効用主義はしばしばジェレミー・ベンサム (Jeremy Bentham) およびもっと一般的にはイギリスの哲学的、政治的、文化的態度(後にニーチェが揶揄するように「幸福を追求するのはイギリス人だけだ」)と密接に結びつけられているおえれど、この政治・倫理的ドクトリンのルーツは、実はイタリアにあるのだ。
効用主義が実質的に生まれたのは、18 世紀啓蒙主義の最中のナポリでのこと。ガリアーニにしたがって、多くのイタリア人経済学者、特にチェザーレ・ベッカリアとピエトロ・ヴェッリは、国や財政政策が経済に与える影響について集中して分析を行った。重商主義者とはちがって、院他リア人たちは国そのものにはあまり関心がなくて、それは「一般的な社会福祉」の向上のための道具だと考えていた (経済に関与したり手を引いたり、その法律や慣行を変えたりすることで)。イタリア人たちは効用――あるいは「幸福」――という概念に政策を評価するための尺度を見いだした(そして同時に、効用を価値の基準とした。これは後に 1871-4 年の限界革命で採り上げられる)。具体的には、かれらは社会福祉が最大になるのは、社会が「最大多数の最大幸福」を実現したときだ、と論じた。そしてこれこそまさに、効用主義的な社会政策の公式となる。
この発想はまた スコットランド啓蒙主義哲学者たちにも採用された。フランシス・ハッチソン (Francis Hutcheson) とアダム・ファーガソン (Adam Ferguson) だ。かれらは社会の早期工業化の影響について全般に悲観的だったので、その便益と費用を評価するための手段としてこの基準を推奨したのだった。
もっと有名な「ベンサム派」効用主義者たち、またの名を「哲学的急進派」たちの影響力が頂点に達したのは、19世紀イギリスでのことだった。かれらの有名な雑誌 Westminster Review はイギリスの教養階級の必読誌となった。そして効用主義者の中には、有力な古典派経済学者もいた。特にジェイムズ・ミル (James Mill) とその息子ジョン・スチュアート・ミル (ohn Stuart Mill) が有名だ。
ベンサムのドクトリンを表現した一番有名な物は ベンサムの 1789 年の著書で、それを更新したのがジョン・スチュアート・ミルの 1850 年著作だろう。これは「自然」なるものについての「形而上学的」な概念を生み出した、合理主義的自然法、啓蒙主義、ロマン主義的個人主義者の視点に対して明示的に反対していた。ベンサムのドクトリンは、1776 年のアメリカ独立宣言や、1789 年のフランス人権宣言などの政治文書で奉じられている、「自然権」の概念に反対した。
かわりに効用主義者たちが主張したのは、もっと「経験論的」な社会哲学と、結果論的な倫理体系だった。かれらは、すべての人間行動は「快楽と苦痛の計算」に還元できると主張。人間行動を左右するのはこれだけだから、効用主義は実質的には「最大多数の最大幸福」をもたらす法の再構築と政策提案の実現を提案していたわけだ。
かれらは幸福をはかる尺度として「効用」を使った。これは人間同士で比較可能なものだ――そして合計することもできる。ジョン・スチュアート・ミルが書いているように「同じ量の幸福は、それが同じ人物に感じられようと、ちがう人々が感じようと、同じくらい望ましいものだ。(中略)もし事前に想定すべき原理があるとしたら、これ以外にはあり得ない。つまり、算術が持つ真実性は、その他計測可能なドクトリンすべてと同じく、幸福の評価にも適用できるということだ」 (J.S. ミル, 1850)。したがって、社会福祉または一般の幸福は、個人の効用の(加重)総計として計測できる、と彼らは論じた。
一部の効用主義者たちは、限界効用の逓減に気がついた。所得に適用すると、この原理からすれば、金持ちから1ドル取ってそれを貧乏人にあげれば、金持ちの効用の減り方は、貧乏人の効用増分よりも小さい、ということになる。これは累進課税方式を正当化するのに使われただけでなく、もっと過激な一派においては、完全に博愛主義的な所得再分配を支持するために援用された。
効用の概念、特に「逓減する」限界効用の概念は、限界革命の時代に経済学界に旋風を巻き起こしたけれど、一部の新古典経済学者 (たとえば パレートやフィッシャー) は、それがベンサム哲学と関連しているのが気に障ったようで、このことばを「ophelimity」とか「嗜好度合い」なんていう擁護で置き換えたりしている。一部の新古典派、特に マーシャル派の人々は、ベンサム的社会哲学もいっしょに喜んで引き取った――シュムペーター (1954: p.831) はこれを「不謹慎な同盟 (unholy alliance)」と呼んでいる。
1930 年代の パレート革命は、社会哲学としての効用主義を葬り去ることになった(「新厚生経済学 (New Welfare Economics)」についての議論参照) けれど、後の経済学者や哲学者の中には (有名どころではウィリアム・ヴィックリー (William Vickrey)、ジョン・C・ハーサニ (John C. Harsanyi)、ジョン・ロールズ (John Rawls)) は効用主義の中心的な提案のいくつかを復活させる人々もいた。
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