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経済を子守りしてみると。

Baby-Sitting The Economy

Paul Krugman 著,1998 年 8 月13日 Slate 掲載

山形浩生 訳(hiyori13@alum.mit.edu)



 20年前に、ぼくはあるお話を読んで人生が一変した。いまもよくこのお話を思い出す。危機に直面しても、このお話のおかげで落ち着いていられるし、陰気な停滞期にも希望を失わずにいられるし、そしてすべては運命だとあきらめたり、悲観的になったりする誘惑にもうち勝てる。アジアの悲惨な状況が世界経済全体を脅かそうとしているこの陰気な時代に、この霊感的なお話の教訓の重要性は、これまでになく高まっている。

 このお話は、「金融理論とキャピトルヒル子守協同組合の大危機」という論文に述べられている。これは 1978年に、Joan & Richard Sweeneyが Journal of Money, Credit, and Banking に発表した論文だ。このお話については、すでに拙著二冊、Peddling Prosperity (邦訳「経済政策を売り歩く人々」日本経済新聞社)と The Accidental Theorist(邦訳「グローバル経済を動かす愚かな人々」)で触れたけれど、でももう一度触れておく価値はある。こんどはアジア的ひねりを加えて。

 スウィーニー夫妻が語るのは――はいご名答――子守協同組合のお話で、当のスウィーニー夫妻が1970年代初期に参加していたものだ。こういう協同組合は珍しいものじゃない。何人かが集まって(この例では、国会関係の仕事を持つ若いカップル150組)、お互いに子守をしあおうと合意しあう。そうすれば、思春期のガキを子守アルバイトに現金払いで雇わないですむからだ。これはお互いにメリットのある仕組みだ。子供のいる夫婦は、一晩別の夫婦の子供の面倒をみたところで、手間は大して増えるわけじゃない。いずれ別の晩に、自分たちの子供の面倒をみてもらえることに比べればおやすいご用だ。でも、それぞれのカップルが公平に負担をするような仕組みがなきゃいけない。

キャピトルヒル協同組合は、まあごく自然な解決策を採用した。クーポンを発行したわけ。一時間の子守りに相当する紙切れだ。子守をする人たちは、子守りをしてもらう人たちから、適切な枚数のクーポンを直接支払ってもらう。このおかげで、システムは自律性を持つようになる。長期的には、それぞれの夫婦は他人にしてもらった子守りと同じ時間の子守りを自分でもすることになるだろう。参加者が信用できる限り――そしてこの若い専門職夫婦たちはまちがいなく信用できた――万事問題はまったくなし、でしょ?

 ところがふたを開けてみると、ちょっとした問題があることがわかった。あまり外出する機会のない時期には、どの夫婦もたぶんクーポンを少しためておこうとするだろう――そして、外出機会が増えたら、その蓄えを食いつぶす。こうした需要は、それぞれの夫婦間で相殺しあうはずだ。ある夫婦が出かけたいときは、別の夫婦は家にいるというわけ。でも、多くのカップルは常にそれなりの数の手持ちクーポンを持っておこうとしたから、協同組合全体としては、かなり大量のクーポンを流通させることになる。

さて、スウィーニー夫妻の協同組合で何が起きたかというと、クーポンの回収と利用に関わるいろいろややこしい理由のおかげで、流通しているクーポンの数がかなり下がっちゃったわけだ。結果として、多くのカップルは子守りをして手持ちクーポンを増やしたいなと思い、外出して手持ちクーポンを減らすのは気が進まない、ということになった。でも、だれかがクーポンを受け取るには、だれかが外出するしかない。みんなが外出しなくなると、クーポンを稼ぐのはむずかしくなる。これに気がついて、カップルたちはよほど特別な機会でもない限り外出してクーポンを使うのをいやがるようになって、おかげで子守り機会はさらに減った。

 一言で、この協同組合は不況に陥ったわけ。

 この協同組合のメンバーのほとんどは弁護士だったので、これは金融問題なんだということを説得するのはむずかしかった。かれらは法規の制定によって回復を計った――各カップルに、週に最低二回は外出するように義務づける規則を成立させたりして。でも、やがて経済学者たちが勝った。クーポンの発行量が増えて、メンバー夫婦たちも前より外出しようという気になって、だから子守りをする機会も増大して、そしてみんなハッピー。もちろんやがて、この協同組合はクーポンを発行しすぎて、これはまた別の問題を引き起こし……

 バカげた話で、時間の無駄だと思ったあなた。恥を知るがいいよ。キャピトルヒル子守り協同組合が経験したのは、本物の不況だ。このお話は、ウィリアム・グリーダー(訳注:……みたいな通俗経済評論家のグローバリズムがどうしたこうした言う)本を500ページ読むよりも、ウォールストリート・ジャーナルの(訳注:……金本位制はすばらしいなんて言ってる)社説欄を一年分読むよりも、経済不況とその原因についてずっとたくさんのことを教えてくれるんだ。そしてこの協同組合のお話について本気で考えて、それで遊んでみて含意を引き出せたら、世界の見方だって変わるだろう。

たとえば、アメリカの株式市場が大暴落して、消費者不安を引き起こしたとしよう。これは壊滅的な不景気が避けられないってことかな? こう考えてみたらどうだろう。消費者不安が広まるというのは、この協同組合の平均的なメンバーがいままでほど外出したがらなくなったってことだ。万一に備えて、クーポンをため込みたいなと考えるようになったのと同じことだ。これは確かに、不況につながりかねない――でも、組合本部がすばやく動いて、あっさりクーポンをもっと発行すれば、不況にならないですむわけだ。1987年に、われらがクーポン発行主任アラン・グリーンスパンがやったのは、まさにこれだった――そしておそらくかれは、こんどそういうことが起きたときにも、同じことをするだろう。だから最初に言ったよね。危機に直面しても、この子守り協同組合のお話のおかげで落ち着いていられるって。

 あるいは、グリーンスパンの対応が遅くて、経済がホントに不況に陥ったとしよう。あわてちゃいけない。クーポン発行主任がちょっと出遅れたたって、クーポンを大量発行することで、ごくふつうに状況を改善できる――つまり、1981--82 年や 1990--91 年の不景気を終わらせた、精力的な金融拡大策を打てばいい。だから言ったでしょう。この子守り協同組合のお話のおかげで、ぼくは陰気な(経済の)停滞期にも希望を失わずにいられるって。

 そして何よりも、この協同組合のお話は、経済停滞ってものがぼくたちの罪に対する罰じゃないんだってことを教えてくれる。こういう苦しみは、別に運命づけられたものじゃないってことがわかる。キャピトルヒル子守り協同組合に問題が起きたのは、そのメンバーたちが無能で効率の低い子守りだったからじゃない。この問題で別に「キャピトルヒル的価値観」だの「身内えこひいき型子守り主義」の根本的な問題が露呈したわけでもない。そこにあったのは、ちょっとした技術上の問題だ――少なすぎるクーポンを多すぎる人が求めていた――そしてこれは、ちょっと冷静に考えれば解決できることだし、解決できた。だからさっきも言ったように、この協同組合のお話のおかげで、すべては運命だとあきらめたり、悲観的になったりする誘惑にもうち勝てる。

(訳注:これが出た頃は、アジア通貨危機の直後。それまではリー・クアンユーが「アジアが繁栄しているのは家族重視のアジア的価値観をもとにした経済だからだ」と威張ったりしていて、そしてそれがつぶれたときには「親類ばっかひいきする身内えこひいき型資本主義はこれだからダメだ」と言われたりしていたのだ。)

 でもこれがそんなに簡単なら、世界のかなりの部分がなぜいまほどひどい状態になってるの? たとえばどうして日本は、どうしようもなさげな不況にはまりこんじゃってるんだろう――クーポンは刷ってるけれど、それだけだと一向に抜け出せる気配がないじゃないか。うん、でもいまの協同組合のお話をちょっと拡張してみると、いまの日本の問題そっくりなものを作るのは、そんなにむずかしいことじゃない――そしてそれを使うと、解決策の概略も見えてくるんだよ。

 まず、この協同組合ではメンバーたちが、自分たちのシステムに不要な部分があるのに気がついたとしよう。ときにはあるカップルが、何日か続けて外出したいこともあるだろう。そうなると手持ちのクーポンが足りなくなる――そうなると、子守りをしてもらえない。あとで埋め合わせにいくらでも子守りをする気があるのに。この問題を解決するために、この協同組合では、メンバーの必要に応じて、本部から追加クーポンを借りられるようにした。そしてその分は、後日子守りをすることで埋め合わせる。でも、この権利をメンバーが濫用すると困るから、本部としては何らかのペナルティをつける必要があるだろう――借り手は、返す時には多少上乗せして返さなきゃいけない、という具合に。

 この新しい方式のもとだと、カップルたちは手持ちのクーポン量は以前より減らすだろう。必要なら借りられるんだからね。でも協同組合の管理者たちは、これで新しい管理ツールを手に入れたことになる。もしメンバーから、子守りをしたい人は多くて、子守りの機会が少なくなってますよという報告が入ったら、メンバーがクーポンを借りる条件は緩くなるだろう(つまり上乗せ分が減るだろう)。するとみんなもっと出かけるようになる。もし子守りが不足気味なら、条件をきつくすればいい。みんな外出を控えるようになる。 言い換えると、このもっと高度な協同組合には中央銀行ができて、停滞した経済を金利の切り下げで刺激したり、加熱した経済を金利引き上げで冷やしたりできるってことだ。

 でも日本の場合はどうだろう――金利がほとんどゼロまで下がっても、経済がまだ停滞してるじゃないか。子守り協同組合のたとえ話も、ついに扱いきれないような状況が登場したんだろうか?

いいや。子守りの需要供給に、季節変動があると考えてみてよ。冬の暗くて寒い時期には、カップルたちはあまり外出したがらなくて、家にいて他の人の子供の面倒を喜んでみましょうと言う気になっている――そうやって、暑い夏の晩に使えるポイントを貯めようってわけだ。もしこの季節変動がそこそこなら、協同組合としては冬に金利を下げて、夏に金利を上げることでうまく子守りの需給バランスを保てる。でも、もしこの季節変動がものすごく大きかったら? そうしたら冬には、金利がゼロでも、出かけるカップルよりは子守り機会を求めるカップルのほうが多くなる。するとつまり子守り機会はなかなかないことになって、すると夏の遊び用に手持ちを増やそうとしているカップルは、ますますそのポイントを冬場には使わなくなって、おかげでますます子守り機会が減って……そして協同組合は、ゼロ金利でも不況にはまりこむ。

 そしていまは、日本の不満たらたらな真冬。これは人口高齢化のせいかもしれないし、あるいはまた、将来について全般的に不安なせいかもしれないけれど、とにかく日本の国民は、金利がゼロでも経済のキャパを使い切るほどお金を使いたがっていないようだ。日本はあの恐怖の「流動性トラップ」にはまってしまったのです、と経済学者たち。なるほど。で、いまあなたが読んだのは、流動性トラップってのが何で、それがどういうふうに起きるのかについての子供っぽい説明だ。そして、問題はそういうところにあったのかということさえわかれば、日本の問題に対する答えは、もちろんまったく明白でしょう

だから子守り協同組合のお話は、ただのおもしろおかしい小話じゃない。もし人々がこれを真面目に受け止めてくれさえすれば――もし、大きな経済問題が左右されかねない時に、気の利いた寓話は時間の無駄どころか真の理解の鍵となるんだということさえ理解してくれれば――このお話は世界だって救えるかもしれない、そんなお話なんだ。


NOTE 1

 これをもっと実際の経済の仕組みに近づけたいと思ったら、カップル同士がクーポンを貸し借りできると想像してみるといい。この幼児資本市場での金利は、文中の協同組合本部の「割引率」(上乗せ分の割合)の役目を果たすことになるわけだ。

NOTE 2

 んー、そんなに明白でもないか。この冬の協同組合での基本的な問題はだね、人は金利がゼロでも、子守りで稼ぐポイントをためこんで夏に使おうと思った、ということだ。でも全体としてみると、協同組合のメンバーたち全員が、夏に使う子守りポイントをためておくことはできない。だから各個人が貯めこもうとすると、結果はひたすら冬場の停滞ってことになっちゃう。

 だから答えは、冬場に稼いだポイントは、夏には価値が下がるよ、というのをはっきり決めておくことだ――たとえば冬場に稼いだ 5 時間分の子守りは、夏には 4 時間分にしか相当しないよ、という具合に。こうすれば、みんな自分の子守りポイントをはやめに使うようになり、結果として子守りの機会は増える。これって何か、不公平じゃないか、とつい思っちゃうかもしれないね――これって人々の貯蓄を収奪してるじゃないか! ってね。でも実際問題として、協同組合全体としては冬の子守りを貯めて夏場に使うことはできないんだから、冬場時間を夏場時間と一対一で交換できるということにしておくほうが、メンバーたちのインセンティブを歪めていることになるわけ。

 でも子守り経済でない実際の経済では、夏にとけてなくなるクーポンに対応するものってなんだろう。答えは、流動化トラップにはまった経済には、インフレ期待が必要だ、ということだ――つまり、いまきみたちが貯め込みたがっている円は、一ヶ月後、一年後にはいまより少ししかものが買えませんよ、と人々に説得することだ。

 ここ数ヶ月ほどで、日本が流動化トラップにはまっているということ――そしてその脱出策としてのインフレ提案――はたくさん出てきている。でもそういう提案は、物価安定がいつも望ましいものだという根深い偏見に直面することになった。インフレを引き起こすなんて、国民から貯蓄努力の正当な見返りを奪い、ゆがんだ危険なインセンティブを作り出すものだ、とね。それどころか、一部の経済学者やヒョーロンカたちは、これだけ条件がそろっているのに、日本は実は流動性トラップにははまってないし、そもそも流動性トラップなんてものは現実には起き得ないんだ、と主張しようとしている。でも、この拡張版子守り話をみれば、それが十分に起き得ることはわかる――そしてそこから脱出する経済的に正しい方法は、まさにインフレだってことも。


訳者付記: ……とクルーグマンが書いたのが 1998 年。その後、だんだんこの説のシンパは増えているし、それに株価も日銀が金融緩和を発表するたびにドカッと上がるから、これまでなにやら批判的なことを口走っていた連中まで、だんだん「日銀が金融緩和を! インフレを!」と騒ぐようになってきているのは、みっともないけれど、でもまあよい傾向かも。ただし、だいじなのは、必要なのはインフレ「期待」であってインフレそのものじゃないってこと。「日本のはまった罠」で大事だったのは、いま金融緩和をいくらやっても、それは何の効果もなくて、日銀が将来的にもインフレを維持するぞ、というのをみんなが納得すれば(つまり期待ができれば)それは効果がある、ということ。いま「インフレを!」と言っている評論家(そしてそれに反論する連中)の多くは、いまの金融緩和を唱え、さらに「いま金融緩和をしても効果がない」という反論をしている場合が多い。それはすでにクルーグマンが 1998 年のいちばん最初の論文でとっくのむかしに指摘していることなので、はやくそんな段階は終えて次へいって欲しいなあ、と思う 2001 年 8 月末の今日この頃。

 そしてもう一つ、このお話は最近はやりのコミュニティ通貨というものにとって大きな意味を持つものだということも、考えておくほうがいいと思うよ。いわゆるコミュニティ通貨って、ここで挙がっている子守りクーポンの仕組みとまったく同じでしょう。中にはシュタイナー式の「新しいお金」「古いお金」という考え方を導入したものもあるけれど、それはNote2に出てくる、マイナス金利を持ったクーポンと同じことだ。すると、それはここの協同組合がはまったのとまったく同じトラブルに陥る可能性が十分にあるんじゃないか。ぼくは地域通貨の仕組みをまだきちんとみていない。だからこれを避けるメカニズムがあるのかもしれない。が……どんな? ちょっと思いつかない。
 だからぼくはいずれどっかの地域通貨が、すさまじい不況に陥って完全に崩壊する様子がみてみたい。人々の善意が何の理由もなく空回りし、その同じ人々がやがて疑心暗鬼の人間不信に陥り、コミュニティが瓦解して価値が崩れ去り、人々が途方にくれて右往左往するさまがみてみたい。それはとってもおもしろい、示唆的な光景になるだろう。うふふふふふふふ。



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