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厳密に言うと、「ケンブリッジのケインズ派」はジョン・メイナード・ケインズの『一般理論』によって、アメリカの新ケインズ派よりもっと「原理主義的」な形で影響を受けた、独特なイギリス経済学者集団を指す。
その起源は、ケンブリッジの内輪集団、つまりケインズの「サーカス」五人衆――ジョーン・ロビンソン (Joan Robinson)、リチャード・カーン (Richard Kahn)、ピエロ・スラッファ (Piero Sraffa)、オースチン・ロビンソン (Austin Robinson)、ジェイムズ・ミード (James Meade)――が集まって、ケインズの Treatise を 1930 年の刊行直後に輪講し、さらには『一般理論』の数回にわたる草稿に対し、出版前にコメントをつけたことだった。
もっと集団としては距離をおいてはいたけれど、ケインズ経済学の後の発展にとって同じくらい重要だったのが、当時イギリスにいた同時代の若い経済学者たち、たとえばオックスフォード大のロイ・F・ハロッド、L.S.E.のニコラス・カルドアKaldor、アバ・ラーナー (Abba Lerner)、ジョン・ヒックス ――この人たちは、ケインズの研究を咀嚼して拡張する最初の人々となり、つまりはケンブリッジ大学の外でのケインズの旗振り役になったわけだ。
1960 年頃まで、「ケンブリッジ」の研究プログラムは、ロイ・F・ハロッド の敷いた道をたどり、ケインズの理論が長期的成長と内的な周期性を持つ変動にとってどんな意味を持つかをおおむね研究していた。これはケンブリッジのケインズ派たちの「オックスブリッジ段階」だと言える。
この研究の過程で、ケンブリッジのケインズ派の数名、特にジョーン・ロビンソンとニコラス・カルドアは、もっとはっきりと方向性を変えて、じわじわとケインズ理論と古典派政治経済学との融合を目指すようになった。この動きはかなりの部分がミハウ・カレツキ の仕事に影響されたものだ。カレツキはマクロ変動に関する独自の研究において、マルクス派的分析とケインズ派分析を統合してしまっているように見えたのだった。
最大の勢いを与えたのは、おそらくはケンブリッジの黒幕ピエロ・スラッファで、かれはほとんどたった一人で、Production of Commodities by Means of Commodities (1960) においてリカード派価値理論再興をなしとげた。これはジョーン・ロビンソンによる資本蓄積の検討 (1954, 1956) を引き継いだのだけれど、スラッファの「資本批判 (capital critique)」はアメリカの新ケインズ派との間で巻き起こったケンブリッジ資本論争の論調を決定づけた。
ロビンソン=カルドア成長理論と、ケンブリッジ資本論争は「ケンブリッジのケインズ派」新世代を引き寄せた――たとえばルイジ・パシネッティ (Luigi Pasinetti)、ピエロ・ガレグナニ (Piero Garegnani)、ジョン・イートウェル (John Eatwell)、ジョフ・ハーコート (Geoff Harcourt) などだ。かれらは「新リカード派研究プログラムを創始し、ケインズ理論の有効需要理論と、リカードの価値理論とをはっきり結びつけようとした。新ケインズ派総合との対決の中で、ケンブリッジのケインズ派たちはアメリカのポストケインズ派に味方を見つけた。
というわけでまとめると、「ケンブリッジ」アプローチは三つの研究の流れをつまみ食いしている。もともとのジョン・メイナード・ケインズのマクロ経済学ビジョン、分配重視の ミハウ・カレツキ のビジョン、そしてピエロ・スラッファの「価値理論」だ。この三つの流れはどれも、元気な二人組ジョーン・ロビンソンとニコラス・カルドアに最もはっきり体現されていて、今日では新リカード派 と ポストケインズ派 にいちばん強く引き継がれている。
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