words は、一部でがんばってはいるので、これからもう少し期待したいとは思うんだけど。たとえば、創刊号 pp. 84-103 は「さよなら、TVゲーム」という特集で、その発想はいいのだ。でも結局、何にさよならしてどうなるのか、という話はちっとも出てこない。「それははたして、私たちの知っている "テレビゲーム" とはまったく別の、新たなエンターテインメントへと変貌を遂げるのではないか。」というのがまとめだが、あんたがそれを聞いてどうするんだよー。変貌を遂げるの、遂げないの? それを示せないで何のための特集? その次のゲーム屋さんのインタビューには、そこに通じる視点があるんだ。でもその視点を受けた話の展開は皆無で、次にはタイアップ商品宣伝記事が載ってるだけ。もっとガンバレー!

 二号まで書いて、もう連絡がないし、サイトも更新されていない。続かなかったようだね。残念……と思ったら復活したが、あとが続くかどうか。


2005/11: 閉じた開発と開いた開発:六本木の二大開発 (『New Words』2005年冬号)
 東京の開発についての話。地上げの手口って結構みんな知らないんだね。あんこを先に買うやりかたを説明しておきました。防衛庁跡地は、知らないうちにたちあがっていて驚いた。いまなら都市工の実習で、六本木の都市構造分析とか整備方針設計とかやるだろうなあ。

2006/03: 新開発と保存のあり方について:表参道ヒルズ pdf版 (『New Words』2006 年春号 pp.120-1)
 今回は保存の話。自宅の話も最初は入れていたが紙幅がなくなり最終的には割愛。ここで書いた話(同潤会の昔のアパートはつまらん建物で保存の価値なんかなくて、ありがたがってる連中はヴァカであること、および表参道ヒルズの裏通りはよいぞ、という話)はあちこちで使い回した。

2006/03: 「ロリータ」は 20 世紀的に不健全な変態の書である。 pdf版 (『New Words』2006 年春号 p.152)
 『ロリータ』は改めて読むと、とても後味の悪い本。ブンガクをえらいものにしたがる連中は、何やらロリータをおきれいにしたがって、ロリコンの語源とするのは誤解だとか、果ては美しい愛の書だとかいうでたらめを言う連中までいるんだが、本当に薄汚い変態の話だし(ロリータが幼女でないなんてのは揚げ足取りだ)、丸谷才一は読売の書評で滑稽だとかなんとか持ち上げてるが、年寄りは変なことで感心するんだねえ。川又千秋はかつて、ブンガクが不健全であってはならない、文学者にも健康な人生を送る権利があるはず、という明言を吐いたが(「夢の言葉、言葉の夢」の島尾敏雄論だったと思う)、残念ながらその権利をきちんと活用してくれないのが20世紀のブンガクなのだ。ロリータはその見本。

2006/11: 北京の宴のあとで:第二次東京オリンピックを実現させるには pdf版 (『New Words』2007 年冬号 pp.142-3)
 つぶれたと思っていたら、やたらに間が開いたあとで急に出ることになったとか。オリンピックで都市がどうかわるか、というお題を提案されたのだけれど、それ以前にそもそも誘致できるかでしょ、ということでこんな記事を書いた。北京とどう差をつけるかって、本当に重要だと思うよ、本気でとりにいくなら。

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