ジャン=バプティスト・セイ (Jean-Baptiste Say), 1767-1832.

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Portrait of J.B.Say

 ジャン=バプティスト・セイはユグノー教徒系の繊維商人一家のもと、リヨンで生まれた。1787 年にイギリスで商人の見習い修行後、セイはパリでクラヴィエール(後に財務相)の経営する保険会社に勤めた。熱烈な共和派だったセイはフランス革命に大喜びで、連合軍をフランスから追い払う1792年の軍事作戦に志願兵として参加した。

 この頃セイはアダム・スミスの本を読んで、イデオローグという自由放任主義経済学者たちの集団に入った。これは啓蒙主義リベラリズムの精神を共和制フランスに復活させようという団体だ。1794 年から 1800 年にかけて、セイはこの団体の機関誌 La Décade philosophique (哲学の十年) の編集を行った。かれの1800年の論説 Olbie は、フランスアカデミーによるコンテストに投稿された。セイの名声は大いに高まり、1799 年には法制委員会の財務担当に任命されたのだった。

 1803 年には最も有名な作品『政治経済学論考』を刊行した。経済学に対するセイ独特のアプローチは、 コンディヤックの需要の効用理論と、アダム・スミスの供給の費用理論との得体の知れない混合物だった。セイによれば(ただしその主張は結構ぶれる)、価値とはこの二つの相互作用によって生じる。この点で、彼の理論は 価値が費用だけで決まるとする古典リカード学派とはかなりちがっている。セイのアプローチはフランスリベラル派に採用され、セイは限界革命の先駆者とみることもできる。その前のカンティリョンやその後のオーストリア学派 と同様に、セイもまたリスクを取る起業家を大いに強調し、それを自分の分析における第四の生産要素として導入することさえ考えた。

 またこの『論考』で、セイは有名な「市場の法則」の概略を述べた。大ざっぱに言うと、セイの法則は、経済における総需要はその経済における総供給を超えることも下回ることもできない、と主張する。あるいはジェイムズ・ミルの言い換えでは「供給はそれ自身の需要を創る」。セイ自身のことばでは「製品は製品によって支払われる」 (1803: p.153) あるいは「供給過剰が起こり得るのは、ある一種類の製品にばかり生産手段が適用され、他のものに十分適用されないときにのみ生じる」 (1803: p.178-9.)。あるいは:

「製品は作られたその瞬間から、他の製品に対する市場をそれ自身の価値の総額に至るまで得る。生産者が自分の製品の仕上げを終えたら、なるべく早く売ろうと腐心する。そうでなければ手の中で価値が目減りしてしまう。あるいはそれに対して得られるお金についても、同じくらいすぐに使おうとする。といいうのも、お金の価値も目減りするからだ。だがお金を処分する唯一の方法は、他の何らかの製品を買うことだ。したがって、ある製品が作られたという状況だけで、即座に他の製品のためのすき間が作り出されるのである」 (J.B. Say, 1803: p.138-9)

 『論考』の過激な自由放任的思想は、他ならぬナポレオン・ボナパルトの目にとまった。セイを私的な会合に呼び出したナポレオンは、『論考』の一部を書き直して、保護主義と統制経済に基づいた戦時経済を創ろうとする自分の試みにあわせろと要求した。セイはこれを拒絶。ナポレオンは『論考』を発禁にして、セイを法制委員会から1804年に追放した。

 その補償としてかわりの地位は提示されたものの、セイはナポレオン政権に失望しすぎており、これを拒否してカレーに移住、オーシー・ル・エスダンに綿工場を作った。1812年にはその株を売却してパリに戻り、その後は投機家となった。

 ナポレオンが1814年に失脚すると、セイはやっと『論考』第二版を刊行した。それからしばらくイギリスですごし、リカードゴドウィンと会い、そして1815年に帰国すると、回想記を刊行した。王政復古政府はセイに無数の栄誉や報酬を与え、1816年にはアテネ・ロワヤル(私立大学)で経済学連続講義に招聘した。1819年には王立工芸大学の産業経済学長に指名された。人気の高かったセイの講義録は 1828 年に刊行された。

 市場についてのセイの法則は、この当時の一般供給過剰論争で経済学者たちを二分させた。セイ自身も議論に加わり、マルサス宛の手紙 (1820) や、ライバルの同郷人 シモンド・ド・シスモンディとの Revue Encyclopédique. における 1824 年の論争などで過少消費理論を罵倒した。

 1831 年にセイは、名誉あるコレージュ・ド・フランスの教授職(経済学では初)を与えられた。セイに追随するフランスリベラル学派は、体制とますます親密な関係を維持したのだった。

ジャン=バプティスト・セイの主要著作

ジャン=バプティスト・セイに関するリソース


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