山形浩生
GQがレイアウトその他を変えて、書評欄も刷新。というか縮小。1600字が670字ほどになってしまいました。けなして別の本をほめるという方式は好きだったんだが、普通の書評、それも本当に通り一遍のことしか書けない量に。まあしょうがない。
やり方はこれまでとほぼ同じ。毎月、編集担当が候補を5-6冊挙げてくれる。その中から選んでもいいし、また別の本をこちらで選んでもいい。
見ての通り、UFJ と三菱東京の合併について書いた本。日経の取材編集だけあって、堅実。変な陰謀論に走ることもないし。UFJ の懐具合、三菱東京の計算、住友信託や金融庁の腹づもりをそれなりの数値的な裏付けと業界内の相関図をもとに描き出していくのは立派。実はぼくもいま、これに多少からんだ仕事もしているので、UFJ の内情話はとてもおもしろかった。へえ、やっぱきついんですねえ。だれも知らなかった新ネタがあるわけじゃない。この話に利害関係や関心を持っていた人なら、だいたい知ってるべき内容だ。でも、通勤途上で向かいの人が読んでる新聞の見出しで知ってる程度の知識しかない人が、ざっと復習するには十分すぎるくらい。「覇権」とかいう無意味なことばを使いすぎだとは思うけれど、そこはまあ新聞ですから。
欠点を言えば、的がしぼられすぎていて全体が見えにくい。メガバンク云々の話は、みずほ誕生時にも出てきた。で、その時の話はうまく行ってるの? そういう検討があまり見られないのは残念。でも一方で、提携先の細かい事情、UFJ の人材流出問題、銀行以外の生損保や地域への影響についての記述等は、ふつうはあまり顧みない部分だしおもしろい。広さをとるか、あるいはつっこんだ細かさを取るか――これは採用する戦術の問題ではある。新聞は後者になりがちで(前者でやると、本が10ページで終わっちゃうし)、広い概論は自分でおさえておかないと、ゼロから本書を理解するのはつらいかもしれない。でも多少なりとも銀行業務について知っていれば波瀾万丈、そこらのドラマなんか問題にならないほど刺激的。
(コメント:まとめて読むとそこそこおもしろい本。)
ビジネス書というと、たいがいはバカの一つ覚えみたいに顧客志向の連呼になる。それはまちがっちゃいない。お客がつかなきゃ商売はなりたたない。でも、顧客志向って何なのか、というのはよく理解されていない。普通は、お客の顔色をうかがって、その気まぐれの一つ一つにヘイコラするのが顧客志向だと思われている。でもそれをやるうちに、いつの間にか歯磨き粉が五〇〇種類も並んでたりして、多くのお客はかえってとまどうことになる。往々にして顧客志向というのは、自分の優柔不断を潜在顧客にしょいこませるための口実になっていたりもするんだ。
そんな顧客志向なんかやめちゃえ。世の中には、客を無視してじらし、期待を裏切ることでかえって訴求力を持つ商品やブランドだってあるんだ、というのがこの本の主張だ。ファストフード屋の媚びた営業スマイルより、ラーメン屋の頑固オヤジの仏頂面のほうが客がつくぞ、というわけ。なるほどね。確かにそれはある。
もちろん、すべての店がこれをやることはできない。多くのところが「お客様は神さま」とやるからこそ、その逆を行くブランドや商品の稀少価値も出て、マーケティング的なポイントにもなる。本書の欠点は、その境目をきちんと教えてくれないことではある。このマーケティングが使えるのはどういう商品なの? 本書はそれを書かない。挙がっている例を見れば見当はつくんだけどね。どれもいろんな意味でクセのある商品やブランドばかりだから。ただそこまで行かなくても、顧客志向の連呼に飽き飽きした人には、ちょいと目先が変わっていいだろうし、各種エピソードも読み物として楽しい。
(コメント:うーん。こういうタカピーな営業をできるところとできないところがあるんだよなー。)
ぼくは都市計画畑の出身なので、看板には複雑な思いがある。都市景観の人は看板(と電柱)を目の敵にするからだ。CGで町並み写真から看板や電柱を消すのがぼくの学生当時の流行で、できあがったのっぺりした町並みを「すっきりした、落ち着いてる」とほめそやすのが常だったんだけれど、ぼくはそれが嫌だったのだ。香港をごらんよ! 派手な看板がないとつまんないよ! だから、看板側の言い分をきちんと書いた本書は非常におもしろかった。
看板も広告宣伝ツールなので、そこにはマーケティングの視点が重要だ。この本は意外にも(失礼)基本的なマーケティング理論をきちんと押さえて説明してくれる。また看板という具体的な落としどころがあるので(事例写真も豊富)、ありがちな大風呂敷精神論にならず、地に足がついている。成果も直接的でわかりやすい。マーケティングなんて細かい緻密な話をいくら読んでも、どうせ実践するときには精度は出ない。本書くらい大ざっぱでも(いやむしろそのほうが)十分役にたつ。そして指摘されているポイントも、各種パンフやウェブの設計にも応用が効く能書きだ。
インターネット云々と騒ぐ前に、こういう基本的なところは見ておく必要があるな、と本書を読んであらためて思う。そういえば分譲住宅屋も、どんなメディアより投げ込み広告と立て看が強いのだ、と言っていたっけ。あと町並み談義でも、看板との共存を考えるべきじゃないか。本書で述べられている効果的な看板は、町並みの美観と十分共存できそうだ。逆に都市景観を看板側から考える発想もあるんじゃないか。本書にはそういう広がりの萌芽もある。
(コメント:これはまったく意外におもしろかった。マーケティングその他も、ブツが実際にあると空論をいじってるのとはちがって楽しいね。)
原著刊行当時(って第二次大戦中)は、ネタになっているGMで禁書扱いになるほど衝撃的だった内容も、いまはかなりの部分がほとんど常識どころか聞き飽きたお題目になってしまっている部分も多い。でも、本書を読むと、なぜそんな話がそもそも問題になるのか、それが改めて説得力をもって迫ってくるから。
組織の分権論や経営論を過度に理論化しすぎることへの警鐘(おまえが言うか、という観はあるけど)。従業員が製品に誇りをもつことの重要性、そして広報の意義。これらは個別には知っているだろう。でも、本書はそれを社会全体の中に位置づける。企業と社会とが同じものを目指すべきだし、また従業員と企業だって同じ方向を向くべきじゃないか――この立場から、すべてを有機的に組み合わせた企業の全体像、そしてそこから描き出される社会の全体像まで本書は描き出す。
そしてそれは今なお重要なんだ。たとえばぼくはドラッカーが強調した企業の社会的役割というのが、どうも変な形ではびこりすぎてると思う。メセナ活動してますとか環境だのリサイクルに取り組んでます、とかその手のお題目。これって往々にして、ドラッカーの議論にのってるようで、実はかれが批判している、企業の利益を犠牲にしてまで貢献を求める笑止な議論の一歩手前じゃないの? 企業が利益をあげること自体に、社会貢献があるはずなのだ。
そうした企業と社会の関係を考えるための大きな枠組みがここにはある。これをおさえておくと、ばかなビジネス雑誌の半チクなマネジメント談義に踊らされない視点ができるんだ。買って二回くらい読むべし。長期的に絶対お得よ。
(コメント:ドラッカーの出世作。企業はまず利益を上げるのが大事だ、というのは後ででてくる岩井克人に読ませたい。)
(コメント:いい仕事をしたら、お金がもらえるのが成果主義で、もっとやりがいのある仕事をもらえるのが日本式、というんだけれど、「やりがいがある」というのは往々にして大変だという意味だから、これは家庭と仕事を両立させたい人にとって本当にいいのか? そこらへん考えてないと思う。)
ほぉ、GQもブログに手を出しますか、と先月号を見てぼくはニヤニヤしていたのであるよ。ブログでもみんながウェブページにわっと群がったときとまったく同じことが起きている。流行でメディアがとりあげて、みんなそれにすぐ踊るけれど、すぐにネタがきれて死屍累々。一部のバカなブンヤどもが遅れてやってきて、これぞボトムアップの民衆の情報発信と舞い上がってはみたものの、やがて誰かにため口きかれて逆上してエリート意識モロだしの発言を繰り返しては自滅。ブログもまさにその道をたどっている。そして、ちゃんとそれを見ている人は少ないし、ホントに5年先まで意味を持つようなネット論やブログ論をきちんと展開できている人は、ほとんどいない。
その数少ない例外が、切込隊長こと山本一郎だ。かれは上のような状況を見抜いているし、またそれを自らのブログで身をもって示してきた。ビジネスやコミュニケーションの原則をきちんとふまえた上でのブログやネットに関する考察の鋭さと簡潔さは他に例を見ない。ブログの作るコミュニケーション構造、マスメディアや広告への影響――それが修辞を弄しない単刀直入な物言い(もとい、書き殴り)で身も蓋もなくまとめられている。ブログやネットのビジネス云々を考えている人は必読。そしてそれがいつしか、狭いネットやブログ論にとどまらず現代日本社会論の本質にまで広がってしまうことに、読者は驚かされることだろう。そしてその本質をえぐりだす技術こそが、本書のタイトルでもある「けなす技術」なのだ、ということまで読み取れたら、あなたは本書のもとを十分すぎるくらいとったことになる。
(コメント:この少し前に、隊長が経歴を誇張しているとか、ラジオで少し大風呂敷を広げたとかで頭の腐った連中が大騒ぎ。やれやれ、騒げば騒ぐほど「自分は文章の内容ではなく人の肩書きや経歴書しか見てないバカです」と言っているに等しいのに。隊長が100億稼いでいようといまいと、自分の懐には一銭だって関係ないのに。隊長も、飼い犬に手を噛まれるようなことになってかわいそうに。)
でかい事故があると、なぜそれが起きたのか、それを繰り返さないためにはどうすればいいのか、という追求がはじまる。本書がそれに対して出す答は、失敗体験の活用だ。失敗を隠さず、原因追及と共有化をすることで、再発防止と新しい発展につなげよう、という話。
だめなところから言っておくと、本書の日本はダメでアメリカはすばらしい的な物言いは鼻白む部分が多い。アメリカだって失敗は隠すし、ヘマだって山ほどやってらぁね。そこから学ぶ姿勢だって、日本がそう劣るわけでもないと思うぞ。それと、バランスシートの負債側に失敗リスクをのせろとかいう主張は真に受けないこと。バランスシートやそこでの「負債」ってのを誤解しているようなので。さらにもっと本質的な話として、本書で頻出する「容易に予測できたはず」という各種の失敗がホントに容易に予測できたとは思わない。何でも後知恵では容易に見えるんだから。ただ、予測できたはずだから次からは予測しよう、という健全な発想につながるのであれば、まあいいのかな。各種の失敗の分類や、それが共有されない原因の整理は参考になるし、本全体としてはかなり納得のいく話ではある。個人レベルでもある程度は実践可能な失敗への対応についての提案もある。
最終的には、社会としてどのくらい失敗を許容するか、という話になるんだろう。脱線事故で言うなら、ちょっとの遅れくらいは客もうるさいことをいわない、とかね。そして失敗を見込んで、多少の失敗も致命傷にならないシステム設計のあり方を考えることが社会全体としてできればいいんだろうね。本書には、その第一歩のヒントがある。
(コメント:なぜこんなにアメリカ万歳なのかは不明。まあそこそこ売れてはいるみたい。)
著者は金融系コンサルとして、紙の上で能書きをたれるのが仕事だったが、何の因果かかつて経営改善策を提案した年金福祉事業団のグリーンピアを、自分で運営することになった! 赤字垂れ流し、無責任ことなかれ体質のお役所系リゾート施設を著者がどう再生させるか? いや、ぼくも似たような開発系コンサルで、いろんな施設を調べて「原価率はここまで落とせる」なんて報告は書くけれど、じゃあおまえがやってみろと言われたら泣きが入る。それを実際にやりとげた著者は、それだけで後光がさして見える。一年ちょっとで、閑古鳥のなく浪費施設だったグリーンピア土佐横浪は、黒字施設にまで再生するのだ。
もちろん、経営改善に魔法があるはずもない。メリハリのある投資と細かいコストのきりつめ、ちょっとしたきっかけから新しいサービスメニューを考案し……そうした地道な努力の積み重ねで、少しずつ状況を変える。それだけではある。ただそのためには、各部門での顧客の反応や関係者の声をきき、そしてことなかれ主義が染みついた古い財団職員や役所をなだめながら新しい試みを展開する忍耐が必要となる。本書を読むとそれは痛いほどわかる。
最終的にグリーンピア土佐横浪は、黒字になったにもかかわらず閉鎖をよぎなくされる。でも本書には希望がある。全国に無数にあるこの手の赤字施設にヒアリングに行くと、「しかたない、しょうがない、不況ですから、予算がありませんから」という責任転嫁の投げやりなコメントが多くきかれるけれど、そうじゃないことがよくわかるのだ。そしてそれは、そうした施設が存在する地域にとっての希望でもある。
(コメント:なんでこんな本が彩流社から出てるんだ? バーセルミとかアメリカ現代文学専門のところかと思っていたら。でも、当の彩流社でもなんだか継子扱いみたいで、書評ページでも(教えてあげたのに!)知らん顔。かわいそうに。)
久々に批判書評だ。えらい理論経済学者の岩井克人の新著で、巻末のぬるい対談は破り捨てるとして本文はほぼ前作『会社はこれからどうなるのか』のダイジェスト。ライブドア対フジテレビの一件をネタに、この対立は古い産業資本主義的な会社観と、これからポスト産業資本主義の会社観の対立を表していた、と岩井は持論を展開するんだが……
ライブドア側は、会社はお金がすべてという古い発想なんだって。これまでの産業資本主義は、金で機械設備さえ買えば儲かる仕組みだったので、この考え方も通用した。でもこれからの企業は、優秀なアイデアを持つ人が集まり、組織力を発揮しないとダメだ。お金がすべてじゃない、従業員を重視し、社会貢献を考えるのがポスト産業資本主義の会社だ! ライブドア的な金にあかせるやり口は古いんだ!
一見もっともらしいんだけど……ライブドアに対するフジテレビって、そんなポスト資本主義の新しい会社だっけ? むしろ古くさい設備型同族経営の見本でしょ。好き嫌いはあれ、新しいことやるのがおもしろくて人が集まっているのは、ライブドアのほうだ。岩井の分類はそもそもが変でしょう。さらに従来の企業だって、設備資本だけで儲かるなんていう安易なものじゃないぞ。経済発展にアイデアや技術革新がどんなに重要かはボブ・ソローやグリリカスがいくらも研究してるじゃないか。
変なところは他にも多い。きれいだった前著の純粋理論が、現実に対応づけた途端に続々と馬脚をあらわしているのが本書の最大の意義だ。あなたはそのボロをどこまで見つけられるだろうか? それが本書のいささか意地悪な楽しみではあるのだ。
(コメント:岩井克人いってよし。前著をほめたオレの立場はどうなるのだ! というかそれ以前に、ここまで非常識な本を書かないでほしいよまったく。CUT でもサイゾーでもけなさせていただいた。)
関満博の本は、いつも読むだけで元気がわいてくる。本書もそうだ。日本全国のおもしろい世界最先端の中小企業を選んで、実際に訪問して紹介するという『日経ビジネス』連載、待望の単行本化。この手の本は、しばしば技術オンチの文系先生が一知半解の浅いつっこみでお茶を濁し、つまらん精神論や人生訓に落とすだけの生ぬるい代物になっていたりするけれど、本書ではその心配は無用。技術も経営も熟知した著者が、技術的な説明に歴史的な経緯と経営的な視点も加え、絶妙なバランスですごい企業のすごさの所以を解説してくれる、言わばプロジェクトXが47連発ともいうべき一冊だ。
それにしてもこれだけ並ぶと壮観な一方で、読者(ぼくを含め)は自分の蒙を恥じることだろう。魚に鍼を打って鮮度を保つ! プレス加工パイプ! こんな変な/すごい企業がこんなにあちこちにあるなんて! 本書を読んで「こんな職場で働いてみたい」と紹介企業の半分以上について思わない人、「あたしもがんばろう」と思わない人、月給泥棒とはあなたのことよ。大学生や高校生は就職活動前に本書を必須課題図書にすべきだ。みんな大企業志向なのは、こんなおもしろい企業があるのを知らないから、というのが大きいんだもの。そして本誌読者の皆様も、是非ご一読を。一部上場大企業信仰がてきめんに治ります。一方でこの本の後では、本誌なんかのファッション談義が急に色あせて見えるのでご注意を。そして『日経ビジネス』(でも他の雑誌でもいいけど)ははやく著者の希望通り次の機会を与えて、シリーズ化していただきたい。日本の産業発展と地方活性化のためにも是非!
あちこちで地震やテロや台風が起こって、家に帰れず右往左往する人々の様子がテレビであれこれ報道される今日この頃、自分の災害対策や避難について多少なりとも不安を感じる人も増えたんじゃないかな。非常時こそ、日頃の準備がものを言う。家に非常用セット(非常食、ラジオ、懐中電灯、医薬品に弾薬その他)を用意して、三日くらい生き延びられれば何とかなる。あとはその家にたどりつけるかどうかだ。
そのためにあるのが本書。都心部からの避難ルート(防災計画で決まってます)とその沿道の避難支援設備の位置を詳しく書いてある。へえ、避難ルートは知っていたけれど、沿道のコンビニ等の店舗も協力してくれるのか。すばらしい。
ただし買っただけじゃダメ。特に日頃地図を読み慣れている人、本書をいきなり使おうとすると確実に混乱するよ。本書はルートを中心に、都心から離れる方向を上にしてある。つまりぼくの住む品川方面の地図は、南が上になってるのだ。地図の上方向はだいたい北というのが習慣になっている人は、この地図は非常につらい。地図なんか読まない人でも……どうなのかな。沿道の地図と照合するときにも苦労すると思うんだけど。
というわけで、それには慣れるしかない。買ったら一度、自分のルートを歩いてみることが必須。遠くに住んでいる人は、全行程を一気に歩ききるのはさすがにつらかろう。何区間かに区切って歩いてみることをお薦めする。たとえば終電を逃したときでも、すぐにタクシー拾わないで、二駅くらい歩いてみるとか。運動にもなるよ。首都圏版以外にも、京阪神版が最近出たから関西圏の人もどうぞ。
(コメント:これはなかなか。とはいえ、最初はホントにとまどった。)
本書を読んで「メリケンの高校生はこんなにすごか勉強ばしちょるですか!」と落ち込んだあなた、安心するように。MITの大学生だって、こんなレベルの経済学を完備したりはしてません。ある経済学者が言ったように、本書の内容を全部マスターしたら、大学教養レベルは優に身に付くほどの代物。中身も高度だし、特に概念の現実への応用に関する記述のうまさは、アメリカの教科書ならではのもの。この内容を一部だけでも習えば世の中の見方は変わるだろう。世の経済評論家どもがこのレベルの経済学の基礎もご存じないのはすぐわかるが、それ以上に世のビジネスの関係がわかるという実用的な意味でも。
それにつけても、そもそもこういう高校教科書があり、それに伴う経済学の講義が高校であると言うこと自体、何とうらやましいことか。日本では社会科といえば、暗記ばかりの日本史世界史、単なるお題目羅列の公民だの倫社だのしかない。経済はおろか、お金に関する知識を一切教わらない。人の仕事とか税金といった話は、小学校の社会科以来ほとんど何もやってない(さらに学校教師ってのは、お金まわりの常識が最もない人々だったりするし)。そして投資の勉強と称して小中学生に株をやらせるとかいう愚行が一部でもてはやされたりする。情けない。
本誌の読者諸賢はもはや高校生ではないだろう。でも、今からでも遅くない。この本くらいは読んで、しっかり自分のものにしよう。繰り返すけど、高校の教科書だからってなめちゃいけない。流し読みしてホイホイわかる安易な本じゃないから。でも、週末半日でも、赤ペン片手に本書をじっくり読めば、それはたぶんあなたにとって一生残る大きな財産になるだろう。
(コメント:悪い教科書じゃないけど、高度すぎる。とはいえ、ちゃんと読めば本当に勉強になるよい本。売れたそうだけど、買ったやつちゃんと読めよ。)
財界と言われて具体的なイメージが浮かぶ人はいない。みんなが思い浮かべるのはどこぞの料亭の奥まった部屋で、A社社長とB社会長が「XX法は困りますな」「はい、その件は自民党のMくんによく言っておきましょう、フォフォフォ」てな会話が交わされる様子だったりする。
でも実際には、財界はちゃんとした顔を持ち、非常に明確な意見表明を行う存在だ。そして何よりも、かれらの意向こそが戦後の日本経済・社会を動かすにあたっては最大の力を持ってきた。
それなのに、ぼくたちはその実態について何も知らない。
本書は、この驚くべき盲点を縦横に論じる。焦点となるのは、経団連と経済同友会。かれらは日本の経済社会の転換点要所要所で、己の意見を様々な形で訴え、そして実現してきている。それも一部の人が考えるような、政府との癒着を通じてではない。財界は、政府との癒着すれば介入されるのを知っており、それを避けている。またかれらは、自分の利益最優先の収益マシーンでもない。かれらは自分の社会的立場や責任に自覚的であり、極端に走る危険性も理解して自己調整機能を持っているのだ。近年の構造改革談義や民主党の台頭もその一端にすぎない!
いやまいった。政府、財界、そして今や力を失った労働組合とのかけひきとして本書で描き直される戦後日本は、従来の戦後日本経済・社会論とはまったく別の姿を持って立ち現れてくる。軽薄な陰謀論とも無縁、くだらない企業ゴシップ本とも一線を画した、現代日本の真の支配者を指摘する、コロンブスの卵のような快著だ。
(コメント:菊池、よくやりました。すばらしい本です。)