ジョン・ローは、アルフレッド・マーシャル (1923: p.41) に言わせると「向こう見ずでバランス欠如だが、実に魅力的な天才」で、カール・マルクス (1894: p.441) が追加したように「詐欺師と予言者のおもしろい人格的な混合物」だった。博打打ち、銀行家、殺人者、王室顧問、亡命者、放蕩者、冒険家だったジョン・ローは、その独自の経済理論以外でもいろいろ有名だ。かれの一般的な名声(あるいは悪名?)は、かれがパリで行った二つのすばらしい事業からきている。Banque Générale とミシシッピー方式だ。その経済的な名声は二つの大きな発想からくる。価値の希少性理論と、通貨の
ジョン・ロー (1705) は ダヴァンザティの「交換価値」と「利用価値」のちがいを拡張して、その有名な「水とダイヤモンド」パラドックスを導入した。つまり、利用価値の高い水は交換価値がなく、ダイヤモンドはものすごい交換価値を持つけれど、利用価値はほとんどない。でもアダム・スミス (かれは同じ例を使ったが、その説明として水とダイヤでは生産の労働コストがちがうからだ、と論じた) とはちがって、ローは財の相対的な希少性がその交換価値を作るのだ、と考えた。
ローによる貨幣の「
ローの方式は、この論理に基づいて実現された。決闘のためにイギリスからヨーロッパに追放されたローは、パトロンと皇太子のオルレアン公の友情を足がかりにフランス宮廷に入り込んだ。ルイ十四世が 1715 年に新出からのフランスの財政事情はあまりにひどいもので、オルレアン公はローに助けを求めた。ローは、国営特許銀行を設立して、非兌換紙幣を発行することを提案した (その紙幣の写真は ここにある)。これが Banque Générale で、1716 年に設立された。同時期に、ローはミシシッピー会社を設立した。これは当時フランス植民地だった、北米のルイジアナを開発するための企業だった。ミシシッピー会社による「取引ニーズ」によって、非兌換紙幣の根拠を作ったわけだね。
ローの紙幣発行銀行は大成功だった――1720 年に取り付け騒ぎが起こって、フランスとヨーロッパが極度の経済危機に陥るまでは。これは後のフランス革命の舞台を整えるにあたって重要な役割を果たした。それどころか、ローの銀行方式がフランスに与えた体験はあまりに強烈だったので、ごく最近までフランスの銀行はローの不運な仕組みの記憶を呼び覚ますのを避けようとして「banque」という名前を避けたほどだ(一般に、その代わりに使われたのは「credit」だった。たとえばクレディ・リヨネー、クレディ・アグリコール、クレディ・フォンシェール、等々)。
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