アメリカ制度学派 (American Institutional School)

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 アメリカ制度学派は、通常はソースティン・ヴェブレン、ジョン・コモンズ、ウェスリー・ミッチェルを中心とした学派と考えられていて、ごく短期間とはいえ実質的にアメリカでの主流派となったこともある。アメリカ現状追認論者が 1900 年代初期に倒れて、 1930 年代にパレート革命が起こるまでの間のことだ。

 1880 年代後期にアメリカで発展した制度学派は、ドイツ歴史学派イギリス史学派から大きな影響を受けている。当初は、古典派との正面対決やその後は新古典派とのバトルも辞さなかったけれど、でもかれらの本当の標的は、アメリカを当時謝意していた、無数の現状追認論者たちだった。経済学の多くにはびこる、不変主義的なそぶりを嫌悪した制度学派たちは、通称経済「法則」と呼ばれるものが条件として持っている、歴史や社会、制度の重要性を強調した。経済世界のほとんどは、不変ではなく、むしろ絶えず変化し続ける歴史からの影響によって条件付けられている――それが個人に直接働きかける場合でも、その個人を取り巻く制度や社会を通じて働きかける場合でも。

 でも、かれらの成功ははかないものだった。リチャード・T・イーライ とサイモン・ニューカムとの手法論争のおかげで、制度学派は初期の強力な陣地だったジョンズ・ホプキンス大とアメリカ経済学会 (AEA) を失った。アメリカの学会で勢いを伸ばす限界革命――特にイェール大のフィッシャーハーバード大タウシッグシカゴ大ナイト――は、さらに制度学派の足場を食い荒らしていった。

 1920 年代になると、制度学派の勢力圏内にある大学はほとんどなかった――残るはウェスリー・ミッチェル下のコロンビア、ジョン・コモンズの下のウィスコンシン、そしてニュースクールやテキサス大などの泡沫学部ばかり。さらには、もっと理論的な「アメリカ心理学」学派をアメリカ制度学派の傍流と考えれば、コーネル大も入れていいかもしれない。この学派は、フランク・A・フェッターとハーバート・J・ダヴェンポート、フランク・H・ナイトによるもので、ヴェブレンの研究をオーストリア学派と組み合わせたものだ。

 この時期、かれらは新古典派の主流との対決から退いて、かれらの大きな遺産となるものに集中した: それがビジネスサイクル経験的な計測と、経済史の記録のまとめだ。ウェスリー・C・ミッチェルNational Bureau of Economic Research (NBER) を創設したのはまさにこのためで、かれの指導の下で多くの経済学者がこうした手間のかかる仕事に専念した――その定量的な遺産は今日まで意義を失っていない。でも、こんな無味乾燥じみた仕事でさえ、新たな抗争につながった。これが経験論的「手法論争」だ――こんどの相手はクープマンスコウルズ委員会の計量経済学者たちだった。

 さらに強烈な一撃をくらわせたのが、ケインズ革命だった。ケインズ理論のおかげで、主流の新古典派に対する反主流の批判にまで落ちていたかれらの役割は、部分的に無意味になってしまった。それでも長年にわたり、ジョン・ケネス・ガルブレイス とロバート・L・ハイルブロナーの反対論が、古き制度学派の命をつないでいた。

 近年のおもしろい展開として、これまでは制度学派の独壇場だった領域に、「帝国主義的」な新制度学派がじわじわと乗り込んできている。かなりの面で、この新制度学派の経済学者たちは、古い制度学派的立場を丸ごと逆立ちさせたようなものだ――かれらは歴史、社会関係や制度の構築を、新古典派経済学を使って説明しようとする。古い制度学派みたいに、歴史や制度的な条件を使って経済的な行動や構造やパターンを説明するのとは正反対だ。制度が経済を作るんじゃない。経済が制度を作るわけだ。

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