[注意: ここはHET ウェブサイトの一部なのだ。コウルズ財団ともその他の組織とも関連はないし、お墨付きももらっていない。公式のが見たければ公式のコウルズ財団ウェブサイトを参照。]
「コウルズ経済研究委員会 ("Cowles Commission for Research in Economics"」は、ビジネスマン兼経済学者のアルフレッド・コウルズが 1932 年に創設した。コウルズ委員会は、最初はコロラド・スプリングスに設置されて、委員長はチャールズ・F・ルースだった。
1939 年に、コウルズ委員会はシカゴ大学に写り、セオドア・O・インテマとなった。かれはヘンリー・シュルツの弟子だ。1943 年から 1948 年まではヤコブ・マルシャックが委員長となり、その後はチャリング・C・クープマンスが就任。1950 年代には、シカゴ大学経済学部からコウルズ委員会に対する敵意が高まってきたので、クープマンスはこれを 1955 年にイェール大学に移した (そして "コウルズ財団" と改名した)。
そのモットー (「科学とは計測なり」) が示すように、コウルズ委員会は経済理論を数学や統計と結びつけるのに専念している。経済学への主要な貢献は、二つの重要な分野の「創造」と統合だ――一般均衡理論と、計量経済学。どっちも、その最も有名な委員長ヤコブ・マルシャック (在職 1943-1948) とチャリング・C・クープマンス (在職 1948- 1954) が熱心に追求した分野だ。1955 年にイェール大に映ってからは、ジェームズ・トービンが委員長になった。その後は委員長関は、トービンとクープマンスが 1967 年まで美しく交互に務めていた。
コウルズ委員会は、1930 年代と 1940 年代に、ヨーロッパの知識人が大量に移住してきたことで大いに恩恵を受けた。中欧などからの経済学者、数学者、統計学者がアメリカになだれこんできたのだ。ウィーン学団 (Vienna Colloquium) の面々など、その多くにとって、ワルラス派理論はお馴染みだったから、コウルズ委員会はかれらにとって重要な安息の地となった。
ワルラス派一般均衡理論を確立する過程でコウルズ委員会に在籍した経済学者は、ずいぶんたくさんいるのだ。セオドア・O・インテマ、オスカール・ランゲ、ジェイコブ・モサクは、初期のコウルズ委員会の associates で、すぐに一般均衡体系の作業をはじめた。1944 年のコウルズ・モノグラフ、特にオスカール・ランゲによる『価格柔軟性と雇用』とジェイコブ・モサク『国際貿易における一般均衡理論』は、一般均衡理論の古典だ。
創立以来、コウルズ委員会は大西洋の向こうと深いつながりを持っていた。初期のコウルズ参加者としては、ラグナー・フリッシュ、ルネ・ロワ、そして L.S.E. の経済学者勢の R.G.D.アレン とアバ・ラーナーなんかがいる。1940 年代になると、一般均衡理論に興味を持った外国人がもっとやってきた。たとえばレオニード・ハーウィッツ、ヤコブ・マルシャック、チャリング・クープマンスなんかだ。数学的な指向を持った若きアメリカ人も、そのすぐ後にやってくる。これはたとえばケネス・アロー、I.N. ハースタインやハーバート・サイモンなど。
フランスからはジェラール・ドブリュー と エドマン・マランヴォー (どちらもモーリス・アレー の生徒だ) が間もなく参加した。ライオネル・マッケンジー、ニコラス・ジョージェスク=レーゲン、デヴィッド・ゲール なんかもコウルズではお馴染みの面子だ。
初期の検討事項は、活動分析と線形計画法の開発だった。これは最初は経済の生産側 を記述するもので、後に 需要側 も記述するものとなった。この活動の皮切りとなったのは、 1937 年のフォン・ノイマン 論文と、エイブラハム・ワルドの各種研究だ。ちなみにこの二人とも、かつてのウィーン学団のメンバーではある。有名な 1951 年のコウルズ会議とクープマンス編のモノグラフ Activity Analysis of Production and Allocation は、この問題についての突破口的な論文を集めた歴史的な論文集となっている。
1951 年にはコウルズ・モノグラフとしてもう一冊、画期的なものが出た。ケネス・アローによる Social Choice and Individual Values だ。これは有名な「アローの(不)可能性定理」を導入し、社会選択理論の重要な発展の皮切りとなった。
戦後すぐの時期には、大量の若い経済学者がやってきた。ロイ・ラドナー, マーチン・J・ベックマン, ドン・パティンキン, フランコ・モジリアニ, スタンリー・ライター (Stanley Reiter), ハリー・マーコウィッツ, ヘンドリク・ハウタッカー, ヘレン・マコーワーなどは、一般均衡理論の発展と、その他分野への適用においてとても重要な役割を果たした。
1959 年には、さらに二冊の歴史的なコウルズ・モノグラフが出た。ジェラール・ドブリューの古典 Theory of Value: An axiomatic approach と ハリー・マーコウィッツ の Portfolio Selection だ。
1955 年にイェール大学に引っ越してから、もっと経済学者や数学者たちがコウルズ・プロジェクトに参加するようになった。ジェームズ・トービン, ハーバート・スカーフ, マーチン・シュービック, ドナルド・J・ブラウン, エイブラハム・ロビンソン, エドマンド・フェルプス, ジョセフ・スティグリッツ, メナヘム・ヤーリ, ロス・M・スター, ウィリアム・ノードハウスがその筆頭格だ。
不確実性と情報に基づく選択 の問題が、1967 年に出たドナルド・へスターとジェームズ・トービンの一連のモノグラフで検討された。1972 年にはヤコブ・マルシャックとロイ・ラドナーの有名なモノグラフ Economic Theory of Teams が登場し、1973 年にはハーバート・スカーフの Computation of Economic Equilibria が登場した。
コウルズ委員会の 計量経済学 に対するアプローチは、大規模な連立方程式モデルの推定、特に経済全体スケールでのマクロ経済モデルに専念していることで有名だ。これは経済学におけるケインズ革命 のおかげで可能になったことだ。コウルズ委員会の最初期の有名な課題は「識別問題」(identification problem) で、他には今日の経済学でも使われる推計方法や仮説検定手法なんかも重要だ。
コウルズの計量経済学に関するプログラムを 1930 年代と 1940 年代に推進したのは、ラグナー・フリッシュ, ゲルハルト・ティントナー, ローレンス・クライン、トリグヴェ・ホーヴェルモー、そしてしばらくはエイブラハム・ワルドも加わっていた。その他のコウルズメンバーのヤコブ・マルシャック, T.C.クープマンス, レオニード・ハーウィッツ, エドマン・マランヴォー, セオドア・W・アンダーソン、カール・クライスト、ハーマン・ルービンなんかも重要だ。
コウルズ委員会の研究成果として有名なものに、「クライン・モデル」がある。これは要するに多セクター新ケインズ派の化け物みたいな計量経済モデルだ。1955 年以来長いこと停滞していたけれど、コウルズでの連立方程式計量経済学は、1980 年代にレイ・C・フェアの研究で復活した。
計量経済学に関するコウルズのモノグラフで、特筆すべきものが日本ある。どちらも 1950 年代に刊行されたものだ。一つはクープマンス編 Statistical Inference in Dynamic Economic Models で、これは今日の形での計量経済学を設定した会議の論文集だ。もう一つはローレンス・クラインの Economic Fluctuations in the United States, 1921-1941 で、これは世界にクラインモデルを知らしめた一冊。
コウルズの研究者の中には、コウルズ委員会在籍中にノーベル賞をもらった人もいる。たとえばチャリング・クープマンス、ケネス・アロー、ジェラール・ドブリュー、ジェームズ・トービン、フランコ・モジリアニ、ハーバート・サイモン、ローレンス・クライン、トリグヴェ・ホーヴェルモー、ハリー・マーコウィッツなどだ。
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