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『高度一万メートルからの眺め』 連載 15 回??

楽しい仕事を義務づけられたら

月刊『GQ』 2010/11月号

要約:最近は楽しい職場を強制する変な動きがあるそうで、職場がやたらに個人の内面に干渉するのはいやだ。


 仕事というのは面倒だし大変だし、できればサボってすませたいと思うのが人情ではある一方で、やりがいもあるし、楽しいこともあるし、力が発揮できるとうれしいものでもある。そして同じやるなら、楽しく仕事をしたいし、またそのほうが生産性もあがるはずだという話も、それ自体としてはごもっともではある。

 一部の先進的なIT企業がまさにそれを実践している、といった話もときどき聞かれる。サンはドレスコードもなく好き勝手なかっこうで遊びながら働けるんだ、とかグーグルはかたくるしいオフィスなんか持たず、スタバで優雅に仕事をしてクリエイティブな発想をうながすんだ、とか。会社の中にスポーツジムなんかも完備とか。そういう遊びながらの楽しい職場環境こそが、こうした企業の斬新な発想をもたらし、かれらを急成長させているんだ、というわけ。最近では、ツイッターがそういう遊びのある楽しい企業ということになっている。

 でも先日「エコノミスト」に載っていたんだが、いまやそれがやたらに流行っているのだとか。職場を楽しく、というので職場にピエロを派遣してみたり、会社にチーフ・ファン・オフィサー(お遊び担当重役)を作って職場を楽しくするのを義務づけるとか。そして、職場の中でのお遊びや楽しみを奨励するため、職場を楽しくした人に相互にポイントを送り合って、得点の高さを人事評価にも反映するなんてこともしているそうな。

 その「エコノミスト」の記事は、そういう強制された義務的な職場の遊びや「楽しさ」というのが不健全で、本当の楽しさや遊びの正反対に位置するものだ、という内容だった。そして、そういうままごとじみた形だけの「楽しみ」の一方で、セクハラや禁煙、職場恋愛禁止等、職場でできることに対する締め付けは厳しくなっていて、あれはダメ、これはダメという規制ばかりになっている。それは変じゃないか、というのがそこでの主張だ。

 その通りだと思うんだよね。楽しさがマネジメントの道具になってしまったら、それはもはや純粋な意味で楽しくはない。

 それにぼくが見たところ、ここで挙がったような企業は、みんなが遊んで仕事をしていたから成長したわけじゃない。逆に新興で規則があまりないところから発展し、急成長したからこそ従業員を遊ばせるだけの余裕が残っていたという面のほうがおおきいんじゃないか。そしてこうした企業は、好き勝手にやらせる一方で、結構仕事は過酷できつかったりする。職場でのお遊びは、そのストレスのはけ口でもあるはずなんだ。さらに、職場での遊びや楽しさは、たぶんそれ自体が生産性の高さやクリエイティブな発想をもたらすんじゃない。ある種の自由度が仕事上の優れた発想につながり、そしてその自由さのうち仕事につながらなかった部分が遊びとしてあらわれてくるだけだ。

 だれしも、楽しく仕事をしたいなとは思うんだが、だからといって楽しさだけを取り出して何とかしても、それは仕事が楽しいのとは別ではある。では本当に仕事と結びついた楽しさとは……という話をするには、もう字数が足りないのでまたいずれ。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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