過去の多くの心理歴史学者 (およびそのきわめて原始的な先祖分野の経済学者) と同じく、ハリ・セルダンももともとは数学者であり、心理歴史学の考案はむしろ余技といっていいだろう。ヘリコンのタバコ栽培農家に生まれ、早い時期から天才的な数学能力を発揮。若くしてヘリコン大学数学助教授となったが、23 歳のときにトランターの学会で、心理歴史学の基礎となる論文 (12011) を発表。その後トランターのストリーリング大学で数学教授となり、心理歴史学を完成させるとともに (12035)、その応用を開始した。
心理歴史学は、人間精神を数学的に厳密な形で記述することで歴史を確率論的に記述する学問であり、セルダン関数の定式化をもってその体系化の完成とするのが通例である。こうした試みはそれまでにも見られたものの、ミクロな現象の解析に終始しており、またミクロ現象特有のノイズのため必ずしも十分な成果を挙げてはいなかった。セルダンの理論的な功績は、敢えてマクロな社会全体に注目したことにある。個人レベルでは困難な予測でも、集団として扱えば細かい差違が相殺されることで予測が容易になるというセルダンの卓見が、心理歴史学の完成には大きく貢献している。同時に、それをあいまいなレベルにとどめることなく、こうした考察を可能にする集団規模をセルダン第一定理により定式化したことがこの分野の発展に大きく貢献した。なおこれに対し、単なる大数の法則とくりこみ理論の応用でしかないという批判も存在しないわけではない(これに対しては当のセルダン自身が "Niej dibgrostnech! I regbonisht!" (あたりまえだ! 読んだのだから!) と答えている)。また古代のカオス理論や複雑系の見地から、複雑な相互作用を持つ社会は本質的に予測不可能として疑問を呈する声も挙がっており、近年勢力を増してきた予想外の因子ミュールをその証拠とする説もある。ただし実証的なデータはこの説を裏付けているとは考えにくく、またミュールが創発的な現象かどうかについても議論はわかれている。
心理歴史学の最大の成果は、その誕生とほぼ同時に実現された。ハリ・セルダンは当時すでに爛熟期に達していた銀河帝国が、それ自身の社会的な重みによりほぼ確実に自壊することをつきとめた。そしてこのままでは人類文明そのものが帝国とともに崩壊し、3 万年に及ぶ暗黒時代が到来することを指摘。これは反帝国的で不吉な発言として「レイヴン」(
ハリ・セルダンは現在の形の心理歴史学をほぼ完成させた後に、ファウンデーション構築に伴う政治的な活動に専念することとなった。その後、心理歴史学はシミュレーションと数値計算の繰り返しによるキャリブレーション作業に移行しており、ハリ・セルダンの死後 3 世紀を経ても、理論的にはセルダンの到達した水準がほぼ保たれている。これを学問的な停滞として批判する者が定期的にあらわれるが、これはハリ・セルダンの理論的完成度に対する信じがたい無理解をあらわにした見解であり、ファウンデーションに対する精神汚染の試みとして適切な矯正措置が執られている。極端な異端の邪説として、ファウンデーションにおける百科事典編纂作業にトップレベルの科学者や数学者が割かれたために、帝国全体の知的進歩が停滞したのであり、帝国の崩壊は実は当のハリ・セルダンとその大計画 (「セルダンプラン」)が原因だったとする荒唐無稽な説さえあったが、これらの論者も速やかに矯正され、こうした重度の精神汚染の発生原因については調査が進められている。これはファウンデーション内部で、過去の知識の収集整理だけに飽きたらずに離脱を試み、あまつさえセルダン理論の限界を指摘しようとしている一部の造反者たちの動きとも関連があると考えられている。セルダン理論の絶対無謬性は、ファウンデーションの根幹をなす第一原理であるため、こうした反セルダン的な思考自体が現在では第1級矯正対象とされている。
なお執拗な噂として、セルダンが現在のファウンデーション崩壊に備えて第二ファウンデーションを密かに設立したとする説が流布されているが、ほとんどの学者はこの説の妥当性を疑問視している。また心理歴史学を名乗る別の組織が 20 世紀頃にあったとされているが、現在残っている記録を見る限り、ハリ・セルダンの研究内容とはあまり関係が見られない。したがってそこに影響関係を見るのは妥当ではないであろう。セルダンのみが心理歴史学を無より創出する孤高の力を持ち(「天上天下唯鴉独創」)、まったく独立に心理歴史学の分野を創出したという見方が一般的である。
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