Bruce Perens
山形浩生(hiyori13@mailhost.net) 訳
エリックがオープンソースのためにいっしょうけんめい働いているのは認めるし、ありがたくも思う。でも、『たのむよ、仕事わかってくんない?』でのぼくの行動の描きかたはあんまりだと思う。でもネット接続がこわれていたので、返答がいままで遅れてしまった。
ぼくは、あの公開書簡を書く前に、ちゃんとオープン・ソース・イニシアチブ(OSI)に連絡をとったんだよ。さらにアップルの重役にも手紙を書いたけれど、返事はなかった。OSI の返した返事の出だしは「あんたがそんなにおえらいなら(If you're so smart)」という礼儀のかけらもないもので、しかもそのときにオンラインで連絡がとれた OSI の人は、アップル側の連絡先をだれも知らなかったみたいだ。それを知っていたのはエリックだけで、エリックはいつもとびまわっているのでほとんど連絡がとれない。アップル側の連絡先がわかったのは、公開書簡が出てから新聞で読んでからのことだった。ぼくはその人物とその同僚に連絡をとったけれど、ちゃんと喜んで話をきいてくれたし、公開書簡が出るまで世間からのフィードバック手段を設けなかった点については謝っていたよ。
ぼくは自分だけで APSL の批判を書いたわけではない。フリーソフトウェア組織の代表たちや、フリーソフト界の人々や、オンライン雑誌の編集者の求めに応じてのことだった。みんな、 APSL について広範な議論が必要だと感じていたんだ。この件に関するぼくのメッセージに目を通してもらえれば、それが非常に穏やかなものだというのはわかるだろうし、ぼくがやっと連絡をとれたアップル社の重役たちも、そういうふうに受け取っていた。穏やかだということは、一般の議論をすべきでないということではないはずだし、ぼくたちが、内輪での話し合いの結果をだまって受け入れなきゃならない、という話ではないはずだ。ボランティアがぼくたちの代表として交渉をするようになったら、そのボランティアたちに質問して、批判することもできるべきだろう。そうしないと、ぼくたちの懸念はつたわらない。ぼくたちの行動原理は口封じになるべきじゃないし、民主主義に貢献するものであるべきだ。
企業がソースコードを公開してくれるのは、文句なしにありがたいことだけれど、現状をいうなら、APSL は「オープンソース」と呼ぶべきものにはなっていない。エリックが非公開でやった APSL についての交渉は、オープンソースの定義の非常に重要な部分をいくつか無視しているし、だから是非とも広く議論される必要がある。ぼくの APSL 批判はまだ有効だし、アップルでも真剣に検討されている。契約の終了(termination)条項はあいまいすぎて、重要な条件が定義されていない。通知条項には、ディストリビューションに関するロジスティック上の問題があって、これを断ち切るには裁判所への申し立てが必要になるけれど、そんな費用が出せる人はほとんどいない。そして、輸出法との関わりでも問題がある。こういう批判点のすべては明らかに、フリーソフトコミュニティのニーズよりは、知的所有物の輸出や「武器」輸出で起訴されかねない、お金持ちの被告のニーズに関わるものだ。ひょっとすると、大企業がフリーソフトを提供する方法として唯一可能なのは、そのソフトに対するあらゆる著作権を非営利団体に移譲して、ソフトの配布はその非営利団体がやることで、企業を損害賠償や訴訟から保護する、というやりかたなのかもしれない。
ぼくはまた、エリックがリチャード・ストールマンとフリーソフト財団の話になると穏健さも慎みもなくす点については憂慮している。かれは、この両者を 1 年にわたっておおっぴらに侮辱し続けている。オープンソースはフリーソフトをマーケティングしなおすものだったはずで、それに反対するキャンペーンではなかったはずだ。
あと、「正気の人なら」エリックの重荷の1/10でも負担しようとは思わないだろうという議論について言えば、実はすでに数人が手を挙げている。一人はフリーソフトコミュニティに対してものすごい貢献を書いてきた人物だ。すでに講演の依頼もきている。
企業のニーズはフリーソフトコミュニティのニーズとは必ずしも一致しないし、その両者が決して出会わないということだってあり得る。オープンソースは、ぼくが「企業ソース」と呼ぶものと、真のフリーソフトに分かれつつあるようだ。前者は、ソースは公開されているけれど、ぼくたちの慣れ親しんできた権利は制限されている。後者は、GPL、LGPL、X/BSD などのライセンスに代表されるものだ。この点について議論が高まるのはだいじなことだろう。いずれぼくたちは、フリーソフトコミュニティへの企業参加は、こちらが期待するほどは完全なものになり得ない、ということを認めなくてはならないかもしれない。Mac OS X のソースのような貢献は、コードの再利用ということを考えれば、フリーソフト社会にとって無意味に終わるかもしれないけれど、でもそのベースになるハードについてのよいドキュメンテーションになっているという意味では、完全なフリーソフトの作者たちにとって、注意は必要ながらも有用なものといえるかもしれない。
読んでくれてありがとう。
ブルース・ペレンス