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ラテン

HB 2002.02 表紙
Harper's Bazaar 日本版 18 号(2002 年 03 月)

山形浩生



 人を出身地であれこれ決めつけてはいけないのはみんな知っているけれど、でもそれが楽しいことなのも事実ではある。日本人は、チビで出っ歯でたれ目でめがねをかけていて、カメラでVサイン写真撮るだけが能のまじめなくせに卑屈な群れないと何もできない「イエス/ノー」しか言えない連中ばっかで、アメリカ人は傲慢で、どこでも英語が通じると思っていて動作も言葉づかいもオーバーアクションでがさつで身勝手で、なんでも自分流で押し通せると思っていてそれが通用しないとすぐに爆弾落としたりするいやないじめっ子みたいな連中で、さらに中……あわわ、このネタは諸般の事情で却下、インド人はそれに輪をかけてごうつくばりで図々しくて、中国人すら恐れる天下御免の最強銭ゲバ、さらに韓……いやこのネタもしないほうが身のためではあろう、そしてラテン系のやつはいいかげんで適当で、時間にルーズで怠け者で、スケベで毎晩のみならず昼でもシエスタと称してセックス三昧、短気で血の気が多くて大仰で、その分情熱的で女と見ればすぐ口説きにかかり、その裏返しとして男尊女卑の権化、調子ばっかりひたすらよくて、口から出まかせ言いまくりの自慢のかたまり、てなあたりが通俗的なイメージではあるが、もちろんそんなものにとらわれるべきではなく、いろんな国の人々をよく知ればそういう偏見は消えるものである。

 ……というのは建前であって、もちろんそれぞれの国民はそう言われるだけのことを統計的にやってるのだ、と一方でぼくたちはだれしも内心思ってはいて、こないだ会ったボゴタ出身のやつも、まあこのステロタイプ通り口から先に生まれてきたようなやつで、ラテンアメリカ小説の話になって、いやあパオロ・コエーリョはいいよね、という話をしていたら、「おお、おれはこないだパオロと飯食ったぜ」とか言い出して、ほらほらきたぜこのラテン野郎めが、天下のコエーリョをパオロ呼ばわりかよ、と思っているうちに話がカルロス・フエンテス経由でバルガス=リョサに移ったら、バルガス=リョサとはマドリッドで親しく談笑した、とか、いやぁあいつもフジモリに選挙で負けてから見苦しいところをさらしたらしいねえ、という話になったとたんに「フジモリといえばおれはフジモリの副官とまぶダチで」とか言い出して、まったくこいつはバレねえと思って言いたい放題言ってやがるな、と思っていたらこんどは家族の話になって、女房はこないだ空港でオランダの王女とまちがえられて、とか言い出して、いやあこれだからラテン野郎は、何吹いてやがるケケケケと思ったところでそいつの家についたんだが、そこで出てきた奥さんが ぼくくらいタッパのある神々しいまでにすげえ美女で、さらに壁にいろいろそいつが人と並んで写っている写真がたくさんかかっていて、ほら見ろこれがコエーリョとの写真、こっちがバルガス=リョサだ、「パンタレオン大尉と女たち」は傑作だから読めよ、そしてこいつがフジモリの副官で、と解説してくれて、コエーリョの顔なんて知らないけれどバルガス=リョサは確かに当人で、するとこいつの話もフカシばかりじゃなくて事実なんだなあ、ラテン野郎でもでまかせばっかというわけではないのか、やはりあまりステロタイプにとらわれるものではないなと感心はしたものの、なんでそんなにいろいろ知り合いがいるんだ、ときくと、いやあ、知り合いっておれは有名人に話しかけて写真をいっしょに撮るのが趣味なのだ、と言うんだが、その後その奥さんのほうとクルーグマンの為替理論やマヌエル・プイグはすばらしいという話をしている途中から彼女の叔父の話になって、それがなにやら某国軍事政権の軍人で、日々生き物を殺していないと気が済まないというガルシア=マルケスかアストゥリアスあたりの南米独裁者小説から抜けてきたような人物で、うーむそういう型どおりのラテンアメリカ的人物像もあるのだなあ、とぼくは大いに感動して、やっぱりステレオタイプにはそれなりの根拠があるのかもしれないと思ったことであるよ。

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