GQに書いた原稿
「GQ」日本版はもともと、「新潮30」かなんかにいた編集の人が中央公論に移るときに始まったんだ。ほら、「マリー・クレール」日本版が、本国版とは似てもにつかないニューアカスノッブ路線で成功しちゃったでしょ。あれの男性版を、というつもりなんだって。
……とゆーのを、目黒にあったライベックス(倒産)のヘルス事業の牙城だった、なんとかっつーところで聴かされたんだ。なんでそんなところでかというと、ぼくが本業のほうでそっちの仕事してて、いやいろいろあってね。で、その日は切れるものがすべて切れて、いろいろご迷惑様でしたってんで、まああいさつついでに新規事業を説明してくれるとかでさ。その後でのこと。
編集長になるはずの人は、よくおぼえていない。でも、いっしょにいたのが清野「レイヴトラベラー」栄一だったんだ。かれとはこの前にも一回どこかで会ってたような記憶がある。いつか DJ するときに呼んでくれるといいつつ、結局果たせずじまい。
その後、体制がかなり変わって、編集部総入れ替えになって、その後も何回か話はきたけど、この先はたぶんないだろうなー。
……と思ったら 2003 年あたりに急に書評の連載がきた。実はその間に、『GQ』は中央公論(倒産前)からコンデナスト・ジャパンに売却だか移管だかされていたのだ。こりゃあますますオレとは無縁だわ、と思っていたのに。そのしばらく後に、ルイ・ヴィトンの青山本店オープン記念の「ファッションと建築」座談会に呼ばれたらそれもコンデナストがからんでて、GQ 編集長と壇上にあがったりした。編集長はずいぶんわかくて、ファッションは GQ 通りの人で、当時は女の子の靴が、先っぽが魔法使いみたいにのびているのが流行だったんだけれど、それを男性の革靴にも採り入れたのが出回り始めた頃だったのでかれは早速それをはいていた。ぼくは女の子でもあの流行はいやだなあ、オズの魔法使いの悪玉魔女みたいだなあと思っていたので、男までこれかよー、と眉をひそめておりました。
で、その後書評が中断して、コラムをしばらく(といっても5年ほど)連載することになりました。他の連載雑誌とは読者層がかなりちがい、書き方も少しビジネス寄りにしたつもりだけれど、どんなものやら。しかし、ネタ自体は結構ほかで書いたコラムとかぶっている。その後、3 年ほどで字数が減って、その後 2012 年に誌面の方針が変わったとのことでうちきり。残念です。とはいえ、ぼくが書くものは半分くらいが GQ 的な発想をバカにする代物だったからなあ。
1. GQ 初期ランダムコラム
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「『ハイ・リスク』な作家たち」(1993)
『ハイリスク』が出た直後で、なんかこういうのについて書いてくれ、とのこと。書いてすぐにボストンに引っ越して、ゲラのやりとりとか連絡とかを、ついてまだ何もないむきだしの部屋の電話でやったのを覚えている。清野氏とおたがいに深夜早朝電話攻撃の応酬。
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「ニューヨークの夢」(ウィリアム・バロウズ)(1994)
これ、てっきり遺作の『夢の書――わが教育』の一部かと思ってたら、さいごまで出てこなかった。でも、もともとそういう意図で書かれた文だと思う。
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「ニューヨーク文学散歩」(1994)
これは楽しかったね。 掲載時には、グランドセントラル駅近くにあるGQ本誌編集部に立ち寄るのが加筆されてた。許すって感じ。ぼくのファイナンスのセンセイも登場するし、最後はブルックリン橋でもったいつけて終わるし、スノッブ心も大満足じゃ。
久々の「GQ」のなので、「清野さんはお元気ですか」と言ったら担当の人は「そんな人は知らない。え、山形さんってまえにもうちの雑誌にお書きになってるんですか?」だって。なんか、数号で売れなくて路線変更をしたらしい。
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「ポール・オースター インタビュー」(1995)
これは知る人ぞ知るって感じ。後にでた「オースター研究読本」のビブリオにも入ってなかったし。でも、おれはなかなかすぐれたインタビューだと思っててるのだ。文学観とか、あんましふわふわした話をしてもしょうがないと思ったので、なるべく具体の話にしぼるようにしたのがよかったと思う。
日本で「最後のものたちの国で」が売れて、それでやった企画らしい。インタビュー自身も楽しかった。いきなり吉本ばななの対談集を出してきて、「おい、こいつはなんて書いてある」と言うから見たら「オースターさんはとってもかっこいい人で云々」 いやあ、まあいいんですけど。
このときのオースターせんせいと山形せんせいご歓談写真なんかもあるんだぞー。まいったか。なんかインタビューの交渉と支払いがよくわけわかんなくなってて、ぼくが当日金をもってくことになってるとかなんとか。なんのこっちゃ。後日、「まだ払いがこない」というのもぼくのほうにきたっす。そう言われましても。
妹の結婚式に出るために日本へ帰る途中、ニューヨークに立ち寄ってインタビューして、そのまま機中でまとめて送った。盛り込めなかった話が結構あって、どっかで落ち穂拾いができないかな、と思ったんだけど実現せず。
2. GQ ビジネス書評
3. GQ エッセイ「高度一万メートルからの眺め」
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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>