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『ケトル』書評 2018

『ケトル』2018/02 40号

ザラスカ『人類はなぜ肉食をやめられないのか』(インターシフト)

 ぼくは肉が大好きだ。別に菜食主義に恨みはないし、海外出張で肉の少ない地域(たとえばインド)にでかけても、別に肉を求めて悶絶したりはしない。動物愛護派のいろんな意見――肉食は残酷だ、食用家畜の飼育は虐待に等しい、地球温暖化を悪化させる等々――は、わからなくはない。でもそれで何かを変える気はないし、哲学者たちが持ち出す倫理的な議論だの、まして動物に権利があるの云々といった意見に与するつもりはまったくない。

 そしてそれは、やはり多くの人の共通した見方だ。人は肉を食べたがる。でもそれについてきちんと学ぼうとすると、なかなかいい本がない。肉食の課題についての多くの本は、狂信的な動物愛護派によるもので、脅してやろうという偏向が露骨にあらわれている。いかに肉食はよくないか、食肉業界がいかに残酷で陰謀を弄しているか、という点は書かれていても、そもそもなぜ人が肉を食うのか、そしてなぜ肉はこんなにうまく、みんなおいそれとは肉食を捨てようとしないのか、という点については大した説明はない。

 本書ザラスカ『人類はなぜ肉食をやめられないのか』(インターシフト)は、まさにその表題通り、人間がなぜ肉にこんなに惹かれるのかを出発点に、肉にまつわるあらゆるトピックを扱った本だ。

 人類が肉食をなかなかやめられないのは、まずそれが進化の過程で、人類の栄養摂取にとってきわめて重要な役割を果たしたからだ。さらに、肉食は人間の社会形成にもつながった。肉は昔は保存がきかない。大型動物の肉は、みんなで分け合って喰うしかない。それが社会の発達をもたらし、そして社会の中で肉をどう喰うかが、ある種の階級や女性獲得に向けてのツールとなっていった。そしてそれは古代だけでなく、中世でも現代でもそうだ。肉はそうした人間そのものの発達と深く結びついている。

 もちろん肉食がもたらす健康上の問題なんかもある。また食肉業界は、肉を食わせようとあれやこれやの手管を弄している。でもそれでも、基本的には人類は肉が好きなのだ。ベジタリアンたちは、大豆で作った肉もどきをいろいろ食べる。でもそれはまさに、かれらも肉が食べたいという欲望の裏返しなのだ。

 本書はそうした人類と肉の関わりをいろいろ描く。味や、料理の方法、文化ごとの際も含め。同時に、菜食主義がどう発達したかも検討し、さらには所得向上に伴う肉の不足と、人造肉の新しいトレンドまで様々に描き出す。そして本書が最後に提案するのは、無茶な禁肉やいきなりの菜食主義ではなく、全般的な肉減らしだ。食べ物を少しずつ、代用肉なども使いつつ、肉でないものに移行する――それにより全体的なバランスを取るようにするのが賢いのでは、と。

 本当にそれをやるべきかは、もちろんあなた次第。ぼくは本書で描かれているように、将来的に肉が不足するなら、だまっていても自然にそうした転換は起きるのでは、と思う。それでも本書を読んで、自分と肉との長い歴史を見直すことで、今夜の夕食への視線からしてすでに変わってくるのではないか。


『ケトル』2018/04 41号

ミラー『消費資本主義!』(勁草書房)

 ぼくたちは日々、いろんなものを買い、消費している。その買い物の中には、純粋に機能的にいえばなくていいものも多い。多くの人は、単に防寒その他の実用性では説明しきれないほど大量の衣服を抱え込んでいる。いやむしろ、一部はかえって機能を邪魔している(ハイヒールとか)。手持ちのスマホもパソコンも、別に問題なくても買い換える。週末にもろくに乗れない車を買ってみたり、あるいはこんな書評を読んで、読みもしない本を大量に買いこんだり。

 そうした無駄な大量消費を嘆き、批判し、それが企業の陰謀だ、資本主義を延命させるための詐術だ、世界を破滅に追いやり第三世界を搾取し動物を虐待して環境を破壊する奸計なのだ、と騒ぐ本はいくらでもある。でも……昔から言われ続けているのに、それがあらたまる気配は一向にない。それどころかアンチ大量消費主義の人々のほとんどすら、アンチ大量消費主義の製品を大量消費するだけだったりする。

 なぜこんなことが続いているのだろうか?

 本書はそれに対して、明解な答をだす。人々は本当にそういう無駄を望んでいるのだ。というか、それは無駄ではない。他人に対して自分についての情報を誇示し、自分がどんな人間かをシグナリングすることで、伴侶を得て子孫を残しやすくしようという、進化的に意味のあることなのだ、と。そしてそこから考えると、誇示すべき内容も決まってくる。本書は、その誇示すべき内容を知性と性格のビッグファイブ特徴として明解に整理している。

 でもなぜその誇示が、各種の大量消費という形をとるのか?それは、そうしたシグナルを偽造しにくくするためだ。頭がいいというのは伴侶獲得に有利だけれど、それを納得させるには、いい学校を卒業たとか、ノーベル賞とったとか、偽造しにくい高価なシグナルが必要だ。高給取りで扶養能力が高いのを示すには、何より本当に高いものを買って身につけるのがいちばんの証拠だ。その競争が消費主義につながる!

 本書はこれを様々な形で描き出し、これまでの愚かなアンチ消費主義をくさす。そしてそうしたシグナリングを効率的に行うことで消費主義に(あまり)とらわれないいくつかの方法を提案する。

 批判はある。著者はいまのマーケティングがこうした進化的な知見を使わないというけど、ホントですか?そして進化論的な説明の常として、あとづけめいた印象もある。でもその一方で、本書はぼくたちの消費主義を、むしろ希望の源とも見なす。何時の世代も、新しいシグナリングの手法を模索し、それを編み出す。それは人間の遺伝子に刻まれているのだ。だからこそ、資本主義は安泰だ、と著者は述べる。そしてそれは、よいことなのだ。ただ、それをもっと上手にやる方法はあるはずだ、と。上手な翻訳もあって、とても読みやすく楽しい本だし、是非ご一読を。そしてもっと上手な消費主義とのつきあいかたと、もっと成功する伴侶獲得方法を皆様が習得できますように!


『ケトル』2018/06 42号

ウェインライト『ハッパノミクス』(みすず書房)

 ドラッグがらみの話は常にイデオロギー的な意図をもった話になることが多くて、本当に客観的でフェアな話はなかなか聞けない。この『ハッパノミクス』は、珍しい例外だ。ドラッグ産業とその市場構造について、数字とフィールド調査(!!)を元に明らかにしようとする本だからだ。

 最初ぼくはこれが大麻系の話だと思っていたけれど、メキシコ系ギャング系のコカイン系の話が大半となる。本書はまず、ニュースに出るドラッグ関係の数字がやたらに誇張されていると指摘する。ドラッグが押収されると、末端価格何十億ドルとか出るけれど、あれは薬物の歩留まりも考慮しないまま、いちばんでかい小売価格を単純にかけ算しているだけで、実態とは文字通り桁がちがう数字になっている、と。

 そしてそこから、本書はコカインの産業構造から入る。ドラッグ需要は下がっているのに市場価格はあまり変わらない。なぜだろう? 実は農家にとってギャング団は独占流通業者だ。だから市場や各種の条件変化に伴う価格変化について、ギャング団は農家のほうにすべて押しつけて、小売価格は変えずにいられるというわけだ。そしてここから、コカ農家も結構買いたたかれてそんなに儲かっていない、ということになる。警察に目をつけられたりするリスクまで考えると、あまり割はよくないし、他のもっと儲かる作物があれば簡単に乗り換える。

 著者たちは、こうした経済学的な分析をあらゆる側面に適用する。労働経済額的に見ると、堅気でやっていけない連中がギャングに走るから、実は刑務所内での職業訓練とかはかなり大きな意義がある。またギャング団も、日頃抗争で殺し合いばかりしているような印象があるけれど、手を組んだほうがいいのはどういう場合か、かれらも熟知している。そして顧客満足度の向上や各種CSRなどにも精を出し、営利企業と同じような経営を立派にやっている。その一方で、脱法合法ドラッグの蔓延というイノベーションや、大麻では合法化の波が市場環境に大きな影響を与えている。

 そして最終的に著者たちは、これまでのドラッグ対策モデルが、かえって有害だと述べる。厳罰と過度の取締だけだと、ギャング団を追い詰め、過激な行動に走らせ、かえって被害者が増える。市場や人材や規制環境をもっと柔軟に考えて、ほどほどのところで流れをコントロールするような方向性のほうがいいんじゃないか、と。

 こういう結論を見て、ドラッグ容認ではないかと顔をしかめる人もいるだろう。でも結局それは、いったい何のための取締か、という話ではある。そしてそれ以上に、ドラッグもまた経済的な「財」であり、経済学的な分析が十分当てはまるというのが、本書で如実にわかる。むろん、ほとんどの人がこれまで知らなかったような(知ってたらかなりヤバい人だ)小ネタも満載。それだけのためにでも、是非ご一読を。もちろん、うっかり変なものにゆめゆめ手は出されませぬよう!


『ケトル』2018/08 43号

涌井『Excelでわかるディープラーニング超入門』(技術評論社)

 うーむ、この発想はなかった! Excelで深層学習!しかし言われて見ればなるほどねー、というのがこの本だ。

 世の中いまや、何かといえばAIで深層学習だ。みんな、ちょっとしたデモを見ただけで、やれ人間が駆逐されて仕事がなくなるの、すべてのビジネスが変わるの、人類が亡びるの、勝手に妄想をたくましくして、昔の出来の悪いSFの焼き直しみたいなことを口走るようになっている。そして、だんだん思いつきで極端なことを言うと、それが本質的とか根源的とか言われてもてはやされたりする気運すらある。

 でも、そんな変な妄想にふける前に、まずちょっとでいいから触ってみてはいかが? AIや深層学習って、実はそんなに難しいことをやっているわけではないのだもの。 ただそういう本はすでにたくさんあるけれど、いままでは簡単なものでも、プログラミング言語の入門程度は必要で、やはり多くの人にはそれなりにハードルが高かった。うーん。このぼくも、Pythonはまだほんのさわりしかやってなくて、まだ深層学習とかで遊べるほどにはなっていなかったんだよね。勉強しようと思ってはいてもなかなか……

 が、本書はさらに下がって、エクセルだ!

 確かに、言われて見ればなるほどではある。深層学習は、いくつかの層があって、その層の要素が次の層の要素と、ある関数関係で結ばれている。その関数のパラメータを学習によっていじることで、出力を調整できる。これはつまり、エクセルのセルがあって、そのセル同士が関数で結ばれていて、その関数を何度もソルバー機能をつかって補正するのと、やってることは同じだ。

 ……おそれいりました。

 エクセルなら、仕事でも使ってる人はいくらでもいる。しかも、そんな高度な話は一切いらない。ふつうに経費計算でもしたことがあれば、何も問題なし。ソルバーの使い方がちょっとアレかな。でもこれ自体、知っておけば仕事にも活用できる。

 そしてそれだけで、巷で話題の人工知能がいじれる! それも、エクセルだから、仕事中にサボって遊んでいても絶対バレない!

 本書は、エクセルでディープラーニングの基礎をやって、実際に手書き文字認識までやる。エクセルでどうやって画像を取り込むかと思ったら、そのやり方もなかなか巧妙。大したものです。

 世の中、最先端にばかり目がいきがちだけれど、でも実際に世界を変えるのは、実はレベルの低いアプリケーションだったりする。人工知能もたぶん、棋聖に勝てる超絶AIより、そこらのエクセルに暮らす人工無能と揶揄される程度のものだったりするのかも。平凡なエクセルシートが、何やら「学習」しちゃったりしている様子を見るだけで、人工知能のイメージも変わるし、そもそも「学習」って何なのか、いろいろ考えさせられる要素はいっぱいだ。いやあ、楽しい。みなさんも是非、本書でお手軽AIに触れてみてほしい。そしてできればそれをマクロ化してネットに放流し、それが増殖して世界に広がって、それがスカイネットに……


『ケトル』2018/10 44号

クローバー『チャイナエコノミー』(白桃書房)

 執筆時点で、アメリカと中国が(もちろんトランプの、貿易赤字の何たるかもわかっていないバカな思いこみのおかげで)時代を一世紀戻すような貿易戦争が勃発しそうになっている。それに伴い、アメリカ経済はどうなる、中国経済はこうなる、という話がやたらに聞かれるようになってきたんだけど……

 アメリカ側の話はトランプのくだらないネタばかりであまり得るところはないけれど、中国側の話はそれに輪をかけたヨタが出回るようになっている。中国は共産党の支配だけで決まる完全な統制経済だとか、中国の統計はすべてごまかしで今度の貿易戦争で人民元暴落云々。少し広い視野を得ようとしても、書店の店頭で見かける中国経済本は、中国経済崩壊間近とか汚職まみれのインチキ経済とかいう、日本のバカな中国へのやっかみ感情を慰撫するような代物だったり、三日前に初めてスマホ決済した素人のお気楽見聞録もどきだったり。素人として全体像をきちんとつかむのは至難の業だ。

 が、ありがたいことによい本が出ました。中国経済の基本的な仕組みから、その現状、課題、将来的な懸念事項までをきわめて手際よくまとめてくれた本だ。クローバー『チャイナ・エコノミー』(白桃書房)だ。

 このぼくも、断片的には把握しているけれど、決して専門家ではない。中国の深圳のエレクトロニクスや製造業の現状やインフラ整備については、まあまあ見ているけれど、中国経済全体についての理解となると、いささか心もとない。中国経済は、完全な市場経済ではない一方で、変なレガシー規制でがんじがらめの日本市場に比べ、圧倒的に自由な競争もある。そもそも、中国の政治と経済の関係は、また地方と都市部の関係はどうなのか、環境や労働状況を犠牲に経済発展をしているという批判はどうなのか……

 本書は、それをきわめて簡潔にまとめてくれる。もちろん簡潔といっても、巨大で複雑な中国経済だから、400ページ近くはかかる。が、それだけの価値はある。産業の状況、地方部の経済、格差の元凶から、金融政策、シャドーバンキングの状況、中国の技術水準の話まで、もうなんでもござれだ。

 そして何より嬉しいのが、変なイデオロギー的偏向がないこと。中国経済について、いいとか悪いとか、望ましいとかダメだとかいう決めつけはなく、客観的なデータ(そのデータの信頼性についても補遺できちんと延べている)と分析がとてもわかりやすく延べられている。

 そこから出てくる結論は、当然ながら世の中そんな単純なものじゃないよ、という話ではある。中国がいきなり世界経済を支配するとか、中国大崩壊間近とか、一言でまとまる本ではない。でもまさにそれがないことこそ、本書の誠実さの証でもある。中国経済について聞いた風な口をききたい人、変な煽りに耐性をつけたい人は是非ご一読を。そして、これを読んでいれば今回のトランプの愚行とその影響の大きさについても、そこらの安手の評論家をはるかに上回る見識が得られるはず。


『ケトル』2018/12 45号

ベン・ブラット『数字が明かす小説の秘密』(DU BOOKS)

 人工知能によって、人間の知的活動がすべて取って代わられるのでは、といった不安を煽る本がたくさん出ているのは、ぼくのこのコラムでも何回か述べたところ。とはいえ、人間がやってきた「知的」営為なんてものが、かなりの部分はつまらない定型作業の組み合わせでしかなく、早晩機械化されるのもまちがいないところ。

 本書は文学という営為について、それをやってみせた本だ。

 多くの人は、文学というのを人間だけのクリエイティブな活動だと思っている。それを書くほうも、鑑賞する「文芸批評/評論/研究」といった活動も。

 でも、文学作品書く行為が(ある程度は)機械化できてしまうのは、ウィリアム・バロウズが実証し、その後も各種人工無能などが続々登場している。そして本書は、その批評について同様のことをやっている。

 批評というのは人が文章において反応すべき部分を抽出する活動だ。そしてそれはストーリーがどうした、という話ではない。人格者が妻の不貞に疑心暗鬼になる話は、『オセロー』のような文学にもなれば、ろくでもない寝取られ小説にもなる。その書かれ方をどう見るかが、文学的な批評の一つの本道ではある。

 そして本書は、単語の頻度分析を通じて、実際にそれをやってみせる。簡潔な副詞の少ない文がよいと言われるが、実際の作家ではどうか?(是非、コーマック・マッカーシーも分析してほしい) または男女の作家で表現にどんな差があるか?作家ごとの文体の差は統計分析でどこまで分かるか?(ほぼ百%わかるそうな) その他もろもろ。

 そんなのは文学批評/研究ではない、という声もあるだろう。でも、ぼくはこれが、要領を得ない印象批評やイデオロギーへの強引なこじつけ(最近は特に多い)よりもはるかに立派なものだと思う。そして、そうした言葉の頻度が、実は人間による評価ともかなり高い相関を持つことまで示される。すばらしい。

 似たような試みとして、フランコ・モレッティ『遠読』が出ているけれど、本書のほうが気軽で楽しい。文学評論の未来(の一方向)を見たいかたは是非。

 そして、これをキワモノと思ってるあなた。ルンバが悪口を言われつつすぐに掃除機のメインストリームになったように、数学のできない文系もやし連中の牙城でもある文学研究も、あと十年で統計分析屋に乗っ取られるかも——本書はそんな妄想すら可能にしてくれる。本書を読み終えたら、すぐにテキストマイニングの教科書を勉強しようと思う——たぶんそういう高揚感または危機感を抱けない人は、本当にあと五年で人工知能に駆逐されるんじゃないかな。この本でやってる程度の分析、一週間もあれば身につくし、ネット上にはすでに電子テキストがいっぱい(そうでなかった頃の話も本書にはあって、涙もの)。さあ、どうです!

 ところでこの本、著者名が帯の下に隠れてるのは、ちょっとかわいそう……



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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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