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hot WIRED での各種おしごと

 hotWIRED での仕事って、なんかありそうで少ないなあ。ほかにも話はときどきあったのに、なんかどれもぼくがきちんと返事できなかったりでうやむやになってる。
 蛇足ながらぼくはここの極端なデザイン重視のページづくりがどうも好きになれないんだけれど、最近テキストだけのバージョンもつくるようになっていて、そっちはすっきりしていてとてもきれい。


1997 年 09.22 号(創刊号):Freeware Mind

 これは前からやりたいと思っていた仕事。最初、『ワイアード』でちょっと様子を見たんだけど、モノにならなかった。それがある日突然「ストールマンのインタビューしない?」と向こうから言ってきた。わぁ、偶然っておそろしい。で、「どうせならリーヌスにも話をきくべ」と持ちかけて、最初の腹づもり通りのものを実現。結果的に、世界的に有名なインタビューになって、あちこちに転載される結果になったのは嬉しい。英語は強いね。フランス語訳もあるはず。「フリーソフトの話なんだから GPL にしましょう」といったら編集の川崎さんがおもしろがってのってくれたのもポイント高い。感謝。
 しかしストールマンが出色のでき。ふつうのインタビューは相手がなに言うかなんて見当つくけど、かれには本気で驚かされた。これを読んだ人の多くは「でもあんなのそのまま出して、RMS は文句言ってこない?」と心配してくれるんだが、これはなんと RMS のチェックが入った公認インタビューなのだ。
 なお、このときの原稿料は、FSFXFree86 に寄付。


連載:山形浩生のケイザイ 2.0 (1998年10月〜)

 『ワイアード』休刊とほとんど入れちがいで始まった。どうなることやらまだ不安。中身はまあ経済金融の話をとってもゆるい中心にしつつ、なんでもありという、まあ字数制限のきつくない「山形道場」だと言ってしまえばそれまでだな。

1998 年 10 月 第 01 回:「スーパー・アクロバチック・不景気脱出策。」(その英語版

 クルーグマンの、インフレ期待による景気回復の説明と、同じ考えをもとにしたぼくの消費税アップによる景気回復策について。久々の自信作。指定字数の 4 倍も書いてしまったが、それで大丈夫なのは Webzine の強みだ。これはクルーグマンに読ませたいので英語版もつくってある。英語版のほうが、実は中身は詰まっているのだ。

1998 年 11 月 第 02 回:「信用って最終的には数字じゃないのよ、銀行さん。

 金融ナントカ法の説明、の前提になる銀行の仕組みの話。しかし説明はうまくいってるけど、その最後のところがいまいち落としきれていないのが残念。このタイトルにした話題が充分に展開しきれてないんだ。しかし今回のイラストの「注入」はいいねえ。

1998 年 12 月 第 03 回:「バングラデシュの子供たち。

 バングラデシュ原稿第 3 段。やっぱ気を散らすものが MTV だけだし、いろいろ新鮮なネタがあるので、仕事がはかどるはかどる。原稿としては、まあ凡庸だな。いまにして思えば、経済援助の話とか、子供の労働の話とか、いま一つ日本の読者には身近じゃなくてぴんとこないと思う。

1999 年 01 月 第 04 回:「官僚いじめもほどほどに。

 ミャンマー直前原稿。もともと「そもそも価値とは何か」というぜんぜん別のネタを考えていて、これが話がでかすぎてぜんぜんまとまらずに、締め切りをかなり過ぎてから路線変更。遅れに遅れてしまいました。原稿料は菊池行きだなあ。でも、官僚いじめってちょっとひどいと思う。アジア各国でもそうだけれど。経済がいいときには、「優秀な国民と優れた政策のおかげです」とかいってお役人がえらそうな顔をしてたから仕方ないのかもしれないけれど。まあ景気のいいときに役人が「いや、ちょっと運がいいだけです、われわれは何もしてません」と言うのも嫌みっぽいかなぁ。

1999 年 02 月 第 05 回:「途上国の修理屋さんと先進国の修理屋さん: 自動車メンテ、フリーソフトと好奇心

 バングラ 2 回目出張中の原稿。話として、CUTで書いた物と前フリが重なってしまっている。ネタをくれた山羊さんに感謝。なんか、フリーソフト推進論者の主張って、すてきだけれどホントにそうか、という気がしなくもない。もっと共存するんじゃないか、というのを最近考えているけど、これがその発端。

1999 年 04 月 第 06 回:「ダウ平均と日経平均と景気のからみあい。

 前から何度も書きかけてる「価値」ってネタで一発書いて、でもあまりに抽象的でなんだかなー、ということでダウ平均の話で別のを書き直した。価値の原稿は、また機会があるでしょう。でもこれはかなり遅れてしまった原稿。

1999 年 05 月 第 07 回:「味なことやるビッグマック・インデックス

 ビッグマックインデックスの解説と、PPP の説明。原稿あげてからWeb掲載までに、なんと一ヶ月かかってる。なんのための Web ジンだぁあぁ。でもこの連載、なんだか話がいろいろとびすぎていて、編集部のおおぼえはうるわしくないらしい。うーん、一貫したテーマで書けるほどのまとまった知見があるわけじゃないし。それに新聞読まないから時事ネタも知らないしなあ。どうしようか。

1999 年 06 月 第 08 回:「MBA どもの知らないテクニカル分析

 最近のマイブーム、テクニカル分析のお話。いやぁ、これはなかなか楽しいんだよ。もちろん、経営の指標や参考にはまったくならない、ただの投機のための理屈でしかないんだけれど、最後に書いたフラクタル話がうまくいくと、ひょっとしたらおもしろい展開があるかもしれないので、横目でくらい見ておくといいんじゃないかな。たぶんランダムウォーク仮説を知ってる人のほうが面白がってくれる原稿だと思う。しかしこれも、あまりおーぼえは……

1999 年 07 月 第 09 回:「「魔法のおなべ」ではまだまだ不満なのだ

 訳してて思ったことを素直に書いただけなので、原稿としてはすなお。きちんとまとめて、ESR への反論・質問書をこしらえよう。

1999 年 08 月 第 10 回:「じつはアメリカ経済も、結構底が浅かったりするのだ

 ロバート・ゴードンの論文が出て、アメリカの産業部門で生産性があがっとるのはコンピュータ製造だけよ、というのがおもしろくて書いた。情報化では生産性はあがらない、というのは、そのサイドの話だったんだけれど、なぜかタイトルはそっちになった。それともおれがこれつけたんだっけ? そんなはずはないと思うんだけど。まあいいや。これもやっぱむずかしいなあ。

1999 年 10 月 第 11 回:「後悔と可変割引率

 これは The Economist を読んでいて、とってもおもしろかったので書いたネタ。だけどきちんとまとめきれなかったな。割引率をきっちり理解していない人に、これのおもしろさをわかれ、というのはつらいかもしれない。

1999 年 11 月 第 12 回:「投げ銭と青空文庫

 投げ銭はひつじ書房の松本という人が中心に提唱している、Webページにおひねりをあげるシステムをつくろう運動。発想はわかるんだけれど、どうもピンとこないのと、なんかかれの言うことが変なので書いたもの。なお松本はこれを読んで「見知らぬやつに呼び捨てにされている」とか怒っていたけれど、ロバート・ゴードンやクルーグマンだって呼び捨てだい。

2000 年 1 月 第 13 回:「よい公共投資ってだれが決めるんだろう。

 小野善康&吉川弘本の書評。実はSIGHTのボツ原稿のリサイクル。肝心の本の題名が「正しい見方」ではなく「正しい考え方」だったのには後で気がついた。恥ずかしい。これをやったのと前後して、小野善康と稲葉掲示板なんかで議論ができておもしろかった。その後の議論のまとめは、このあたりで読める。

2000 年 2 月 第 14 回:「NGOとかNPOとかボランティアとか。

 問題の。これはいろいろ反響を呼んだ。みんな夢や希望の大きい暮らしをしているのだね。その中でメインのものは次号のネタにはしたけれど。

2000 年 4 月 第 15 回:「情報の消費者&規制の意義

 前回の反響を受けて。いや、前回の反響より、ぼくには今回考えたプライバシーの根拠みたいなことのほうが重要なんだけど。なお、これに対してさらに前田から反応があったんだが、ただの罵倒に堕していてがっかり。

2000 年 5 月 第 16 回:「まともなニューエコノミー論、トホホなニューエコノミー論

 となりで始まった連載の第一回の罵倒と、ニューエコノミー論ってのがどういう議論かの軽いまとめ。すべての議論は、クソとみそを峻別するところから始まるのである。Divide and conquerの基本ですねー。しかし、高木文堂という人は、連載始まったとたんにとなりでこきおろされて、さぞ面食らうことであろう。自業自得だが。

2000 年 7 月 第 17 回:「日経225平均 vs 東証TOPIX

 疑問に思ってさくっと調べたら、うまいこと結果が出ました、という一文。どっちを使っても大差ありません。あたりまえなんだけど。

2000 年 10 月 第 18 回:「アマゾンがもしつぶれたら

 ニューエコノミー論に疑問を呈してきたぼくだけれど、ここらでそろそろバッシングのアレも終わったかと思って、いいとこも見ようという試みを始めたのである。

2000 年 11 月 第 19 回:「ミッチ・ケイパーいまいずこ

 前回の続きを少しやってみました。

2000 年 12 月 第 20 回:「電力の自由化・市場化と市場操作

 カリフォルニアの停電騒ぎとニューヨークの停電をネタに、クルーグマンの記事にヒントにまとめたもの。

2001 年 2 月 第 21 回:「マイクロファイナンスと、高利貸しのポジティブな役割

 バングラデシュにでかけて、グラミンにインタビューしたりしているときの話をネタに書いた。

2001 年 7 月 第 22 回:「ホワイトカラーだって実はがんばっていたのか

 一般の通念をちゃんとデータで否定したえらい研究。もっとほめないと。

2001 年 9 月 第 23 回:「地域通貨ってそんなにいいか?

 自分でもよく書けたと思う。地域通貨翼賛文ばかりだったもので。このあと、地域通貨でユートピアを作ろうとした柄谷行人の宗教団体 NAM は見事に瓦解、柄谷はそれを地域通貨のシステムが悪かったと罵倒してちゃぶだいをひっくり返す。やれやれ。

2002 年 6 月 第 24 回:「REIT(不動産投資信託)を考える

 ネタ切れ感が続いていて、ほんとに久々の登場。この一年後くらいに、REITはそこそこの値上がりを示したし、またインカムゲインもそこそこあったので、ちょっとイマイチな文章。それもあって、結局最後の回になってしまった。


その他

エリック・レイモンド インタビューローカルテキスト版

 うむうむ、インタビュー的にはそんなにむずかしくなかったが、やっぱ無駄話をしつつ間を持たせる能力が自分にはないことがよくわかったなあ。こっちは 3 分おきくらいにいろいろ考えて、質問して、ESR がそれに答えて、こちらはまた 3 分考えて、といった具合。もっとパシパシ応酬があるとかっこいいんだけど。でもまあ聞きたいことはきけた。

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)
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