CarX / Mag X 連載 山形浩生の書評 (2008-2009年)

2008年10月号 連載第1回:アーリック『怪しい科学の見抜きかた』書評

 本は自信たっぷりに結論を断言するものがウケる風潮がある。その気が特に強いのは、最近ウンカのごとくに湧いている環境問題や特に地球温暖化ネタ。関連本は山ほど出ているし、最近になって懐疑論の本もきちんと出るようになったのはよいことだけれど、どちらの側も声高にどなる一方的な本ばかりが目立ち、どこまで信用すべきか判断しづらいことが多いのだ。

 その中でこの本は、地球温暖化説だけでなく、それ以外にも議論の分かれる各種の話題を八つとりあげ、まじめにきちんと検討した本なので、作者がどんな視点でものを見ているかがわかる。たとえば超能力、天地創造説、宇宙人、偽薬(プラシーボ)などについて、結論ありきで一刀両断するのではなく、各種の証拠を網羅的に見て、判断も白か黒かの決めつけでなく、いまの証拠だとどのくらい妥当かを示してくれる。他の話題についての議論の進め方と比べれば、著者が温暖化についてかなりフェアに(しかも中身をわかって)論じていることは明らかだ。

 で、温暖化についてのこの人の結論は? 多くの人にはちょっと意外かもしれない。著者は地球温暖化説をかなり支持する立場だが、やはりそれでも各種証拠を見ると、人類滅亡の大災厄は考えにくい、というのが著者の結論。温暖化はウソだとか二酸化炭素は関係ないというのはデマだけれど、それ以外の影響も確実にある。まだ未知の部分も多くて用心は必要だけれど、あまり神経質に騒いではいけない!

 この判断を受け入れるかはあなた次第。でもむしろ重要なのはその検討の手順だ。これは他のいろんなことの判断にも応用できるので、ざっと目を通すだけでも有益。お手軽な結論だけの本じゃないので、著者の議論につきあう忍耐はいるのだけれど、それぞれのテーマは短いのでそんなに手間ではないし、またお馬鹿ななネタもまじめに議論しているので、雑談の小ネタにも使える。ちなみにぼくは、著者の意見にほとんどの点では賛成なんだけれど、宇宙人の存在は……この著者が言うほど可能性が高いとは思えなかったんだけどなあ。


2008年11月号 連載第2回:飯田泰之『マネーの歴史』書評

 ちょうど執筆中に、サブプライム問題に端を発した金融危機がすさまじいことになって、その余波でぼくもプロジェクトが中止になって真っ青なのだ。でも、これが何の騒ぎやらわかりかねている人も多いだろう。昨日まではみんな何も問題がなかったはずなのに、一夜明けたらみんなダメとはどういうこと? 無理もない。金融というのは直感的にがいろいろあってホントは理解しにくいものなんだが、多くの人はお金について生半可にわかったつもりでいるので、なおさら変な誤解が横行する。みんなが損をしているからには、その分どこかで儲けているやつがいるはずだ、とか。でもそんなのではまったくないのだ。

 それは今のお金というのが、昔のように金や銀といった物の裏付けを持たない、相互のお約束でしかなくなっているからだ。だからといって一部の無知な人々のように、現代経済はすべて虚構で砂上の楼閣だとかいう話を真に受けちゃいけない。それは経済を大きくコントロールする手段を与えてくれた、すばらしい発展だった。でもその代償として、それはお約束をどれだけ信じるかという信用と期待に大きく左右される不安定な部分をどうしても持つようになる。そして経済が複雑になればなるほど、一つの事件の波及も大きくなる。A社がB社の株をたくさん持っていて、B社の株が下がったら、A社の事業にまったく変化がなくても、A社の株が下がってしまい、という具合。そうしたものの集積がバブルとその破裂だ。それを減らす方法はあるんだが、でも完璧ではないのだ。

 そんなことをやさしくていねいに学べるのが、飯田泰之『マネーの歴史』。これはこの分野では近年の名著として名高い一冊だ。お金やそれに伴う金融の仕組みを説明したうえで、その長所短所も解き明かしてくれる。たぶん皆さんがこれを目にする頃には、資本主義の終焉だの経済崩壊だのといった煽動本が店頭に並んでいるだろう。でもそんなものに手を出してお金を無駄にしないこと。この本を読んで、それが今回の一件とどう関わってくるのか自分でよく考えてみよう。


2008年12月号 連載第3回:クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』書評

 ポール・クルーグマンがノーベル経済学賞を受賞したので、今回はかれの著書を……と思ったら、重要なものはほとんどが絶版。やれやれ。手に入る中ではかれの経済学の教科書が読み物としてもピカイチにおもしろいんだが、それでは敷居が高いという人におすすめしたいのが、ぼくの訳した『クルーグマン教授の経済入門』だ。

 もちろん世の中には経済学の入門書は多い。ほとんどの本は、経済学はこんなことが説明できるしあんなこともわかる、経済学ってすごいでしょー、ということが書いてある。でもこの本が偉大だったのは、経済学で何がわかっていないかを明言してくれたからだ。

 経済で重要なのは、生産性の向上と所得分配と失業だけ。でもその重要なことがわからない。生産性がどうやったら上がるのかはわかっていない。なぜ貧乏人が貧乏なままなのかもよくわからない。失業も理由があってある程度以上は下がらない。経済政策だってできることは限られている。結局、そう簡単な答えなんてないんですよ!

 おお。敗北主義だと思う人もいるだろう。でもこの本を読んで、ぼくはずいぶんホッとしたのだ。よかった、自分が勉強不足なだけじゃないのか! そしてそれなら、経済政策がヨタヨタしているのも当然だろう。何をすればいいのかだれも知らないんだから。

 それがわかると、世の中の見方も変わる。世のえらそうなヒョーロンカたちも、実はわかっちゃいないのだ。「こうすれば生産性がぐーんと上がる」「貧乏は金持ちがサクシュしているせいだ」なんて言ってる連中は、かなりの確率でインチキなんだ。これでぼくは、バカな通俗ビジネス書で時間を無駄にすることはなくなった。

 ぼくのような一介のサラリーマンのみならず、いま現役バリバリの経済学者たちの多くも、本書を読んで救われたと語っている。これはぼくを含め、多くの人の核を作ってくれた本だ。経済学のどんな本より先に、まったくの偶然でこの本を手に取ったぼくは実に幸運だった。あなたにも、ぜひその幸運を体験して欲しい。いま絶版で入手しにくいけれど、図書館には必ずあるから。


2009年1月号 連載第4回:ウルフ『プルーストとイカ』書評

(確か、この号からCarX --> MagX になったように記憶している)

 雑誌を読み、そしてその中でもこんな書評なんかを読む人は、まあそれなりに本を読む人ではないかと思うわけだ。だが本を読むということが人類にとってどんな意味合いを持つか、考えたことはあるだろうか? この変な題名の本は、まさにそれを脳科学から解明した本だ。

 字を読む、というのは実はかなりややこしくて変な活動だ。そしてそれを行うために脳はかなりの変化を余儀なくされる。その変化は、子供時代の脳の発達に並行する形で生じ、ものを読む能力を子供時代に身につけた人は、言わば読書脳を獲得する。本書はそれを脳スキャンにより細かく説明してくれる。

 それは本を読む人ならみんな知っている、ただの書かれた字面の中にまったくちがう世界を体験する能力をもたらすものだ。それは同時に、別の状況に自分を置いてみたり、他人の身になって考えてみたりする能力にもつながっている。それはいまの文明の基礎にもなっている。でも一方で、そのために人が失ったものも大きい。それを示すのが失読症の人々だ。かれらは字がなかなか読めない。が、その多くは独特な能力を発揮する。エジソン、アインシュタイン、ピカソ、トム・クルーズなどは有名な失読症の人々だけれど、かれらはある種の空間把握能力に秀でている。人類は読書と引き替えにそうした能力を失っているのだ。そしていま、ネットにより文字環境がまた変わろうとしているけれど、それは人類をどう変えるだろうか?

 もちろん、そんなことがわかっても何の役にもたたないかもしれない。でも物を読むのは別に、目先の利益だけを求めてのことじゃない。二〇〇八年に読んだいろんな本の中で、この本はまったく予想外の視点から、ぼくたちが当然のように行っている活動に新しい光を与えてくれた意外な収穫だった。お正月の気楽な読書に、是非どうぞ。自分の脳内のうごめきがなんとなく感じられるようになって楽しいですぞ。そうそう、あとは赤ちゃんのいるご家庭も是非。あまりはやくから字を教えようとしてがんばってもまったく無意味だということがよくわかるので。


2009年2月号 連載第5回:ヴァンダービルト『となりの車線はなぜスイスイ進むのか』書評

 これまでの経済学は、人間が完全に合理的に行動するというのを前提にしていた。でも、実際の行動を見ると、必ずしもそうでないことも多い。見栄とか、あるいは過去のまちがいを取り繕おうとして墓穴を掘るとか、あるいはあまりに細かい損得は面倒なので気にしないとか。そうした不合理なクセをもとに、それが従来の理論をどう変えるか見るのが行動経済学だ。

 ただし一部に誤解があることだけれど、これは人間にまったく合理的がない、という話ではない。あくまで細かいところでちょっと不合理な面があるというだけ。でも、それが大きなちがいを持つ場面もあるということだ。

 そして車の運転でも、そうした現象が起きることはある。渋滞で、なんだか自分のいる車線だけが遅いような気がすることはないだろうか? ハンドルを握ったとたんに攻撃的になる人に会ったことはないだろうか? 渋滞のときに、なぜ渋滞しているのかがわかると(別に車が速く進む訳でもないのに)安心したりしないだろうか? こうした行動や感情は、合理的とは言えない。でもそれが実際にだれにでもあるのもまちがいないこと。

 本書は、そうした交通にまつわるあまり合理的でない話を次々にあげ、それをめぐる各種の研究を紹介してくれる。その分野は、心理学や経済学、複雑系やシステム理論など実に多岐にわたるけれど、すべて運転者(または乗客)としての体験で思い当たるふしのある話ばかり。シートベルトやABSの影響の話も、すべてその人間行動の奇妙なゆがみが原因だ。自分の日頃の何気ない運転に潜む、気がつかなかった特性が、本書を読んだあとでは何となく意識されておもしろい。もちろん、それでどうなるわけじゃない(安全への配慮では少し気をつける部分もあるけれど)。でも、いろんなことの原因や説明がわかると、苛立ちも減って安心するというのも本書の指摘だ。一読すれば、あなたもちょっと心穏やかに運転できる、かも。そして自分の行動の背後にあるいろんな分野の分析もわかって、知的な興味も大きく拡大するだろう。小ネタも満載で楽しい本です。


2009年3月号 連載第6回:ポースト『戦争の経済学』書評

 普通、物書きでも翻訳家でも、得意分野がある。が、最近のよい本のほとんどは、複数の分野にまたがっている。そしてこれが最近見かける誤訳の大きな原因となっている。最近の翻訳者は英語の実力はかなり上がったけれど、でも自分の分野を外れるととんでもない誤訳をやらかしがちなのだ。

 その点、ぼくはやたらに守備範囲が広いから、基本的に何でもカバーできる。本業が別にあるので、あまり売れそうにない手間のかかる本でも平気でやる。さらに注目されていなくても重要な本を自分で見つけてきて、それがなぜ重要か説明する解説が書けるのも売りだ。仕入れ、企画、製造、営業、あらゆるレベルでフルサービス支援が提供できるのがぼくの強みではある。

 そのための努力もする。たとえば『クルーグマン教授の経済入門』は、経済分野の翻訳実績がなかったのでまず自分で勝手に全訳してから出版社を探し、翻訳書の経験のなかった版元のために版権交渉までやった。経済の話と環境科学の話が交錯するロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』も自分で見つけて売り込んだ。新規分野への進出はそれなりに手間もかかるけれど、でも自分の勉強になっておもしろい。

 ポースト『戦争の経済学』もそんな一冊。まったく無名の著者による、特に話題にならなかった本で、ぼくもたまたま原著を店頭で手に取っただけだった。でもぼくたちが戦争について知りたいことが一通り出ている実に便利な本だった。軍需産業が武器を売るために戦争をあおるというのは本当か? テロはなぜ起こる? F−16っていくらするの? 傭兵って? そしてそもそも戦争って割にあうの? その長所を企画書で説明し、欠けているものは解説で補って、おかげで大変よい本に仕上がったし、版元も本の実力を理解して価格を抑えるように努力してくれた。

 ついでに、企画段階から関わることで、信用されるから文体でのお遊びも許されるようになる。そしてぼくは、原著のよさを活かすような文体を選んでいるつもりではあるんだが——これは読者のご判断を待つしかない。

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