ワシーリー・レオンチェフ (Wassily Leontief), 1906-1999

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Photo of W. Leontief

(訳注: レオンティエフという表記も一般的だけど、特にIO学会方面なんかではレオンチェフが主流っぽい。また「ヴァシーリー」にしたがる人もいるけれど、ロシア語的にはどっちでもいい。)

 ワシーリー・レオンチェフの名前は、ある特殊な計量経済学分野を連想させる: 投入産出分析 (IO分析)だ。投入産出は、一部は産業間のフローをもとに一般均衡を分析するという点で、マルクス派ワルラス派分析を援用している——そしてこれらはさらに、ケネーの「経済表」に影響され、また キール学派の使う「多部門」アプローチから派生したものでもあった。人気は上がり下がりしたものの、投入産出分析は過去半世紀以上の経済学や経済政策・経済計画にとって、不可欠なものとなってきた。

 ロシア育ちのレオンチェフは、ベルリンで博士号を取得した。投入産出分析の萌芽はすでにキール研究所での研究に見られたが、投入産出体系の実証検討を構築し始めるのは、1932年に ハーバード大にたどりついてからだ——その結果生まれたのがレオンチェフの古典『アメリカ産業の構造』(1941) だった。レオンチェフはこれに続き、投入産出経済学に関する一連の古典的な論文を発表した (1966年の論集収録)。投入産出は目新しく、大規模な実証研究を生み出した。西側、社会主義、第三世界諸国を問わず、世界中で経済計画に利用されている。

 また理論的にもきわめて重要だった。投入産出は、線形生産システム分析のきっかけとなり、これは現代ネオワルラス派理論の基礎となっている。ほとんどの経済学的な貢献では珍しいことだが、レオンチェフの体系はまた古典リカード派 理論再興にも不可欠だった。投入産出の構造は(いくつか重要なちがいはあったが)1960年代にピエロ・スラッファネオリカード派に使われて、リカードマルクスの理論復興に一役買ったのだった。

 レオンチェフの経済学に対する貢献は、投入産出分析だけではない。1936年の「composite commodities」に関する論文は、かれをヒックスと並ぶ、その有名なミクロ経済定理の父とした。ケインズ『一般理論』に対する初期のレビュー (1936, 1937, 1947, 1948) は、ケインズの理論解釈にあたり 新ケインズ派総合が名目賃金固定を重視するようになる重要な一歩となった。1933 年の国際貿易分析論文は、いまも研究されており、1946年の賃金契約に対する貢献は、いまやプリンシパル=-エージェントモデルの古典的な応用だ(当時はこの用語はまだなかったが)。もう一つ、大きな議論を呼んだ貢献として、1953年にアメリカが資本集約財よりも労働集約財を輸出しているのを発見したことがある——通称「レオンチェフのパラドックス」だ。これは従来の、国際貿易の要素比率理論が正しいかどうかを疑問視するものとなった。

 戦後経済学の大半を生み出すことになる、1930年代のハーバード世代をシュムペーターと共に教えたレオンチェフは、その後ニューヨーク大学のCVスターセンターに移る。批判者としてのレオンチェフは、経済学における数学や定量手法の誤用、理論家における現実性と実用性の欠如を糾弾し続け (e.g. 1938, 1954, 1959, 1971)、徹底した鋭いもので、いまだに意義を失っていない。投入産出分析により、ワシーリー・レオンチェフは1973年に ノーベル記念賞を受賞する。

ワシーリー・レオンチェフの主要著作

ワシーリー・レオンチェフに関するリソース


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