アントワーヌ・ルイ・クロード・デステュット・ド・トラシー伯爵 (Antoine Louis Claude Destutt, Comte de Tracy), 1754-1836

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 リベラルなフランス貴族デステュット・ド・トラシーは、啓蒙主義リベラリズムを革命後のフランスに広めようとした idéologuesの筆頭だった。かれはセイとともに、フランスリベラル学派の創始者だ。

 デステュット・ド・トラシーの主要な業績は、 Eléments d'idéologie (1801-1815) シリーズで、これはコンディヤックの哲学、心理学、経済学をフォローしたものだ。コンディヤックと同様に、デステュット・ド・トラシーも価値を心理学、特に効用に根拠づけようとしていた。かれはアダム・スミスの価値のコスト理論をはっきりと否定した(でも、スミスの分析の他の部分にはおおむね賛成だった)。トラシーの、価値というのは不変の単位で計測されるべきだというこだわりは、リカードの研究のヒントになった。

 デステュット・ド・トラシーが自由放任ドクトリンを支持したことは、ナポレオン・ボナパルトの逆鱗に触れた。1806 年に Commentaires の印刷を禁止されたデステュット・ド・トラシーは、アメリカ大統領トマス・ジェファソンに訴えて、英語版を出してくれと頼むしかなかった。フランスでの刊行はやっと 1819 年になってからだった。ジェファソンはまた、トラシーの主要経済論考 Traité de la volonté (Eléments第四巻) の英訳 Treatise on Political Economy(1818) を自ら監督した。これはフランスでは 1823 年に Trait d'économie politique として再刊された。

 「イデオロギー」という用語を初めて使ったのはトラシーだったけれど、かれはそれを感覚主義者的な意味での「概念の科学」を指すのに使っていた。この用語が否定的な意味を持つようになったのはナポレオンと、後のマルクスエンゲルスのせいだ。

デステュット・ド・トラシーの主要著作

デステュット・ド・トラシーに関するリソース


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