お笑いバイオノミックス:インチキ経済学とインチキ進化論の遭遇

The Power of Biobabble - Pseudo-economics meets pseudo-evolution
(The Slate, Oct. 24, 1997)

Paul Krugman
山形浩生

Illustration by Robert Neubecker  その招待状は、ちょっと残念ながら普通の郵便でやってきた。でも、なかなか魅力的ではあった。「ケイトー研究所とバイオノミックス研究所は 今度は何だ? 永続進化とともに生きる, 第五回バイオノミックス年次会議にご招待したく存じます」とのこと。11 月 13-15 日の会議での講演者筆頭はグレゴリー・ベンフォード、我が最愛の SF 作家の一人だ。そして招待状のてっぺんには、バイオノミックス研究所の創立者マイケル・ロスチャイルドからの心そそる引用が書かれていた:

深海の火山が水面を破って噴出し、やがて複雑な生態系を宿す広大な新しい大地をはき出すように、ウェブの作り出したバーチャル風景は、驚異的な経済生命体の群れに占拠されようとしているのだ。(中略)これぞワープスピードの進化だ。シートベルトのご用意を!

 ケイトー研究所は、リバータリアン的シンクタンクで、政府規制への頑固な反対で主に知られている。でもいったい全体バイオノミックスって何ですか?――そしてなんだってケイトー研究所(と同会議の共同スポンサーの『フォーブス』やASAP) がそんなものを後押ししてるの?

 フルコースを味わうには、ロスチャイルドの 1990 年の著書『バイオノミックス―進化する生態系としての経済(訳注:邦訳あるんだトホホホ……)を読まなきゃだめだけれど、この運動の基本的な主張は、バイオノミックス研究所のホームページに書いてある。そこには「バイオノミックス入門」なる初級編があるのだ。その初級編曰く:

 伝統的な経済学の学派はすべて、古典物理学の概念に基づいているのに対し、バイオノミックスは進化生物学の原理に基づいている。(中略)正統経済学は「機械としての経済」を描いている。(中略)一方、バイオノミックスは経済が「進化する生態系」のようだと主張する。現代の市場経済は熱帯雨林のようなものである。

 なかなかいい調子でしょ? バイオノミックスはケイトー研究所に改宗者を擁するばかりか、ニュート・ギングリッチからクライド・プレストウィッツまで多種多様な有力な人々も改宗させている (Fortune 誌によれば、「これは政策立案者にとっての『聖なる予言』(訳注:すでにお忘れでしょうが、10 年ほど前にベストセラーになったニューエージのアホ本。)」だそうな)。そしてロスチャイルドという人物も、実に快活でエネルギッシュな人物ではある。でも、かれの思考には二つ大きな弱点がある。この人、経済学についてあまり詳しくないし、進化についても大して知らないのだ。ロスチャイルドが経済学についてあまり詳しくないというのは、別に伝統経済学が正しくてかれの思いつきがまちがってる、という意味じゃない――とはいえ両者がくいちがうときには、まちがってるのはロスチャイルドのほうだけれど。ぼくが言いたいのは、この人の言う伝統的経済学の説明は、実際の経済学者たちの発想や発言とぜんぜん関係ない代物だ、ということだ。

 たとえば手始めに、「正統経済学は「機械としての経済」を描いている」という発言ね。この引用符の使い方を見ると、実際の経済学者がこんなことを言ったか、少なくともこの手のことをいつも経済学者たちが言っている、と思っちゃいそうだ。でもぼくの知ってる経済学者で、経済が少しでも機械みたいだと言ってる人はいない――あるいはロスチャイルドがそのちょっと後で主張するように、経済が機械みたいだから厳密な予測ができる、なんて思ってる人もいない(それどころか、株価は本質的に予測できないと主張する有名な「ランダムウォーク仮説」を考えついたのは経済学者たちなんだよ)。(訳注:これはちょっと言い過ぎ。フィッシャーは経済を機械みたいなものとして、実際にそれをモデル化する機械まで作っちゃってる。が、大筋はこの通りだ)

 でも話はさらに楽しくなる。ロスチャイルド曰く、「経済学者以外には信じにくいことかもしれないが、従来の経済学は本質的に技術変化を無視しているのである」。こいつは経済学者ならなおさら信じがたい話だ。というか、ぼくの隣のオフィスにいる人物に、このニュースをどう切り出したもんだろう。だって、あわれなボブ・ソローは、自分がノーベル賞をもらったのは技術変化に関する業績でのことだと思い込んでるんだよ。特に経済成長の主要な原動力は、資本蓄積ではなく技術革新だということをかれは実証したつもりでいるのに。別の話では、環境経済学者たちもひっくり返っちゃうだろう――かれらは何十年も、公害をコントロールするよい方法の一つは排出許可の市場をつくることだと論じてきたんだから――それがバイオノミックス独自の発想で、正統経済思考とはまったく相容れないなんて言われちゃあね。そしてこのぼくだっておもしろくないぞ。ロスチャイルドは、伝統的な経済学は収穫逓減の前提に依存していて、結果として経済学者たちは収穫逓増の可能性を完全に無視してきた、と断言している。じゃあぼくは、収穫逓増と貿易に関する研究でアメリカ経済学会からもらったメダルを返上したほうがいいの?

Illustration by Robert Neubecker  まあこんなのはよく見かける話だ。経済学についてのマニフェストに「伝統的な経済学では……」という文が出てきたら、その後に続いているのは必ず何かわけのわからない見たこともないような話なんだよ。過去 2 年の間に、ぼくは国内総生産が経済福祉の唯一の尺度だと信じていることにされたし、2.5 パーセント以上の経済成長は必ずインフレを引きおこすと考えているとか言われるし、通貨に対する突発的な投機攻撃は絶対に起きないと思っていることにもされちゃってきた。それと、経済学におけるノーベル記念賞がずっとサプライサイド経済学者に与えられ続けているんだってさ――それともマル経学者だっけな?

 でもびっくりするのは、伝統的経済学の機械主義的世界観と思い込んでるものの代替案として、進化生物学に基づく新しい見方を提唱しようという人物が、その発想のもとになったと称する分野についてこんなにも無知だということだ。

 ロスチャイルドが進化理論について何も知らないというのは、このあたりに詳しくない読者にはわかりにくいかもしれない――かれの著書はこむずかしげな脚注や、一見えらそうな参考文献だらけだもの。でも実は、このぼくは進化論おたくなのでした。リチャード・ドーキンスやスティーブン・ピンカーみたいなすばらしい啓蒙作者のファンを皮切りに、今や先進進化理論家を英雄として崇拝しているだけでなく、教科書や専門誌の論文まで読んだりしてるんだ。だから『バイオノミックス』を手に取ったとき、真っ先にやったのはぼくの英雄たちやダーウィン以来の進化論における重要な発展がどう扱われているかを調べることだった。見事なもんだった。まともな人はだれ一人あがっていないし、重要な進歩は一つとして論じられていない。バイオノミックス版の進化論は、その経済学と称するものが実際とはほど遠いのと同じくらい、本物の進化論とかけ離れた代物なのだった。

 バイオノミックスの旦那がどうやら進化論だと思い込んでるものは、何やら絶え間ない息もつかせぬ変化だ――さあシートベルトをしっかり締めて!――変化がはやすぎて何も予測できないようなもので、ルールそのものが絶えず変わり続ける。ロスチャイルドは特に、進化的思考を「均衡経済学」のアンチテーゼだと思ってるようだ。どうやらだれもこの人に、均衡の発想――個人の相互作用を理解するには、他のみんなの行動を前提としてその人物にとって最善の行動は何かを考えるのが便利だという発想――は 経済学と同じくらい進化論でも使われている ということを教えてあげなかったらしいね。実はホントに笑っちゃうのは、ほとんどの点でバイオノミックスの計画はすでに実現されちゃってるという点だ。経済学はすでにかなり進化論に似ているし、その逆もなりたつ。でも、どっちの分野もバイオノミックスとは似てもにつかない。

 はい、もういいでしょ。ホントに興味深いのは、なぜケイトー研究所やその他自由市場支持の保守派たちがこんなものに軒を貸したりして自分たちの知的信頼をなくすような真似をするのか、ということだ。だって、伝統的な経済学だってすでに自由市場はたっぷりほめているんだよ。アダム・スミスでは用が足りないのかな?

 答えの一部は、社会学的なものじゃないかとぼくはにらんでる。伝統的な保守派の主張、たとえば金本位制は、かびのはえた古くさい感じがする。もっぱら金持ちの老人にしか受けないようなものに聞こえる(そして保守派シンクタンクはもちろん、もっぱらお金持ちの老人が出資してるんだ)。だから若き熱意あふれる保守派は、いつももっと流行の先を行っているように見える方法を探している。一部はポップ文化の知識をひけらかし、一部はミニスカートをはいて写真に撮られたがり、一部は『ワイアード』的な経済レトリックとも言うべきものに飛びつく――すべては変わっているという絶え間ない主張! それも実に急速に! 早すぎてたくさん! 感嘆符を使わなきゃいけないようなもの!!! Illustration by Robert Neubecker

 でもバイオノミックスが自由市場の忠実な信奉者にうけるもっと真剣な理由もある。かれらは伝統的な自由放任支持の議論があまりに穏健で、条件がつきすぎていて、趣味にあわないと思っているんだ。通常の経済理論は、市場が経済活動を組織する手段として優れていると考えるべき理由を提供する。でもそれは市場を神格化はしないし、市場が失敗したり、あるいは少なくとも政府介入が役にたつ場合をいろいろかなりよく説明したりもする。そして一部の保守派には、そんなのまったく生ぬるすぎるわけだ。

 ところが実はバイオノミックスは、自由市場を支持するような一貫した議論はまるでしていない。実はロスチャイルドの最初の本は、二股をかけているようだ。同書は丸一章(「日本の秘密兵器」)かけて、産官共同のおかげで日本経済は無敵だ、と論じている(この本が 1990 年刊なのをお忘れなく)。でもこの教義、まともな議論で欠けている分を、レトリックでたっぷり補ってくれる。経済は熱帯雨林のような生態系なのである! そしてトップダウンで熱帯雨林をコントロールしようとするほどひどいことがありましょうか?! 生態系をコントロールして、気にくわない生物種を根絶やしにし、気に入ったものだけ育てるなどということを、だれがするであろうか!

 えー、みんなやるんじゃないかなあ。それって確か「農業」とかいうんじゃなかったっけ。

 極端な自由市場支持の保守派が、バイオノミックスみたいないインチキ教義とつるみたがることから何がわかるだろうか? たぶん大きな教訓は、かれらの自由市場に対する信念は、まさにその程度のもの、単なる思いこみの信念でしかない、ということで、別に論理や証拠に基づいてるわけじゃないということだ。まずは信念ありき。それからその信念を正当化してくれる議論を探す。だから、そういう議論がどの程度のものか、あるいはそれを主張している人物のまともさ加減については、大して気にしてないわけだ。

 とにかく、この会議には出席しないことにしよう。ベンフォードには会いたいけれど、でも『大いなる天上の川』の著者が、こんなろくでもない連中と野合して自らを貶めているところなんか見たくないものね。


注 1

ぼくが期待していた名前や考え方をいくつか挙げると、まず R.A. フィッシャー。この人は進化の古典的な数学的記述を開発した人だ。ジョージ・ウィリアムス。この人の 1966 年の著書 Adaptation and Natural Selection は現代進化理論家のバイブルだ。ウィリアム・ハミルトン。この人は、一見利他的な行動がなぜ「利己的」な自然淘汰から生じるかを示した (この発想はリチャード・ドーキンスが 1976 年の著書『利己的な遺伝子』で有名にした)。そして進化論にゲーム理論を持ち込んでこの分野をひっくり返したジョン・メイナード・スミス。それと、バイオノミックスが「生態系としての経済」についての話で、ロスチャイルドが生態系や経済の多様性をあれこれ論じるのが好きなんだから、マッカーサーとウィルソンの、生物多様性に関する「均衡理論」について少しは議論があると期待していたんだけどね。これは多様性の研究を、記述科学から予測可能な科学にしたし、デイヴィッド・クォメンの新著『ドードーの歌: 美しい世界の島々からの警鐘』の中心テーマでもある。『バイオノミックス』には、この人々も発想も、どれ一つとして出てこない。それどころかこの本を読むと、著者はドーキンスの一般解説書さえ読んでいないのは明らかだ。

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注2

 一番有名な進化における均衡発想は、ジョン・メイナード・スミスの優れた概念『進化的に安定した戦略 (ESS)』だ――これは各生命体が、他の生命体の選択した戦略を前提として自分の適応を最大化するときの戦略(または戦略群)だ。ESS は経済学者の均衡概念とほとんど同じだ――それどころか、経済モデルの均衡はほとんど必ず ESS だ。

 でも進化論って、絶え間ない変化の世界で、均衡概念なんて役にたたないんじゃないの? たとえば、肉食獣と草食獣の競争(文字通り)を考えてみよう。ほかの条件が同じなら、足のはやい肉食獣のほうがご飯をつかまえやすい。足のはやい草食獣は、ご飯になりにくい。だから、狩る方も狩られる方も、進化するにつれてどんどん足が速くなると思うでしょう。でも足の速さにはコストが伴う (足は速くてもやせたチーターは、足は遅くても屈強なライオンにやられる)。だからどこかの点で、この競争は均衡に落ち着いて、その点では肉食獣は草食獣の足の速さを前提として最適な速さを持ち、その逆も成立するようになる。そしてその通り、証拠を見ると、サバンナでの追いかけっこは、過去 5,000 万年にわたりほぼ同じ速度だったことがわかる。メイナード・スミスはこの分野の決定版教科書 Evolutionary Genetics でこう書いている:「データを見ると、確かに軍拡競争はあったけれど、でもその競争ではもう長きにわたり、どちらの側もそれ以上の改善ができずにいる」

 もちろん、変化は起こる。ぼくはアウストラロピテクスじゃない。でも進化論者たちが均衡に基づく発想をそんなに便利だと思ったんなら、経済学者だってそう思わないほうが不思議でしょう?

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