アジアの奇跡はどうなった?

Whatever Happened to the Asian Miracle? (1997年8月)
 

ポール・クルーグマン
山形浩生訳
 

 2年前、メキシコがペソを切り下げて、それに続いてラテンアメリカ全域が金融面で大波乱におそわれることになった。さて、こんどはタイの通貨危機に続いて、似たような金融面での疫病が、アジア全域に拡大してる。まずはタイのバーツ、それからフィリピンのペソ、続いてマレーシアのリンギット、さらにはインドネシアのルピア。さて今度はどこだ?

 でも実はこれ、質問がまちがってる。アジアの経済は、どこもほとんど一つ残らずこの夏の通貨切り下げの波の影響をかぶることになるんだから。切り下げがさらに進むんじゃないかと国際市場がおそれるから、金利コストが高くなるし、通貨切り下げで(輸出)競争が進むから、輸出価格も下がる。そして一時は気前のよかった外人投資家が急にびびったから、資本の流入も減る。成長低下もあるだろうね。だから本当の問題は、この地域の経済が回復するのか、そして回復するなら、それがどんだけ急速に戻すかってことだ。これってただの一瞬の下げ、一時的な落ち込みなのか――それともアジアの奇跡の終わりなの?

 というか、そもそもアジアの奇跡なんて実在したのかな?

 ちょっとした背景説明を。三年ほど前に、ぼくはForeign Affairs誌に記事を書いて、これでアジア全域に敵をこしらえることになった(ついでに、アジアの優位性についてみんなにお説教してまわってたアメリカ人ヒョーロンカたちも敵にまわした)。この記事というのは、ボストン大のアルウィン・ヤングとスタンフォードのラリー・ラウの研究を要約したもので、この研究の主張は、アジアの成長は非常にめざましいものではあるけれど、そのほとんどが高い貯蓄率とか、よい教育とか、低雇用のお百姓さんを現代産業部門に移したとかいう、ありきたりの経済的な力で説明できるんだよ、ということだった。かれらが発見したのは、こういう計測可能な投入ののびを考慮したら、産出側ののびのほとんど(ときにはすべて)を説明しきれる、ということだった。ヤングとラウが見つけたのはつまり、別の言い方をすれば、アジアの成長はいまのところ、おもに発想(インスピレーション)よりは発汗(perspiration)によるもの――つまり、一生懸命働いたことによるもので、賢く働いたことによるものじゃない、ということだ。この結果は、当時もいまも論争の的ではある――一部には、これを信じたくない人が多くて、そういう人は別の計算結果を受け入れたがってるから。でも、この二人の基本的な主張は、何回も攻撃されたけれど、まだかなり立派に成立しきれてるんだ。

 でもどこがいけないわけ? だれも過去20年のアジアの成長がホントに驚異的なものだったってことは否定してないじゃん。でも、このアジアの成長についての「発汗理論」は、アジアの指導者やその崇拝者たちが抱いてる、大事な信念2つに逆行するものなんだ。まずは、「アジア型システム」信奉者が心底好きなものといえば、それはアジア政府が特定の産業や技術を支援するという手口なんだよね。この産業政策が、アジア経済の飛躍的な効率向上の理由だってことになってた。でも、アジアの成長がほとんど汗かきによるものだ――別に効率性が飛躍的になってるわけじゃない――と結論するなら、アジアの産業政策がエライとはなかなか言いにくくなってくる。

 汗かき理論のもう一つのありがたくない含意というのは、アジアの成長がいずれは鈍るだろう、ということだった。労働参加を増やすとか、みんなに基礎教育を行き渡らせるとか、投資のGDP比率を三倍にするとかすれば、すごい経済成長ができる。でもこれは一回限りの、繰り返しのきかない変化でしょ。だから、遅かれ早かれアジアの経済成長は鈍る、と汗かき理論は告げているわけ。早かれ、というのはシンガポールみたいなもともとのアジアの虎。ここはもうGDPの半分を投資にまわしてるものね。遅かれのほうは、中国みたいな低賃金国で、ここはまだ地方に未利用労働力がたくさん残ってるから。

 そしてほーら、アジアは困ったことになった。タイでは金融バブルが破裂して、証券市場と不動産市場が暴落、銀行システムはめちゃくちゃ。韓国ではトップ企業の破産が続々出てきて、多くの企業帝国の野放図な借金があらわになってきた――同時に、その負債を抱えてる銀行のやばさも。そして国際資本市場は突然、アジア地域の国がどこも世界でトップクラスの貿易赤字を垂れ流してたことに気がついた――経済規模との比較でいえば、メキシコのペソ崩壊直前よりひどいくらい。

 これって、汗かき理論が予言した減速なのかな? 汗かき理論が予測してるのは、だんだん勢いが落ちてくるということであって、こんな暴落じゃない。最近のアジアからのニュースはすさまじくひどくて、ある意味ではこれはいいことなんだ。この没落の規模と突然さは、ここで起きてるのが金融的な締めつけであって、アジアの長期的な見通しとはあまり関係ないものだということを示してるから。でも時には、停滞のおかげでバブルが隠してた根深い問題があらわになったりもする。日本がその典型。いまでは、日本の潜在的な産出力(ビジネスサイクルを通じて平均で実現できる産出)が10年以上も前から下がりはじめていたのははっきりしてる。これはまさに、欧米のヒョーロンカが、日本にこそあらゆる答があるのだと確信しだした頃だったんだけれど。この低下は、1980年代後半の「バブル経済」によって隠されてた。株価と地価が狂乱して――皇居の地価でカリフォルニア州全部買ってもお釣りがくると言われてたのを覚えてるかな?――ささえきれないブームが続いてたから。そしてバブルが破裂して、陰々滅々の現実が露わになったわけだ。

 一方でその他アジアの経済成長は、つらい目にあってる国々でも、そこそこ高いままだ。でも昨年(1997年)の時点で、韓国とタイの1990年代前半のすさまじい成長率は、終わらざるを得ないのがはっきりしてきた。賃金は生産性よりも高い上昇率で、国内市場が過熱してそれが輸入品にまで波及してきて、貿易赤字がふくれあがった。汗かき理論の支持者にとって、こうした問題は収益逓減の前兆で、それがいずれは成長を引き下げることになる。

 アジアのトラブルからくる最大の教訓は、経済学についてのものじゃない。政府についてのものなんだ。アジア経済からいい話しか聞こえてこなかったときには、こういう経済の自称「計画者」たちがわかってやってるんだな、と無理に納得することもできた。でも、これで真相が見えたね。連中って、なんもわかっちゃいなかったわけだ。あの栄光の日々でさえ、この手の計画機関――たとえば日本の最強の大蔵省――をどっか訪ねてみれば、多少は「ん?」という感じはした。ぼくが大蔵省を訪問したのは1985年だったけれど、目にしたものはペンタゴンの戦争司令室みたいなものなんかじゃなくて、むしろ商務省自動車部(訳注:まあ斜陽産業部門と思えばいい)みたいなとこだった。ほこりっぽい廊下、壊れた家具、みんな靴下でぺたぺた歩いてて、汚いガラスの仕切りにはアイドルのポスターがセロテープで貼ってあんの。でも、人は見かけによらないし、と当時は思った。でも事態がまずくなってきたら、大蔵省の行動もその外見並でしかないことが証明されちゃったよね。経済が栄えてるときには有能そうなふりをするのは簡単だけれど(ビル・クリントンにきいてごらん)、本当の実力が問われるのは、逆境でどうふるまうかだよね。日本株式会社の伝説の経営陣も、これで一巻の終わり。

 ほかのアジア諸国の役人も、五十歩百歩だわな。韓国やタイの金融問題は、政策担当者には長いことわかってたのがいまや明らかになってる。でもお役人は、日本の連中と同様に、時間稼ぎをしただけ。タイで金融クラッシュが起きたら、官僚たちの動きはまさに古典的だった――ぜったいに切り下げはしないと宣言しつつ、バーツを支えるような説得力ある動きはいっさい示せずに、結局はしないと約束したことをするしかなくなった。事例はほかにいくらでも続く。マレーシアはまだクラッシュはしてないけれど、でもその政策――新しい資本導入の派手派手しい計画から、輸入制限を設けて貿易赤字をなくそうという手口まで――は、まさに1960年代のブラジル経済の奇跡に終止符をうったような代物にしか聞こえないね。そして続くインドネシアってのが、長期的な産業政策と称するものが効率悪い自動車産業を税制や法規制で押し上げるって代物だもん。

 アジアの成長はたぶん回復するだろう。それを動かすのは、前と同じで、教育と貯蓄と労働参加率の増加だろうね。むかしほどの速度では成長しないだろう。一部のアジア経済は、もう貯蓄も教育も労働参加率も、いくとこまでいっちゃってるから。でも、まだ中国にはたくさんお百姓さんがいて、かれらが現代世界に引き出されるのはこれからだし、それ以外にも、現代世界への参加プロセスがまだ始まったばっかのところはいくらでもある。アジアはまちがいなく、いずれ世界の総生産のほとんどを生み出すようになるだろう――でもそれは、人類のほとんどがアジア人だからってだけの話ではあるのだけれど。
 

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