1941 年、カナダに生まれる。子供時代からリスク、確率、株式投資などに関心を持っていたそうで、ティーン時代から確率を理解するためにギャンブルを行い、高校時代にすでに株式取引をしていたという。地元マクマスター大で経済学を学び、その後シカゴ大に移ってコンピュータに夢中になる一方で、資産価格形成についての研究に没頭した。当時のシカゴ大学は、マートン・ミラーやユージーン・ファマなど、ファイナンスと経済学の橋渡し役を務める大御所たちがいた。またその後 MIT のスローン・ビジネススクールに移ると、そこにはスチュアート・マイヤースやフランコ・モジリアニが同僚にいて、ファイナンス面での研究はさらに深まることとなった。そしてそこでかれは、フィッシャー・ブラックと出会うことになる。
ショールズはブラックといっしょにオプション価格の定式化に没頭し、その後ロバート・マートンとの競争の中でブラック=ショールズ式を完成させる (1973)。ちなみに、モデルそのものは 1971 年頃には完成していたものの、次々にリジェクトされ、ファマとミラーの口利きによってやっと 1973 年になってJournal of Political Economy に掲載されたのだった。この基本的な発想は、オプションからの収益は、もとになる株と借り入れとの適切な組み合わせによって再現できる、ということだ。その両者の価格式を結合すれば、それがオプションの価格となる。現代ファイナンス理論において、この理論は CAPM モデル、モジリアニ=ミラーの法則と並ぶ三大成果の一つといえる。これが定式化されたことで、デリバティブに関する理論的研究は大幅な進展を見せたし、また実際の金融商品の創出においてもこの理論は実に大きく貢献している。また、主流経済学においても、この理論は期待や不確実性に関する考え方を大幅に変えた。不確実性は、これまではなるべく排除されるべき有害なものでしかなかったけれど、オプション理論は不確実性にも価値があることを示すものだからだ。オプション価格式があることで、実体経済において「待つ」という判断の持つ価値も明確に理論化できるようになっている。
この功績で、ショールズは 1997 年のノーベル記念経済学賞 をロバート・マートン と共同受賞した。だがその直後の 1998 年、この二人が名を連ねて運用面でもその理論が大きな役割を果たしていた大規模ファンド LTCM が、アメリカの証券市場そのものを揺るがしかねない空前の損失を出して倒産し、デリバティブの危険さを身をもって証明することになってしまったのは、皮肉としか言いようがない。現在はスタンフォード大学ビジネススクールの研究教授といくつかのファンド運用会社に所属。
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