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日本:まだはまってます。

JAPAN: STILL TRAPPED

Paul Krugman 著,1998 年 11 月

山形浩生 訳(hiyori13@alum.mit.edu



 こないだの春(1998 年 5 月)にぼくは、日本がはまった罠という論文で、日本のはまっている流動性トラップに対する自然な解決法というのは、意図的ではっきりと、そこそこのインフレ政策を採用すると発表することだ、と論じた。そしてまた、金融政策が効かないのは、まさに民間部門が、日銀は責任ある(物価安定を目指す)形で動くだろうと期待しているからで、だからいまの金融拡大は、将来の物価水準についての期待についての期待に影響しないせいなんだ、というのを論じた。
 この論文とその続編、それにブルッキングス研究所に出した論文にはみんなかなり興味をもってくれたようなんだけれど、まあ予想通り、実際の日本の政策を変えるところまではいっていない。かわりに、伝統的な「慎みの大砲」――物価安定指向を続け、さらに強い(少なくとも弱すぎない)円を目指すという方針――がこれまでは栄えてきている。日本の回復戦略は、そういうわけで、財政出動と銀行への資本注入が中心だ。日銀は実際には、かなり従来とはちがう金融オペレーションをやっている(苦しい企業に直接お金を貸して、その債務を担保に取るとか)。でもそれはかなりコソコソした、ほとんど恥じ入るようにといっていいやり口で、だからぼくが必要だと論じたような「無責任になるという責任ある約束」を作り出すには至っていない

 でも、お話はまだまだ終わっちゃいない。それどころか、過去数ヶ月(1998年冬)のできごとは、ぼくが春に述べた理屈をさらに裏付けるものでしかない。もとの論文で述べたとおり、日本の本質的な通貨問題というのは、円が過剰に弱いというものではなくて、インフレを起こす気がないと円が強くなりすぎて、必要な資本が輸出されないということだ。ここしばらくの円高は、この議論を一層わかりやすくしているだろう。さらに銀行への資本注入が実際に行われてみると、銀行をなおすのもそれ事態としては必要だけれど、経済のマクロ経済的な問題を解決する役にはあまりたたないというのが、前よりずっとはっきりしてきたと思う。そして最近の、日本の財政赤字拡大や、ムーディーズが日本の国債の格付けを下げることにしたという決定を見ると、財政出動もこれで限界か、近々限界に達するのも見えてきた。というわけで、日本に必要なのはそこそこの「管理された」インフレだ、という議論をもう一度述べておくいい時期ではないかな。

 この論文は、日本にインフレが必要だという議論を、最近のできごとを鑑みてさらに強調する、というだけが狙いではない。もう一つ目的がある。それは、これがとんでもないへんてこな提案ではない、ということをもう一回説明しなおうそうということだ。へんてこどころか、日本経済はマイナスの実質金利が必要だ――つまりは期待インフレが必要だということ――は、ほとんどのマクロ経済学者が政策分析に日常的に使っている枠組みから、直接的に示唆されることなんだ。
 ぼくの理由づけが実に伝統的なものだという点は、これまでの論文だと、「期間をまたがる最大化」の枠組みのために、ちょっと見えにくくなっていたかもしれない。この枠組みは、ぼくがある種の混乱を避けるために必要だと思ったから採用したんだ(どうしても知りたいなら、こういうことだ。ぼくは最初、「ピグー効果」が議論の中で重要になってくるかもしれないと考えていた。それが重要でないことを自分でも納得するのに、期間をまたがるモデルが必要だったんだ)。とにかく、今回は議論を完全に伝統的な、開放経済の IS-LM モデルで語ってみよう。これはクルーグマン/オブスフェルドの国際経済学の教科書や、オリヴィエ・ブランシャールのマクロ経済教科書に出ているモデルそのまんまだ。

 この論文は4部に分かれる。最初の部分では、もともとジョン・ヒックスが述べたIS-LMモデルのおさらい。このいちばん伝統的なマクロ経済モデルでは、「経済が流動性トラップにはまっている」ということと、「完全雇用を実現する均衡実質金利がマイナスである」というのとは、基本的に同義なのだ、ということを示す。第二部では、経済を財と資本について開放経済にしてやって、開放経済でも――またもやいちばん伝統的な枠組みの中でも――流動性トラップは起きるんだということと、それが起きた場合には、通貨が十分に下がらなくなるんだということを示そう。第三部は、この分析が相変わらず日本に関係があるんだと論じる。最後の部分では、この議論についてのこれまでの論争をふりかえってみる。

1. 実質金利と流動性トラップ

 ヒックスがもともと、1937年に提出した形の IS-LM モデルからはじめよう。貯蓄と投資を図にする。ヒックスが指摘したように、「古典的」な金利の理論だと、金利というのは貯蓄したい額と投資したい額が等しくなるように決まる。これを示したのが次の Figure 1だ。

普通の貯蓄と投資のグラフ

でも、経済がキャパいっぱいで生産しないという可能性を考えてみれば、貯蓄も投資も、実質金利だけじゃなくて、実質所得の水準にも左右されるのの気がつくだろう――だから貯蓄は S(r,y) と書かれて、投資は I(r,y) と書かれることになる。だからといって、 Figure 1 がまちがっているわけじゃない。ただ、Figure 1 の示す均衡実質金利は、実質の産出がある一定水準にあるときだけ成り立つ、ということだ。実質の産出が増えると、その任意の金利水準で、おそらく貯蓄と投資が両方増えるだろう。でも、ここでの伝統的な仮定としては、貯蓄のほうがたくさん増えて、実質の金利は下がることになる。実質の産出水準の可能性を一通り考えてみると、出てくるのは Figure 2 に示すような IS スケジュールだ。この図は以下の式で決まってくる。

S(r,y) = I(r,y)

 一方でもちろん、マネー市場もはけなきゃならない。伝統的な方程式は単純至極で以下の通り。

M/P = L(y, i)

 ここでi は名目金利、つまり実質金利に期待インフレ率を足したものだ。ここで示唆されている LM 曲線を描くには、期待インフレ率を指定する必要がある。Figure 2 は、期待インフレがゼロだという仮定で描いてある。

IS-LM 曲線の、金利が低いあたりでの図

 マネー需要について細かいことを指定しなくても、LM 曲線がゼロ以下にいけないのは明らかだ。マイナスの名目金利にしたら、価値をたくわえておくのにだれも債券なんか使わず、現金に頼るようになるだけだからだ。したがって、 LM 曲線が「ふつうの」範囲だとどういう形かはさておき、全体でみれば、だいたい上の図に描いたような形になっているはずだ。左側のところは、ゼロにすごく近いところで平らになるわけだ。そして IS 曲線がたまたまこの平らなところで交差するようなら、この経済は流動性トラップにはまっている。金利はゼロという定数にぴったりはりついていて、金融拡大ではそれを下げられない。

 これはすべて、いちばん基本的な教科書通りの代物。でも上の Figure 2 には普通の教科書よりちょっとよけいなものを足してある。「完全雇用」での産出水準 yf を示して、IS曲線を実質金利ゼロの先までのばしてあることだ。これはヒックスの説明をもっと完全にしたものなんだけれど、ここからすぐに明らかになるのは、もし経済が流動性トラップにはまっているなら、たとえ実質金利がゼロでも、完全雇用のときに貯蓄は投資を上回ってしまうと言うことだ。式で書けば次のとおり。

S(0, yf ) > I(0, yf )

 もとの貯蓄・投資の図で考えると、完全雇用水準の産出での曲線を描くと、それは次の Figure 3 みたいになっているはずだ。

金利が低いときの完全雇用での貯蓄・投資図。流動性トラップにはまってます。

 そしてこの 2 つの図から明らかになるのはもちろん、いまや貯蓄と投資を完全雇用でマッチさせるような(プラスの)実質金利は 存在しない、ということだ。つまり完全雇用を実現する実質金利はマイナスだということ。だから、中央銀行がみんなに対して、将来のインフレ率が十分に高くなって、マイナスの実質金利が可能にならないと、金融政策で経済を完全雇用にもっていくことはできないよ、というわけだ。

 たったこれだけの話だ。なんで貯蓄がこんなに高くて、投資需要がこんなに低いのかな、と不思議に思うかも知れないけれど、流動性トラップにはまった経済というのがいま立証したように期待インフレを必要としているんだという結論は、ちっとも変てこじゃない。これは想像しうるいちばん伝統的なマクロ経済の枠組みから、ダイレクトに出てくる話だ。

2. 開放経済

 いま見てきた分析に対して、いちばんよくある反対というのは、日本経済は国際資本フローに対して開放されているじゃないか、というものだ。ある人は、海外にプラスのリターンを持つ投資機会があるなら、流動性トラップは起きないと論じる。ある人は、「管理インフレ」だと円が暴落して、そして/あるいは資本が海外に逃げ出すだけだから景気の刺激にはならないよ、と論じる。ほほう、じゃあ IS-LM の枠組みに為替レートと資本移動と国際貿易を導入する、標準的なやり方があるから、それでどうなるか見てみようではないの。

 まず財の市場から始めよう。開放経済では、貯蓄と投資の関係は、純輸出も考慮に入れる必要が出てくる。これを伝統的なやりかたで処理するとこうなる:

S(r, y) - I(r,y) = NX(e, y, y*)

 ここで e は実質為替レートの対数をとったもので、為替レートは非アングロサクソン式のやり方で記述してある(つまりレートが高いほうが通貨が弱いことになる)。さらに、モデルを完全にしておきたいというだけの理由で、外国の産出 y* も入れておこう。

 するといちばんだいじな問題というのは、実質為替レートを決めるのはなにか、ということだ。標準的な答は(たとえば連邦準備銀行の多国モデルで使われているようなもののだ)、「アンカー」モデルの変種だ。まず、投資家たちが、長期の均衡実質為替レートについて、なんらかの見当を持っているだろうと考える――このレートを eL としよう。投資収入に関わる話を無視すれば、この長期レートというのは純輸出が完全雇用でゼロになるレートに対応したものだと考えられる。つまり eL というのが次のように決まってくる。

NX(eL , yf , y*) = 0

 仮に投資家たちが、実際の為替レートがだんだんこの長期レートに近づくと考えていたとしよう。たとえば、毎年ギャップを g の割合で縮めていくとしようか。さらに、国内債券と外国債券の期待リターンは等しくなるように為替が動く、と考えよう。こうすると、以下のようなアービトラージに基づく方程式が出てくる。

r - r* = g(eL - e)

 ここで r* が外国の実質金利だ。だから、実質為替レートの式はこうなる:

e = eL - (r - r*)/g

 つまり実質為替レート、そして純輸出は、産出がどんな水準にあっても、実質金利で決まってくるわけだ。

 これで次の 3 点がただちに明らかになるだろう。

 まず、実質金利がゼロやマイナスだからといって、その通貨が果てしなく下落を続けることにはならない。その理由は、人が「ふつうの」為替レートがどの程度かについて見当を持っていたら、いまの実質レートがそれよりずっと下にある時には、将来の実質レートがあがるだろうと考えるからだ――そしてそうなると、国内債券は魅力的な資産になる。その実質リターンが、国内物価指数から見てマイナスだったとしても。

 第二に、実質為替レートが果てしなく下がり続けない以上、実質金利がマイナスでも、ある産出レベルで出てくる純輸出は有限にしかならない。

 第三にここから、完全に資本移動について開放されている経済であっても、流動性トラップにはまることは十分にありえる、ということが言える。その可能性を Figure 4 に示した。このグラフには、貯蓄・投資ギャップと純輸出を、実質金利の関数として示してある。どちらも、産出が完全雇用水準だという前提になっている。純輸出が完全雇用水準の産出によって変わるのは、繰り返しになるけれど、すべての yにおいて、実質金利が実質為替レートを決めて、それがこんどは純輸出を決めるからだ。(eL が完全雇用で純輸出ゼロにするレートだという前提があるので、r = r* なら NX = 0 だ)。

貯蓄・投資ギャップ (S-I) と純輸出 (NX) の関係

 こうして描いた通り、完全雇用で S-I を NX と等しくするには、マイナスの実質金利が必要になる。もし期待インフレが不十分なら、名目金利がゼロでも経済は完全雇用に達しない。だから経済は、貯蓄を海外に輸出できても、流動性トラップにはまったままだ。(確かに海外に資本を輸出できるようになると、流動性トラップは起こりにくくはなる。なぜなら、完全雇用での貯蓄が実質金利ゼロでも投資を上回るような国でも、そういうトラップにはまらないですむ場合ができるからだ。それでも相変わらず、流動性トラップにはまることは十分に可能だ。)

 なぜこんなことがあり得るんだろうか。これは、実質為替レートが「ふつうの」水準に戻るという期待のために、実質金利がゼロでも実質レートの下落は限られてくるからだ。したがって、この国は自国の通貨を十分に下げることができない。この場合の「十分に下げる」というのは、完全雇用での貯蓄・投資ギャップを吸収できるくらいに大きな経常収支の黒字を生み出せるほど下げる、ということだ。そして、期待インフレが必要になる理由の一つは、まさにほかでは実現できないくらい実質為替レートを下げることなんだ。

 これはまたもや、教科書通りのモデルから出る自然な結論だ。このモデルの枠組みがアドホックすぎろと思うんなら、この論理をもっとミクロ経済的な基盤のあるモデルにぶつけて見るといい――ぼくはそれをやってみた。ほとんど問題ないはずだよ。

 この論理展開は実に伝統的なものだから、この結論に反対する議論というのはなかなか不思議なものだった。ふつうはこういう話でまちがえたりしない、あのThe Economistまでが、期待インフレなんかきかない、そんなことをしても日本人は、貯蓄を海外に「流出」させるだけだからだ、というヒョーロンカたちの単細胞な反論を鵜呑みにしていたけれど、これには驚いた。だって、資本収支と経常収支を足すと必ずゼロになるから、日本からの資本輸出はすべて、その相方として、経常収支の黒字化をもたらす――つまり、それは貯蓄・投資ギャップを埋める役にたつわけだ。だから、そういう「流出」はまさに、お医者様の処方箋通りなわけだ――それに流出させる動機づけは、すでにこの標準の枠組みで考慮されているんだよ。

 これほど驚きはしなかったけれど、同じくらい不思議なのが、実質金利をゼロ以下にしたら円が弱くなるという、よくある反論だな。そりゃそうなるとも――でも、それは金利を下げたら必ず起きることだ。日本の金利がいま 5% で、その他のマクロ経済状況が同じだったとしたら、日銀が金利を引き下げてもだれも文句は言わないだろう。金利ゼロのときにそれをやったって、特別なことは何もないじゃないか。

 でも、多くの人は、意図的にインフレを求めるという考えに明らかに不穏なものを感じているし、日本政府はほかのやり方で景気を動かそうとしている。この経済にマイナスの実質金利が必要だという議論は、それでもまだ成立するんだろうか。

3. 日本の現状

 ぼくは、日本経済が現状で見る限り、完全雇用を実現するためにはマイナスの実質金利を必要としているという考え方を否定する方法は、いっさい思いつかない。するとインフレが不要だと論じるならば、その人はほかの政策で貯蓄や投資スケジュールをシフトさせることができて、これによって必要な実質金利がプラスになるのだ、と考えていることになる。

 いちばんよく挙げられる政策というのは、銀行改革だ。この議論では、明晰な思考が優位になっているとは言い難いのだけれど、どうもみんなが考えているのは、日本の投資が低く抑えられているのは、日本の銀行が資本金不足のために、企業に十分な融資ができないからだ、ということらしい。ぼくはこの考え方をを前に批判したし(訳注:たとえば「日本の金融再生ナントカって、ダメすぎ。」を参照)、金融仲介業の役割については、ブルッキングス研究所への論文でも紙面を割いて説明した。主要な論点をもう一度繰り返しておこう。まず、日本は銀行からの貯金引き上げみたいなもので苦労しているわけじゃない。そして銀行の資本が少なかろうと、預金者さえつかまえておければ、経済的な論理から見て、銀行は貸し渋るよりは貸しすぎる傾向になるはずだ。第二に、貸し渋りの話なんてのが出てきたのは、噂レベルでも1997 年末からだ。それ以前には、経済の停滞が、銀行の仲介機能が不足していたせいだなんて証拠はまったくない。第三に、資本金の水準を引きあげるので、過去1年ほどは貸し渋りについての苦情が出ているけれど、これは銀行が適切なふるまいをしているだけで、別に不適切なことをしているわけではない場合がほとんどのはずだ。

 もちろんそうは言っても、銀行に十分な資本が入れば、最近の貸し渋りも一部は逆転するだろう――でもそれは、監督省庁が目を離して手綱をゆるめちゃうからというだけのことかもしれないけれど。でも、そうなったからといって、日本はかつての、とても満足とはいえない昔の状況に戻るだけだ。投資スケジュールを十分に前倒しにして、流動性トラップを解決してくれるとは、とても考えにくい。

 となると残るのは財政政策だ――基本的には、貯蓄・投資のギャップを、政府が赤字財政を組んで余った貯蓄を引き受けることで埋めようってことだ。

 赤字の財政支出で日本のトラップを解決しようという考え方については、こんな疑問がわくだろう。なぜマイナスの実質金利よりこっちのほうがいいわけ? 民間部門は、ごほうびが後にくるのがとても好きなので、端っこのところでは、いまの一円の消費を将来の一円より少ない消費と交換してもいいと思ってるかもしれない。別にこれ、いけないことは何もないではないの。なぜみんなが、実際にしたがっているよりたくさん、いま消費させて、後の消費を少なくするように無理強いしなきゃいけないの? 物価の安定ってのは、価格(たとえば実質金利)が需要と供給を一致させる水準になるべきだ、というふつうの原則を踏みにじっていいほどすごい目標なのかな?

 でもとにかく、現実的な話で考えると、日本の財政出動は限界に近づいてきているというのがいちばんだいじなところだ。過去 7 年にわたって日本は、財政赤字がひたすら増大するというすごいトレンドを味わってきた。それなのに、これでも貯蓄と投資のギャップを埋められていない。別に財政拡大がまったく効果がないなんて主張する必要はない。アダム・ポーゼンが主張したとおり、財政拡大は、やれば日本の成長を押し上げてきた。でも、政府はどこまで財政拡大を続けられるんだろう。1991 年から 1996 年にかけて、日本の全財政は、GDP 2.9% の黒字から、4.3% の赤字にまで転落したけれど、経済は相変わらず余剰のキャパが拡大する一方だ。橋本政権が長期的な財政ポジションに危機感を抱いて、1997年に赤字を減らそうとしたら、結果は不況だ。そしていま、またもや財政出動の景気刺激策になっている。でも推計を見ると、日本はすさまじい財政赤字を迎えようとしている――来年度には、GDP の10%くらいか――それでも景気刺激策をおしまいにしていい様子は一向に見えてこない。(訳注:財政出動で経済が自律的回復したりしないだろうという分析についてはこちらを参照のこと)。すでに日本は、ぼくの思いつくあらゆる指標で見ても、ブラジルさえずっと下回るようなひどい状況にある。単年度の財政赤字だけじゃない。国債の対 GDP 比率、加えて高齢化にともなう隠れた支払い義務(訳注:年金の支払い義務とか)、銀行や企業の救済のための資金等々。こんな財政拡大戦略がどこへ向かおうとしているのか、そら恐ろしいものがある。

4. これまでの論争をふりかえる

 理論がわかってて、しかも現実の政策決定を見てきた人なら、経済業界では「常識的な知恵」ってやつにも、まったくちがった二種類があるのを知っている。一方では、ふつうの教科書的な経済モデル――たとえば IS-LM モデルみたいな――があって、これが賢い政策分析や議論を形成する。一方では、責任ある中央銀行員がどのようなことを言うべきかを定義づける「『まっとうさ』と正統教義の規範」(この表現は、ラグナー・ナークスの International Currency Experience から拝借)が存在している。こういう規範の特徴として、こういうのは独立した生き物のような動きを見せるんだ。つまり、こういう規範は、モデルから出てくる主張とはあまりきちんと対応してない、ということ。たとえば適当(でもないか)な例をあげると、価格の安定性というのが、多くの大蔵大臣や中央銀行家が考えているほどに重要だなんて、教科書に書いてあることからはまったく出てこない。でもまあ、ほとんどの場合は、ふつうの教科書通りの分析と中央銀行の教義というのは、そこそこには一致している。

 でも、状況が変わって、銀行の正統教義と基本的な経済分析が対立するようになったらどうだろう。ぼくは、これこそが日本の場合に起きていることなんだと主張したい。世界を理解するためにぼくたちみんなが使っている、ふつうのマクロ経済モデルは、かなりはっきりと、これはマイナスの実質金利を「ほしがっている」経済なんだ、と語っている。でも、銀行家の正統教義は、価格の安定こそがすばらしいことなので、これだけは譲れない、と考える。さてぼくたちはどっちの側につけばいいんだろうか。

 政府の役人やジャーナリストたちが、銀行の権威を最終的に選びたがるのは、話がわかる。多くの経済学者が、管理インフレみたいなとんでもない政策提言を受け入れたがらない、というのでさえわかってあげようではないの。でもがっかりするのは、多くの経済学者や経済ヒョーロンカが、この対立があることさえ見えないらしいってことだ。かれらは、物価安定がいいことでインフレは悪いと確信している――それで教義を奉じるのにばかり夢中で、ふつうの分析力が置き去りになっちゃってるらしい。

 単純な会計上のまちがいにはまったりする人もいる。たとえば、資本が国を逃げ出しても、どういうわけかそれに対応して経常収支が黒字にならないと思ってる人とかね。あるいは、この規範を支持するために、その場できいたこともないような理論的な正当化を勝手に編み出しちゃう。いやあ、日本はちがうんですよ、インフレ期待があると実質金利もあがっちゃうんです、とか。実質金利が下がると貯蓄は増えるけれど投資には影響しません、とか、円が下がっても、純輸出は増えないけれど、なぜか流動性は減ります、とかなんとかね。こういう議論をする人は、だれかが正統教義に反する政策主張をやって、そのときに供給曲線が右下がりになって需要曲線が右上がりになる、とか主張しているんなら、確かに警戒してこういうことを言うのもわかる。でも、自分たちの正統教義を守ろうとして、その場の思いつきでいい加減なことを言うのは、あまり感心しないな。

 日本のためには、実際の先行きがいまの見通しほどには陰気なものじゃないといいな、とは願っている。でも、ぼくの予想どおり、いまの回復策が失敗したら、すぐに使える戦略があるんだというのを思い出してね――いちばん伝統的なマクロ経済モデルにしっかり根ざした戦略なんだ。



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