デザイン。

© 1997 Jamie Zawinski <jwz@jwz.org>
このサイトをいちばんよい状態で見るにはMosaic Netscape 0.4をお使いください。
design.


 さまようクリックの日々の中で、あの手の「ウェブデザイナー」ってやつのサイトに出くわして、これがまあこの手のサイトのご多聞に漏れず、中核「デザイナー」群が自分たちみんないかに知的で内省的かという大見得を切って見せるのをお互いに誉めっこするようなもので、それが近親相姦的な肩のたたき合いクラブにすぎないことをほとんど隠し切れてなくて、ひたすら自画自賛ばっか。たぶんこいつらの履歴書って、お互いの名前以外にはだれも推薦者として挙がってないんだろうね。こいつらはえらく時間をかけて、極端に漠然とした用語で「デザイン」についておしゃべりして、そしてお互いに権威づけのためにアピールしあう、と。

 このサイトにあったリンクをたどると(これがホスト名じゃなくて、IP アドレス指定ときた!)、なにやらhttp://666.66.66.666/oldpage/index.htmってな名前のページにやってきた(このケツのhtmが特に気に入ったね。なんでもDOSを思わせるものに出くわすたびに、ぼくはレッドモンドの方向にkotowingしたくなるんだ。Micros~1 の連中ってば、ホント見事なやり口ですこと)。とにかく、そのページの一部にはこうあった:

ここには巨大なちかちかする anim-gif 画像。
ちなみにこの画像は全部文字の画像で、その文字には「404」が含まれてた。

 ここに迷い込んだ理由として考えられることは二つあります……

  1. ...ぼくって賢い気の利いたお利口ちゃんでしょ的ウダウダウダのユーモアたっぷりのつもりの自己満理由その1は削除...

  2. 二番目の理由としては、あなたのブラウザが単に古すぎるか、新しすぎるか、十分に進歩していないということです。弊社[どこぞ]でわれわれが耐えず考案し続けているすさまじい量の DHTML / HTML / JS 名人芸のため、われわれとしても全プラットホームで全ブラウザをサポートするという点については、どこかで一線を引かざるを得ません。すぐ下に、現在サポートされているブラウザの一覧を示してあります:
    • Internet Explorer v.4.0 から v.5.5 ( Mac & PC )
    • Netscape Communicator v4.01 から 4.72 ( Mac & PC )

 ところがどっこい、ぼくがこれを見ていたのはまさに Netscape 4.72だった! が、こいつらにはどうやら Unix はまだまだベータすぎるってわけだろうよ。

 こんなことをわざわざ明示的にやるってのはどういう種類のバカだ? きれいにdegradeしないHTMLを書くってのは、いったいどういうバカよ? HTMLってのは自然にそうなるよう設計されてるのに。だからこそ、認識されないタグはデフォルトで無視されるのだ。つまんないこと言わずに、あっさり表示すりゃいいじゃん! それでもちゃんと読めるから! ナウっちい未来感覚のレイアウトはなくなるかもしれないけれど、でもはちゃんと読めるから。

 あ、これってぼくの偏見か――ぼくはなんてのが重要な部分だと仮定してたんだけど。いや、ワタシがバカでごぜーました。

 こういう連中は、jodi.org とかこの手の完全にビジュアルなものでない限り(このウェブページは散文じゃなくて実際にはアプリケーションだ)、こんな絶望的 厨房ドキュソどもなんか獣のエサにしちまうがいい。

 「名人芸」。「名人芸」だと。半メガバイトもの斜線影つき背景画像とチカチカする棒画像で、書かれたことばがてんかん症のフルーツサラダに変わっちゃうと、最近じゃ「名人芸」呼ばわりできんのかよ!

 自分のブックマークを見直して「この中のどのサイトがよいデザインだと思うか」と考えていったけど、これはなかなかむずかしい問題だった。というのも絶えず「こいつはいいサイトだ、あれはいいサイトだ」とは思うんだけれど、そういうサイトは大して「デザイン」がないのだ。一山いくらの「ウェブデザイナー」どもが言うような意味では。

  HTML とかJavaScript なんかでおもしろい芸をするサイトはいろいろあるけれど、でもぼくをいらだたせるのではなくて本気で感動させたものは、非言語的なものだ。飾りや騒ぎだけが中身であるようなところ。こういうサイトだと、そのすばらしさは、それが見る人を混乱させてランダムで、次にどこへ行くか、それがどう見えるべきか、単なるバグか判断がつかないところにある。そういうのは、すごい。

 でも、他に何か 言うことがあるんなら、話は別だ。

 前に一度、「このページを最高の状態で見るためには、うちのオフィスまできてうちのモニタで見ることだね」と書いてあるページを見たことがある。こういう正直者にはなかなかお目にかかれない。

 それよりずっと多いのが、トップレベルのページにまったく文字や ハイパーリンクの欠如したページ。ふつうは黒で、なにやら時間の無駄でしかないアニメが表示される。最近では、それに加えて巨大なFlashファイルのロゴがくるくるしてることが圧倒的に多い。

 ぼくに判断のつく限り、こんなイントロページを作る意味ってのは、そこにすわってこう言うことだ:「おれってクール。クールすぎて、もうおれって何するヤツなのかも説明しないでいいくらい。おれってクールだから、じっとすわってひたすら時間を無駄にして、いろんなものがロゴのまわりをひゅんひゅん飛び交うのをキミが眺めるのを待てる、と。ねえかっこいいロゴでしょう? 気に入ってくれるといいな。だって、いっぱいお金をかけたんだもの。オレオレオレのかんたんふ! もうひたすらオレばっか。おやなに、本気でこのウェブサイトから情報なんかほしいわけ? オレが誰かとか、何を言いたいか見るとか? 何か製品買うとか? あっそう、どうしてもと言うんなら。もうちょっと待ってね。ほら終わった。ここが本物のトップページだよ」

 狂ってる!


 さて、最大限の人にウェブページをきれいに見てほしいと思うのは、まるでいけないことじゃない。でも、ものには優先順位ってものがある。意味よりもレイアウトに高い価値を置くってことは、自分の言葉にあまり重きを置いてないってことだ。だったら見る側だって、そんなことばを相手にする義理がある? そっちが「適切」と判断した形でなければ、ページを見ることさえ許してもらえないのであれば、それはつまり、ポップアップウィンドウだの燃える黄色の縁取りのほうが、あなたのアイデアより重要だと言ってるに等しいわけだ。

 最近ではウェブのブラウズには Netscape version 3.02を使い、JavaScript, Java, 文書指定フォント、プラグインをオフにしておく。そして、これが実にすばらしい。なぜか説明しよう。サイトは三つに分類できる。:

  1. ホントの中身があるサイト。この場合、こういうサイトはJavaScriptだのレイヤーだの、指定フォントだのプラグインだのに依存しない。使うことはあるかもしれないけれど、でもぼくはそれに気がつかないし、気がつく必要もない。そんなものなしでもサイトはまともに機能するからだ。

  2. 小利口さ全開のサイトで、最新のガラクタをありったけ使うけれど、でもそういうクズをブラウザが全部 無視してくれるので、問題なく読めるもの。こういうサイトは、プレーンテキストの場合よりも見てくれがずっとひどい。でも読み込みは早いし、ブラウザをクラッシュさせることもない。

  3. 中途半端に小利口なサイト。まるっきり読めない。こういうサイトは完全な白紙のページになって、「ソースを表示」すると、その邪悪の性質がわかる。頻度は少ないけれど、ページはなにやら偉そうな糾弾を表示して、そのページを見られないのは、ぼくやウェブや、ネットスケープや神のせいだと言う。ありとあらゆる人を糾弾するけれど、でも唯一デザイナーだけは糾弾されない。本当に責任があるのはそいつなのに。

     でも、これはまったく問題ない――というのもこういうまねをするサイトは、例外なく中身がまったくないからだ。だからこれはものすごく時間を節約してくれる、すごいリトマス試験になるわけ! サイトが最新のクズを全部使っているなら、それはその誰ぞのサイトは、中身より外見を気にしてるってことで、そうなる理由はただ一つ、そいつらの中身がクズだからだ。もしこいつらが有意義な中身を持っているなら、えらそうな罠で飾り立てて、人に そこに何かあると思わせたりしなくていいはずだ。

 このアプローチのもう一つのメリットとしては、ネットスケープ3は実に神々しいほど小さい、ということがある。リリース当時、このブラウザは巨大で 肥大化してるという評判だった。でもこれは1996 年当時。世界もあれから進歩した。今日の標準からすると、ほとんどフェザー級といってもいい超軽量だ。ファミコンのコマーシャルで言うように「上のレベルへようこそ」ってわけ。

 あと広告フィルタリング用プロクシのJunkbusterもお薦めだ。速度がかなり上がるし、さらに不要な知覚的 有毒物を削除してくれる。


 どうもぼくの基準もかなり下がってきたようで、最近では「よいデザイン」ってのはページが死ぬほどいらだたしくないことだと思うようになった。サイトが主に文字で、デフォルトフォントを変えないで、文字だけの画像を何十もダウンロードさせないで、URL をフレームのセルに隠したりせず、「戻る」ボタンが使えないようにしたりせず、目次かなんかをつけてくれて、多少の抑えを効かせてくれて、そして派手なお飾りや騒ぎ、輪っかトンカチや高圧電力綱渡りなしで中身を見せてくれれば……それだけで、ぼくはもう 安堵のため息をついちゃうのだ。

 だれか SUVに載ったやつが、カーブで速度を落としてウィンカーを使うのを目撃したときの、あの感覚とそっくり。

「おお、いまの見たかよ、すげーなぁ」

 このセンス・オブ・ワンダーだけは、ぼくは未だに失っていない。


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