有力な経験主義哲学者で、自然法社会思想家でもあり、ホイッグ党政治理論家だったジョン・ロックは、経済の面ではかなり伝統的な重商主義者だった。チャイルドが低金利を奨励したために、ロックはお金に関心を向けて、1692 年の『金利を上げてお金の価値をあげることの帰結』で、お金の理論を展開した。ロックは『お金は便宜上のもの』という概念と、ボーダン に続いて貨幣数量説 の主要部分、特に「速度」の概念を編み出した。
ロックは、金利を法的に引き下げると交易が崩壊するかもしれない、というのもそれはお金の「自然の希少性」を反映していないから、ということを認識した。お金が崩壊したら、産出または価格も暴落する。価格が下がればイギリスの財は相対的に安くなり、外国の財は相対的に高くなって「どちらもわれわれを貧しくしてしまう」(Locke, 1692)。マンとちがって、ロックはそうなれば輸出が促進されてうれしいとは思わなかった。
ロックの発想はちょっとあいまいで一貫性がなかった。1690 年の『人間知性論』では、かなりはっきりと労働価値説を唱えている。1692年の『帰結』では、ロックは需要に基づく価値理論にしたがっている。ジョン・ロー (1705) はこの両者の混乱を解決するのにずいぶん貢献した。
最後に、ロックは 1690 年の『市民政府論』で財産の理論を提案している。財産権は、それに労働をかけた人々の労働から生まれるものだ、とロックは主張する。もっと具体的には、ロックは労働というのはそれを宿す人物によって自然に所有されているので、結果として労働が適用されるあらゆるものは、同じくその労働者によって「所有」されていると考える――ある意味で原-マルクス主義 的な発想だ。ロックの「財産の自然労働理論」は、財産なんて単に国が保証するから存在するだけだ、という ホッブス の説や、財産が社会的な合意から生じると唱えた グロチウス とまっこうからぶつかるものだ。
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