フランク・W・タウシグ (Frank William Taussig), 1859-1940.
フランク・W・タウシグは、ハーバード大でチャールズ・ダンバーに師事し、後にその同僚となった。「アメリカ版マーシャル」と呼ばれたが、それはアルフレッド・マーシャルの理論を支持していたからというだけでなく、アメリカ経済学におけるきわめて影響力ある立場のせいだ。タウシグは ハーバード大学で重要な地位にあり、有名な1911年の教科書も書き、 Quarterly Journal of Economicsも牛耳っていたので、独自のケンブリッジ新古典主義をアメリカ中に広めることができた。タウシグは「限界革命」の考え方に反対しており、むしろ古典派と新古典派経済学の一致点を強調した。1896 年には、すでに破綻した「賃金資金」ドクトリンを復活させようと試みたが、これもその努力の一環だ。一部の オーストリア学派の発想には好意的だったが——特にベーム=バヴェルクの資本理論はお気に入りだった——それ以外は過激な限界主義の高等理論にはもっぱら批判的だった。
経済学におけるタウシグの貢献はほとんどが国際貿易に関するもので、特に関税については最高権威だった。生煮え自由貿易論じゃだが、反労組で単本位主義の立場のため、比較的保守派の経済学者とされている。一時的な離職は何度かあったものの(特にウィルソン政権の顧問を務めた1917-19年)、タウシグは強力なハーバードの説教壇を1885年まで維持し、その後その座をもっと華々しい後継者たるジョセフ・シュムペーターに譲った。
フランク・W・タウシグの主要著作
- The Protection to Young Industries, 1883
- The History of the Present Tariff, 1860-1883, 1886
- The Tariff History of the United States, 1888.
- "Some Aspects of the Tariff Question", 1889, QJE
- The Silver Situation in the United States, 1891.
- "The Interpretation of Ricardo", 1893, AER
- "Value and Distribution as Seen by Mr. Marshall", 1893, AER
- "The Relation Between Interest and Profits", 1894, AER
- "The Wages Fund at the Hands of the German Economists", 1894, AER
- "The Quantity Theory of Money", 1895, AER
- "The Employer's Place in Distribution", 1895, QJE
- Wages and Capital, 1896.
- "The Present Position of the Doctrine of Free Trade", 1904, AER
- "Capital, Interest and Diminishing Returns", 1906, QJE
- Principles of Economics, two volumes, 1911.
- "How
Tarriffs Should Not Be Made", 1911, AER
- "The Report of the Tariff Board on Wool and Woolens",
1912, AER
- Some Aspects of the Tariff Question, 1915.
- "Price Maintenance",
1916, AER
- "Germany's Reparation Payments",
1920, AER
- International Trade, 1927.
フランク・W・タウシグに関するリソース
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