Webで勝つには汚い手を

THE WEB GETS UGLY

Paul Krugman 著, New York Times 1998 年 12 月 6 日

山形浩生 訳(hiyori13@alum.mit.edu)



「犬が人に噛まれる」というほどのことではないのかもしれないけれど、シャピロ&ヴァリアン『ネットワーク経済の法則』(邦訳IDGコミュニケーションズ)は、ケヴィン・ケリー『ニューエコノミー勝者の条件』(邦訳ダイヤモンド社)より売れているようだ。どっちの本も、インターネット時代のビジネスマニュアルを自称している。でも、ケリーはWiredの上級エディターであるだけでなく、書き方も最高のトム・ピータース張りで、新語・造語を機関銃のように目にもとまらぬ早業でくりだし、ルールはすべて変わった、ふるくさい前提を捨てる勇気さえあれば、無限の可能性が広がっているんだ、と息もつかせず宣言しまくる。そのかれが、なぜ「わたしたちが求めるのはモデルであってトレンドではない。ことばではなく概念だ。そしてたとえばなしではなく分析だ」なんて宣言するような、どんくさい経済学の教授なんかに売り上げで負けているんだろう。

 もちろん出版物の売れ行きの秘訣っていうのは、なぞめいたものではある。でもこの売り上げ競争は、ビジネス――そして世間一般――が持つインターネットと、そしてそれを言うなら「ニューエコノミー」に対する評価の、ターニングポイントを示すものかもしれない。ケリーは、出身の Wired 流に忠実に、いわばニューエージとホレーショ・アルジャー的少年冒険小説のごたまぜみたいなものを提供してくれている。このすばらしき新世界では、企業家たちは、よいことをすれば儲かるんだ、とケリーは言う。シャピロとヴァリアンは頭がかたくて、マキャベリ的とさえいえる。かれらによれば、情報でお金儲けをするには、競争相手よりうまくたちまわって顧客を搾取するために、賢い方法やときにはこずるい方法まで動員しなきゃいけないよ、という。

 ほかならぬこのぼくの悲しいお話を考えてほしい。きわめて現代的な教授として、ぼくは書いたものの多くを個人Webサイトにポストする。ぼくの英知をダウンロードするという特権に対し、みんなにお金を払ってくれと頼むのは、きわめて当然のことに思えるだろう。でも一方で、いったん論文を書いたら、べつの人間にこのサイトにアクセスしてもらうのに、ぼくには一銭もコストがかからない。アクセス料をとったりしたら、潜在的な読者たちの一部はいやがって、相手もぼくも損をすることになる。さらにぼくの読者層は、ある程度は口コミでささえられている。読者が少なくなると、かれらから話をきいてぼくのサイトをチェックしたはずの潜在的読者も減っちゃうことになる。じゃあ、ぼくはいったいどうやってこいつで金をもうけりゃいいんだ?

 この答えを知ってたら、ぼくは名前に「.com」をつけて、IPO でもやらかして一瞬で大金持ちになってるだろう。でも、ぼくのジレンマは、基本的には多くの企業が直面しているモノと同じだ。

 情報産業というモノは一般に――ネットベンチャー、ソフト開発、そしてハードウェアのメーカーの多くでさえ――はすべて、高い「固定費」(記事を書いたり、ソフトを開発したり、新しいチップを設計したりする一回限りのコスト)と、低い「限界費用」(もう一人の人が記事を読んだり、ソフトを使ったりするのにはコストはほとんどかからないし、チップをもう一個つくるコストもたいしたことはない)と、そして「ネットワーク外部性」(きみのアイデアやソフトやチップを使う人が増えるほど、それは普及して、したがってそれを買いたいと思う人も増える)を持っている。これでどうやってお金をもうければいいだろう?

 ケリーの答えは、そんなことは心配するな、というもの。ケリーの現代ビジネスの「勝者の条件」には、こんなモットーが含まれる。「無料(フリー)に続け」(ものを無料でばらまけば、ほかのものを売るときに役に立つ)、「まずはWebに食わせろ」(「企業価値最大化から、Web価値最大化」へのシフト)。言い換えると、サイバーの水にパンを投げると、それは何千倍にもなって戻ってくるよ、というわけ。

 シャピロとヴァリアンは『ネットワーク経済の法則』というのは、固定費が高くて限界費用の低い産業にはずっと適用されてきた法則の、拡大版にすぎないよ、と主張する。そういう産業というのは、たとえば航空会社とか(訳注:航空会社では、最初に飛行機を買うのはものすごく高くつくけれど、いったん買ったら、乗客を一人増やしてもコストはまったく増えない)。さて航空会社は、お気づきでないかもしれないけれど、「無料に続け」なんてことはやってない。航空券は一ヶ月前にご予約を、そして土曜の晩も泊まって日曜出発にしましょう、するとずいぶんおやすくなります――でもこれは、そうすると航空会社にとってコストが低いからじゃない。こういう制限をつけることでビジネス客ははねられる。そのビジネス客からは思いっきりしぼればいいのだ。

似たような戦略は、情報セクターにも適用できる。シャピロとヴァリアンは、IBMの高価なホームオフィス向けレーザプリンタの E シリーズの例をあげて、しかもそれを高く評価している(ああ、これはビジネスのガイドであって、行儀作法のガイドじゃないのをお忘れなく)。Eシリーズは、トップクラスのFシリーズより遅かったけれど、それは品質が低かったからじゃなくて、わざわざ遅くするためのチップが含まれていたからだ。さらにかれらは、Windows NT Workstation の例を挙げる。これはずっと高価な NT server とほとんど同じ代物で、ちょっとばかりコードを変えて機能を落としてあるだけ(訳注:これはNT4.0の頃ね)。一言でいうと、シャピロとヴァリアンによれば、ニューエコノミーというのは汚い手を使うことで儲かるような、そんなところなんだ。

 というわけで話はもちろん、政治のほうへ。ほんのしばらく前まで、サイバーエリートたち――その先導者の一人は、Wired創始者の一人ルイス・ロセットだ――の間で支配的なイデオロギーは、強いリバータリアン的なものだった。デジタル人たちが政府に求めるのは、ほっといてくれというだけ。ケリーがこの見解に同意しているかは知らないけれど、でも確かにこの本は、政府の介入が不要か、あるいはまったく無意味な世界を描いているように思える。(訳注:もちろんケリーは政府不要論者だ。かれの前著『「複雑系」を越えて』は原題が Out of Control、いかに複雑なシステムが、外からコントロールされずに自律的に組織化されていくかについて、複雑系理論をオベンキョーした本で、かれはそれをすばらしいことだと思っている)

 一方、ヴァリアンとシャピロの描くニューエコノミー(ちなみにこの二人は、1995-1996にかけて、司法省の主任反トラストエコノミストだった)というのは、まさに政府の介入が必要不可欠なところに見える、市場が機能しなさそうなところがいっぱいで、企業が汚い手をつかって、競合相手だけでなく消費者にも害を与えるような機会が山ほどありそう。「政府の役割が減るなどと考えてはいけない」とかれらは警告している。そしてかれらの本の巻末には、政府がどうすべきかという処方箋だけでなく、企業が反トラストがらみのもめごとに巻き込まれないようにするにはどうすればいいか、というアドバイスまで書いてある。ビル・ゲイツも、草稿を読ませてもらってたらよかったのにね。

 まあこれは、本の売り上げを深読みしすぎているかもしれないけれど、でもぼくに言わせれば、シャピロとヴァリアン本の成功は、マイクロソフト裁判と同じで、情報時代が無垢の時代を卒業したっていう証拠なんだ。情報技術はもう、理想主義者が楽しみながらやるものじゃない。それはもう巨大ビジネスになっただけじゃなくて、その根底にある法則がまさに、価格差別や収奪価格みたいな反社会的なふるまいを奨励するようなビジネスになってしまったんだ。ひとことでいえば、ガレージのおたくどもにはさよなら、そして暴利をむさぼる鉄道王さんこんにちわ――ああそれとついでに、ケリは裁判でつけようぜ、というわけ。



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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>