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オイルショックを考え直す

THE ENERGY CRISIS REVISITED

Paul Krugman 著, 2000 年 3 月

山形浩生 訳(hiyori13@alum.mit.edu)



 今日のNew York Times の石油に関するコラムで、ぼくは経済の専門家がオイルショックを理解する努力を驚いたことにしようとしないことについて、批判をした。オイルショックは、確かにずいぶん昔のできごとではあるけれど、当時はすごくだいじなできごとだったし、下手をすると将来の危機のモデルになるかもしれないんだ。この文で、ぼくはコラムでの論点をいくつか発展させてみたいと思う。

オイルショックの謎

 これは見当だけれど、もし適当に経済学者をつかまえて、1970 年代に何が起きたのかきいてみたら、答えはたぶんカルテルの興亡のお話ですよ、ということになると思う。でも、あの当時ですら OPEC が言われていたほど核心的な存在だったのかは疑問視されていたし、その疑問はいまでも十分に有効だ。

 このカルテル話の基本的な問題はいろんな人が指摘したけれど、それをいちばん強力にやったのは、Cremer と Salehi-Isfahani の 1980年に出回っていた論文だ。ただし正式にこれが公表されたのは 1989 年だったけど。基本的には、OPEC は額面通りにとれば、まともなカルテルの成功要因を持ってなかった。文化的にも政治的にもバラバラすぎた―― OPEC のメンバーは、間もなく歴史が示した通り、おたがいに実弾でドンパチやるのも平気だったんだよ。それが価格競争を避けられるわけないじゃないの。そしてこのカルテルは、いちばん基本的なカルテル行動すらしなかったんだ。生産統制。かれらがやっと生産統制を始めたのは、石油価格がすでに落ち始めてた 1982 年になってからだ。

 こういう批判に対する従来の答えというのは、OPEC にはカルテル内カルテルがあったのよ、というものだ。サウジアラビアとそのご近所数カ国は、生産統制をやって、それで OPEC はなんとか機能した、というわけ。確かにこれは一理ある。でもサウジその他の産出量が世界の原油産出のどのくらいかを見ると、まだまだ少なすぎて眉ツバだ。サウジの生産統制は、ほかの産油国が自分たちの生産をかなりおさえていなければ、うまくいかなかっただろう。1982 年に生産統制が始まる前に、それ以下の生産量に抑えなきゃならないこともあったはずだ。

 というわけで、12 年も続けて原油価格を高値にしておけたのを、どうやって説明しようか。

複数の均衡解(Multiple equilibria)

 どうも 1970 年代後半に、かなりの人が供給の奇妙な反応について、オイルショックの重要な要素だと主張しはじめていた。Cremer と Salehi-Isfahaniはこのアイデアを論文にしたけれど、どういうわけかそれはあまり影響力を持たなかった。でも、この点についてはまた後ほど。

 基本的なアイデアというのは、石油というのが他の財とちがっているのは、カルテルがあるという点じゃなくて、それ以外の3つの事実によるんだ、ということ:

 石油が有限な資源だと言うことは、それを採掘しないというのが一種の投資だということだ。そしてこれは、原油価格が高ければその国の政府には魅力的にうつる投資になる、もし原油価格がいきなり高騰して、国がものすごいキャッシュフローを手にしたときに、それをすべて消費しちゃいたくなければ、できることは3通りしかない。自国で本当の投資をすること。これは収益逓減の法則に支配される。外国に投資してもいい。そして、原油生産をカットすることで「投資」し、つまりは生産をカットしてもいい。

 なぜ丸ごと外国に投資しちゃわないのか? 理由はいろいろあるけれど、理由の一つはまちがいなく政治的なものだ。イランもイラクも思い知ったように、外国にある資産は大サタンに差し押さえられる危険性がある。

 というわけで、どこかの範囲では、原油価格が高くなると原油生産量が減ることになる。そして Cremer et al が示したように、原油は需要の価格弾力性がものすごく低いので、これはつまり複数の均衡解ができるってことだ。Figure 1にそれを示した。供給曲線が途中で向きを変えて、需要曲線が直立していると、低い価格 PL と高い価格の PHの両方で安定した均衡点ができる。

石油の複数均衡解  

 蛇足ながら、このモデルに納得するには、別に完全競争市場を信じていなくてもいい。それどころか、おそらく――きちんと定式化したモデルは試してないけど――高価格になると、ある程度の市場支配力を持った国なら、準協力的な均衡を維持するのが簡単になるはずなんだ。たとえば、国が現金をいっぱい持っていたら割引率は下がるし、そうなると、現在の収入は増やすけれど、いずれ高価格体制が崩れるリスクを高めるような、出し抜き行為の将来的なペナルティは、もっと大きく見えるようになるだろう。

 カルテルとして見たときに OPEC が明らかに弱かったという点はさておき、原油価格の高騰と下落の歴史というのも――クレーマーもそう思ったし、ぼくにもそう思えるんだけれど――なにやら複数均衡解のお話らしく思えてしかたないんだ。もとの原油価格高騰は、突然まったく予想外にやってきた。短期的な供給制約で、長期的な効果が出たわけだ――これは、カルテルがだんだんと自分の市場支配力を見極めていくときに起こるようなことじゃない。あるできごとが市場を一つの均衡点から別の均衡点へと「傾けた」ときに起きるようなことだ。1986 年の原油価格崩壊だって、ものすごくいきなりやってきた。これまた、均衡点が一つつぶれて別のができたんじゃないかと思える。

 なぜこの複数均衡解の見方がもっと広く受け入れられなかったのか? こいつはいささか謎だ。ひょっとして当時はあまりに風変わりに思えたのかもしれない。特にこんな泥臭い(まあ地中からとれるものだし)石油みたいな産業に適用するには。それとも、Hotelling系のモデルのほうが魅力が強すぎたとか。ただし、このモデルはまるっきりうまくいかなかったんだけれど。Cremer and Salehi-Isfhani の 1989 年と 1991 年の論文では、自分たちの研究に興味が持たれないことについて、不可解に思いながらも絶望した調子が明らかに見て取れる。

 なかでも特に奇妙なのは、こういう華々しい複数均衡話ってのは、ハイテク分野に適用するのはいますごくはやってるんだよ。それなのに、古くさいエネルギー問題なんて、もうだれも興味を持ってないわけ。

オイルショックと他のショック/危機

 オイルショックのモデルづくりを見直してみて、ぼくがびっくりしたのは、アジアの通貨危機で起きた問題をモデル化するときにでてきた問題と実に共通してるってこと。ここでも危機はいきなりあらわれて、みんなを驚かせた。そしてここでも、いちばんいい理屈は、なんらかの複数均衡点を持ってる。おそらくは、ドル建て債務のバランスシート効果のせいで生じたものだ。これをまとめた拙稿 Analytical afterthoughts on the Asian crisis で、ぼくはこういう議論に沿ったモデルの簡易版が、Figure 2みたいな図で示せることを述べた。Figure 1とは明らかによく似ているよね。

通貨危機の複数均衡解

 オイルショックとの共通点はもう一つある。アジア通貨危機が終わったので、みんなみるみる興味を失ってきてるってことだ。通貨危機も、経済学において複数均衡点の話がだいじなことと、市場の潜在的な不安定性についての客観的な教訓として見なきゃだめだとぼくは思う。でも経済学界はさっさと顔をそむけて別の問題に向かって、危機についても――たまに考えることがあったとしても――耳障りのいい、あまりおっかなくない用語で言い直してことたれりとしてる。

「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」と言ったのはマッカーサーだけど、たぶん経済学の重要な謎も決して解決されず、ただ消えゆくのみ、なのかねぇ。



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