Mag X 連載「山形浩生の世界を読み解く叡智:結局、そういうことだ」 (2012年)

2012年1月号 連載第33回:ネット口論に勝つ方法?

 今回ぼくがいただいたお題は、ネット口論に勝つ方法、というものなんだが……

 この問題設定自体がまちがいのもとだ、ということは肝に銘じなくてはならない。議論は勝つとか負けるとかのためにやるんじゃない。何かもっと大きなことを実現するための手段だ。その議論されている中身についての理解を深めるとか、同じ問題について理解のちがいや誤解のもとを明らかにするとか。それを見失い、目先の勝ち負けにこだわることは、長期的には万人にとって大損にしかならない。

 目先の勝ち負けに勝つ必勝方法は、ないわけではない。遙洋子という芸能人が、フェミニズムの論客として有名な東大の上野千鶴子ゼミで、議論の必勝法を教わったと著書に書いていた。自分が劣勢になったときも「わからない」と言い張って負けを認めなければ、議論に決して負けない!

 が……そんなのが本当の勝ちと言えるだろうか。自分でも劣勢なのはわかっているというのに? 強がれば外野には勝ち負けの判断ができないと思っているのかも知れないけれど、外野だってバカではないのだ。

 そして、議論——特にネット上で公開で行う議論は、相手のためにやるものではない。議論して、相手がその場で「そうか! オレがまちがっていたよ!」なんてことを言うことは絶対にないし「ググググッ」とかい言って黙ってしまうこともたぶんない。相手を説得しようなんて思ってはいけない。一方で、絶対に説得されまいとして相手のいうことをすべて否定しなければ、と思い込んでもいけない。議論で最大限できるのは、議論のどこがくいちがうのか、どこに認識の差があるのかを、その議論を見ている外野の人々にとって明確にすることだけだ。前提のうちどこまで共有できていて、どの点で見解がちがうのか? それが自分にも、見物人にもわかれば、議論としては上出来だ。

 人によっては、そんなのに関心はないかもしれない。罵詈雑言がとびかい、議論の当事者同士が口汚くののしりあうのがおもしろい、という人もいる。が、ぼくは少数派だと思う。各種まとめサイトで、罵倒や悪質な嘘や言い逃れは、それをやっている人に注意を喚起するためだけにまとめが行われている。参考になったと言って人々が見ているのは、悪質なデマの訂正と、きちんと論点が明確になる論争のほうだ。

 それを実現するには、やはり勝ち負けではなく、この議論で何を実現したいかを考えつつ話を進めることだ。もちろん人は、自分が正しいと思って各種の発言をする。それに反対するやつは、バカか悪の手先と思ってしまいがちだ。でも、その議論が変に思えても、相手のいうことにも一理あるかもしれない、少なくとも何か相手なりに誠実だと思っている理由があるにちがいないというところから出発しないと、まともな議論にはならない。そして変だと思う点については、「変だ、おまえはバカだ」と言うよりはまず根拠をきいてみることで対応する必要がある。そしてそれがなければ、深追いしても仕方ない。ある主張についてこれ以上話が進展しないと思ったらすぐに切り上げよう。

 同時に、もちろん議論の中で自分の発言の根拠が揺らぎ、劣勢を強いられることもある。そのときも、変な強弁や言い逃れはせず、かんちがいについては早めに認めることだ。そしていくつか決定的な反論や証拠が出てきても、別に即座に敗北宣言や宗旨替えを表明する必要はない。知らないことは知らなかったと認め、それでも納得いかなければ「考えてみる」といえばすむ。

 そしてどうなっても、自分が最後に一言何か言わないと気が済まない人もいるけれど、不毛だ。ネット上の論争は、そのときだけじゃない。必ず後に残る。言い逃れや強弁、はぐらかし、人格攻撃やデマの受け売りは後々ほじくりかえさえれる。そうした大きな目的と、長期的にどう見られるかを考え、自分がまちがっている可能性についても覚悟があれば、そんなにひどいまちがいはしないと思うんだが。


2012年2月号 連載第34回:(原稿紛失)


2012年3月号 連載第35回:ミャンマー現地報告と企業進出

 二〇一二年正月の世界はいまだに安定にはほど遠く、ユーロ危機の行く末はいまだ波乱含みだし、前から言われていた中国経済のバブル崩壊も、懸念材料として除外しがたい。そしてもちろん、北朝鮮がなにやら変な動きを見せて攪乱要因と化す危険はある。が、一方でそれらは予想しようもないし、アメリカが少し回復、アフリカが(南スーダンがひどいことになっているが)安定、アジアその他はいまのところあまり悪い材料もないようだ。ということで、今年一年が今の延長で保ってくれるならば、今年一番興味深い国の一つがミャンマーであることは疑いがない。

 いまのミャンマーは、当然ながら貧困国だ。そしてこれまでは軍事政権だの人権問題だのといったくだらない(いや、ぼくは本気でくだらないと思っている)話で経済封鎖をされていて、発展に取り残されてきた。だから東南アジアの最後のフロンティアと呼ばれている。 でもここはただの後進国ではない。かつてのイギリス支配もあって、法制度はある。証券市場も昔からある。人口も数千万人いて、ベトナムくらいの規模はある。ラオスやカンボジアもいいところなんだが、いかんせん人口が数百万人規模だと、できることに限界があるのだ。さらに天然資源もあるし、ポテンシャルはとにかく高い。みんな注目していて、日本の商社なども手ぐすねひいて待ち構えている。だからこそ昔から、JETROの事務所もあるのだ。

 実はいままでだって、欧米企業は経済封鎖といいつつ、うまいことトンネル企業を作って結構手を出しているし、そんな話は気にしない韓国や中国の企業がすでにどんどん来ていて、日本企業だけが律儀に進出を控えていてたいへんもどかしかったところ。ある禁止の一線があるとき、日本は線を踏んでもいけないと思うが、他のところは超えなければいいと解釈する、というのはよくあることだ。が、それでも他国でさえあまり欧米のご機嫌を損ねたくはないし、ものすごく大規模には出られなかったところ。

 が、それがここ数年にわたり、欧米との関係融和に向けて少しずつ努力を初めてきた。デモ隊への発砲などで一時後退はしたものの、いまやスーチーを解放し、形式的には選挙もやり、そろそろ封鎖も解けそうだ。そうすれば、今より大きな規模で各国が一斉に入ってくる。日本もODA復活が視野に入ってきたし、一気にビジネス環境が整うかも知れない。

 ちなみに経済封鎖をしたからって民主化が進むわけじゃない。国民は軍事政権に依存せざるを得ず、かえって軍政は強まりかねない。中国やアラブ圏でもわかるように、経済を発達させることで人々が権利主張と民主主義にめざめる可能性のほうがずっと高いはずだ。逆にそれは(やはりアラブ圏やこのミャンマー自身でも起こったように、不安定要素でもあるので要注意だけれど。

 むろん、投資が始まったらインフラ整備が急務となる。それ自体も事業のタネになるだろう。ちなみにミャンマーは数年前に、何を考えたのか、首都をヤンゴン(ラングーン)からネピドーという人工都市に移している。みんなおかげですごく迷惑しているが(貿易許認可もらうのに、ヤンゴンから往復一日はかかるとか)、まだまだ整備のネタはいろいろある。

 同時に、ミャンマーは観光資源はすごい。ヤンゴンについた瞬間にそびえたつ、世界の七不思議の一つとされるシェンダゴンパゴダから、マンダレーやバガンの遺跡など。他民族国家で地域ごとにいろいろなつがいが見られるのもおもしろい(これまた国内のいさかいのネタなのだが)。

 すると、今年くらいは観光を大幅にのばしつつ、インフラ整備を端緒につけるくらいのスケジュールだろうか。同時に、援助を利用した各種のインフラ整備が始まるだろう。

 同時に、いろんな企業の進出も進む。タイはもとより、ベトナムや中国の人件費もどんどん上がりつつある現在、多くの製造業は次の進出先を探している。最初はもちろん港湾インフラがイマイチなので、当初は陸路でタイに出せるような産業からとなる。繊維、食品あたりからだ。繊維ではすでに、ミャンマーはバングラデシュと並んで有望とされている(ついでにバングラも、かつては年の半分はストライキに明け暮れていた時代とは隔世の感がある)。でも、ここもかなり急速に追いついてくるんじゃないだろうか。

 むろん、これはすべてが順調にいけば、という条件つきだ。いまの軍政が突然気を変えたりする可能性はあるし、スーチー一派が政権を取って日本の民主党のようなまったくの政治オンチぶりを発揮する中で、国中が大混乱におちいってしまう可能性だって十分にある。でも、今年の終わりくらいまでには、そうした方向性もだいたい見えてくるだろう。ホント、いいところなんでうまくいって欲しいんだが……

近況:あと、アフリカがホント今年あたりブレイクするかも、と期待しつつ新年早々南ア出張です。


2012年4月号 連載第36回:バーナンキのインフレ目標

 アメリカの連邦準備制度(FRB)が、2%のインフレ目標を明示的に打ち出した。これは画期的な出来事だ。

 インフレ目標は、たぶんすでにあちこちで説明をお読みになっているだろうけれど、人々の物価に対する期待に働きかけて、経済を活性化する手段だ。日本のようにデフレが頑固に維持されていれば、これからも物価は下がり続けるだろう、とみんなが思う。そうしたら、何を買うにしても、来年まで待ったほうが得だ。消費も投資も控え気味になり、景気は停滞し続ける。でも、インフレ目標を中央銀行がうちだして、それをの実現を行動で示せば、みんな買い物や投資は早めにしておこうと思う。来年になったら値上がりするとみんなが期待するからだ。そうすると、景気は改善する。

 これまでもFRBのバーナンキ議長は、実績としては2%くらいに近い水準を実現していた。でもそれだけだと、ひょっとしたらインフレ抑制策を打ち出すかもしれない、と思われかねない。それならば、あわてて買い物をするより様子を見ようと思う人も増える。特に、FRBの中にはえらくインフレを恐れて何かというと金融引き締めを言い出す人もいるから、なおさらだ。でも明示的な目標値を掲げることで、FRBはそんな心配がないことを伝えている。そして、FRBがそれだけのインフレを維持できることは、かなり実証済みだ。

 が、これを受けた日本のマスコミ、そして日銀の反応はひどいものだった。まずFRBの発表の報道で、ほとんどのマスコミはなんとこの「インフレ目標」に触れなかった。続いて「いやこれは日銀がやってきたことと同じだ」とか、「目標と狙いはちがう」とかわけのわからない言い訳。さらにその後、慌ててインフレ目標っぽいものを日銀も言いだし、その一方でいまこれを書いている段階だと「インフレ目標の効果は限定的」なんてのがネット上のニュースでは流れている。

 日本はこれまで、十年以上ものデフレが続いて、景気も停滞している。景気停滞の要因をあれこれ指摘することはできるだろう。でも、デフレがその大きな要因の一つだというのはまちがいないことだ。そしてデフレは、中央銀行がきちんと対応すれば、解消できる。だったら、まずデフレを何とかしようよ。

 またデフレは人口のせいだといった議論もあるし、そうした面もないとはいえない。何もしなければデフレ気味になるだろう。でも、人口が減って高齢化しているところでも、デフレになっていないところは多い(というか日本以外すべてだ)。ちゃんと対策を打てばいい。

 が、日本はそれをやってこなかった。今になって、対策してきたとか、日本も物価目標があるとか言い出している。でも日本は、これまでどんな「目標」を持っているか明示的には述べてこなかった。そして実績を見れば、ずっと安定したデフレ。それが日銀の「目標」なんだとみんなが思うのは当然だ。デフレを継続したがっていると思われても仕方ない。

 そして今回の「目標」設定でも、日銀が自分で必要だと判断したわけじゃなくて、アメリカがやったから慌てて追従しただけなのは見えている。口先けなんじゃないかと思うのは人情だろう。ホントは日銀はデフレを続けたいんじゃないの?

 しかもその設定の数字がやたらに低い。実は物価水準の指標は、データの集め方その他によって、実際より一%ほど高めに出ることが知られている。実は世界各国は、それを補正しているけれど、日本だけはなぜか(某所からの圧力で)補正していない。だから日本でインフレ目標をやるなら、目標の数字も少し高めにしないとダメだ。現状の低い「目標」だと、実質的なデフレを続けますよ、という意図が見え見えだ。これまでの活動がすべてデフレ継続を向いている日銀による、あまりに低いインフレ目標に効果があるか? どうだろうかねえ。でも、少しでも変化があったのは朗報だ。

 実は、アメリカの2%の目標ですら低すぎるという批判はある。このインフレ目標の議論を一九九〇年代末に普及させたのはノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンだが、かれは2%なんて低すぎる、意味ない、いまは4%くらいのインフレがほしいところ、と主張している。まあ理論的にはそうかもしれない。

 でも、アメリカのインフレ目標のおかげで、日銀も動かざるを得なくなったという点では、日本にとってもありがたいところ。そして一方で日銀のこれまでの主張が眉唾だということを多くの人に気づかせるきっかけにもなったようだ。日本が停滞を脱するためには、今後もっと大きく金融政策の方針変更が必要なんだけど、今回のバーナンキの英断は、その一歩への大きな後押しとなってくれた。この勢いがこのまま続いてくれれば……

近況:エチオピアは結構快適だし、問題は山積みでも成長が続いている国はみんな希望があってよいものです。


2012年5月号 連載第37回:自殺は容認すべきだ

 自殺は、文化的な要因などもからむので話がとてもむずかしい。そしてそれに伴っていろんな思い込みも生じる。たとえば東南アジアの一部の国は、生まれ変わりを信じているので自殺に抵抗がない、という説がある。この世で失敗しても死んで生まれ変わればいいや、と思うので、ちょっとヘマをするとすぐに自殺してしまうのだとか。これはお話としてはおもしろいし、そういう国民性や宗教などの要因も当然ながら作用しているんだろう。イスラム教徒は、宗教で自殺が厳禁なので自殺者は少ない(自爆テロは一部解釈ではよいが、絶対数としては少ない)。

 が、もちろん自殺を積極的によいこととしているような文化や宗教はほぼない(一部厭世的な宗教などがそんなことを言い出すこともあるが)。社会的に見てもよいことではないし、それを減らそうという試みは行われている。そしてやはり世界的に見て、先進国の中で日本の自殺者数が多いのは決して自慢できることではない。が……なぜ多いのか、となるとなかなかはっきりしたことが言えないのだ。

 日本の自殺者数は、年間三万人を超えて推移はしている。でも人口十万人あたりで見ると、その数はここ十年くらいでは、増えているというよりは横ばい微減気味、というべきだろう。さてそうなると、一体何が原因だろうか。

 実はいまの自殺は別に多くなく、昔からこんなものなのだ、という説がある。百年前から見ても、十万人あたりでだいたい年間20人プラスマイナス五人で推移しているので増えていない、と。でも、この説で言う二十人プラスマイナス五人となると、よく考えればものすごく範囲が広い。こういう取り方をすると、なんでもあてはまりそうだ。

 また、こういう説明は、病気や自然死などについては納得がいく。病気や寿命は、基本的には確率的に生じるもので、それはよほど環境変化がなければ変わらないだろう。でも、自殺というのはこうした死とはちがう。それは人々が意志的に選び取るものだ。その選択を、マクロ的に扱うことはできるが、でも個別にはその人なりに死を選ぶべき理由はあるはずなのだ。

 さらに、これでは説明できないことがある。実は日本の自殺者数は1998年にいきなり30パーセントはねあがった。この急変ぶりに対し、それは単なるノイズであって、何も変化はないと主張するのは苦しいだろう。しかもその後、自殺者数はずっと高止まりしているのだ。

 だが、この急上昇の理由も、文句なしに明らかとまではいえない。多くの人は、当時の経済環境の急激な悪化が一つの原因だろうと見ている。時期的には符合している。そして遺書などを見ると、多くの人が経済的な問題を挙げているので、その説明にも一理はありそうだという。でも絶対にそうかというと、うーん。そしてその後の自殺者数も、決して失業者数や景気状況ときれいに連動しているとはいえない。が、他にはこれという説明がない。

 ホント、細かく見始めると、いろいろわからないことが出てくる。たとえばここ十年ほど、50代の自殺は急激に減っている。その分、70代を始め他の世代の自殺がじわじわ増えている。そこらへんもうまく腑に落ちる説明はなかなかないのだ。

 とはいえ、さっきも述べたように、自殺は人が意識的に選び取るものだ。自殺をした人には、自殺しなくてはならない理由がある。そうした理由を少しでも取り除き、厳しい選択に人々が追い込まれないような環境を作ることが自殺の減少に貢献するのはまちがいのないところ。景気回復だけでは解決しないかもしれない。でも、「だけ」である必要はない。1998年に増えた自殺者には、明らかに経済要因の人が多かった。なら、それを緩和することは自殺の緩和にも貢献するはずだ。

 その一方で、実はぼくは安楽死とか尊厳死というものを支持している。その中で、社会の中で自殺を選びたい人に対しては、その選択肢を認めるべきではないか、とも昔から思っている。もちろん、安易に認めてはいけない。そのためのハードルは必要だ。でも——最後の最後では、ぼくは自殺を容認すべきだと思っている。それを社会の中にどう位置づけていくかというところまでは、まだ考えが及んではいないのだけれど。

近況:エチオピアから一月ぶりに戻って参りました。ケインズ『一般理論』バナジー他『貧乏人の経済学』が近刊。

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