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『高度一万メートルからの眺め』 連載 15 回??

ガジェット供養の功徳

月刊『GQ』 2011/08月号

要約:ガジェットをため込まず捨てられるように、いろんなものの供養をやればいいんじゃないか。こっちのネタと同じ。


 本誌でも、よく電子系のガジェットがあれこれ紹介されている。携帯電話はもとより、パソコン、キーボード、電子メモ、電子辞書、外付けスピーカー、ラジオ、GPS端末、ICレコーダー、デジカメその他もろもろ。むろんご承知の通り、そうしたものはそれなりに便利だが、一方で実際に買ってみても、多くのものはだんだん使わなくなり、引き出しの中や棚に放置されたままとなる。

 そしてしばらくして、ふと何かの機会に「あ、そういえばうちにICレコーダーがあったな」と思って引っ張り出したとき、しばしば直面する問題は、本体は見つかるのにACアダプタが見つからないという事態だ。そのままでは使えないけれど、かといってそれだけで捨てるのも惜しい。結果としていずれ出てくるかもしれないACアダプタのために、何年も使わず(使えず)放置したままのガジェットも多いんじゃないだろうか。

 そしてその逆もある。引き出しを片付けていると、黒いACアダプタがゴロゴロ出てくるのだけれど、それが何に使うものなのか、さっぱり思い出せないのだ。コネクタやボルト数で、何となく見当がつくものも多いが、そうでないもののほうが圧倒的に多い。でも、なかなか捨てられない。いつか思い出すかもしれない。なんか使うこともあるかもしれない……そう思っているうちに、たまる一方。

 そろそろ何とかしてもいいんじゃないか。

 実は、日本には昔からそういう制度がある。「ナントカ供養」というやつだ。針供養や筆供養、包丁供養、岡山の鼻ぐり塚。これらはすべて、一応使い古した各種のツールに対する未練を断ち切り、処分するための方便何じゃないか、とぼくは思っている。

 また世の霊能者やイタコなんかはよく、古靴がたたるという。靴箱の奥の古靴を供養して処分すれば、悪運が去るというような話だ。そんなのが迷信なのは百も承知だが、なぜそこで引き合いに出されるのが靴なのかは興味あるところだ。服は古着屋があって市場により未練を断ち切るインセンティブがある。また昔は古着をぞうきんにしたり、といった処分方法があった。でも古靴はそういうのがないから、かもしれない。だらだら手元に置いてしまう。でもそうしたものを捨てることが、先に進む一歩だという話じゃないか。ひょっとしたら、イタコがいわんとしているのは、そういう未練を断ち切れ、ということなのかもしれない。

 で、そのひそみに倣って、ぼくはそろそろACアダプタ供養というのができてもいいような気がする。家の中の、迷子になってもはや二度と使われることのないであろうACアダプタ。そういうのを集めて供養して、できればリサイクルしてくれるような、そんな仕組み。書きながらググってみると、すでにめがね供養だの車供養だの、目新しいものでも供養しようという動きはある。他にもいずれできるんじゃないか。そうだな、あと考えられるとしたらキーボード供養にマウス供養、PDA供養にデジカメ供養。あなたが捨てられないもの、捨てたくなかったものは何だろうか? お盆も近いことだし、少し己の人生につきまとう未練を考え直す好機かもしれませんぞ。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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