オスカール・リチャルド・ランゲ (Oskar Ryszard Lange), 1904-1965.

1904 年にポーランドのロッツ近くで、繊維商人の息子として生まれる。ポズナニとクラクフで法学と経済学を学び、1928 年に卒業。社会主義的な指向のために、「中立的」な統計学の一派に加わることとなり、クラクフ大学でこれを何年か教える。
1934 年にロックフェラー財団のフェローシップによってイギリスとアメリカに渡る。1936 年にランゲはミシガン大学で教職につき、その後 1938 年にはシカゴ大教授となる。第二次世界大戦末期、きわめて毀誉褒貶の激しい動きとして、ランゲはロンドンにあったポーランド亡命政府と縁を切り、ソ連支援を受けたルブリン委員会に支持を移す(ランゲは戦後ポーランドの国境と、その政府の性格に関する 1944 年の議論において、ルーズベルトとスターリンの仲介までやっている)。1945-6 年にはシカゴを離れ、ポーランドの駐米大使に指名された。1946 年には、ランゲは国連安全保障理事会のポーランド代表を務める。1947 年にはポーランドに戻り、ポーランド政府で働きつつ、ワルシャワ大学と、計画統計中央学校で学術的な研究を続けた。
経済学へのランゲの貢献は、ほとんどがアメリカ滞在期間の 1933-1945 年のものだ。根っからの社会主義者だったけれど、ランゲはマルクス派の労働価値説が大嫌いで、新古典派の価格理論を深く信じていた。そしてこの二つを 1938 年の On the Economic
Theory of Socialism でうまく融合させて、国家運営の経済は、自由市場経済と同じくらい――いやそれ以上に――効率よくなれる、と論じた。ランゲは、政府の計画者が価格機構を市場経済と同じように使い、国家産業の管理者たちに、国家決定の価格に対しパラメータ的に応答する(たとえばコスト最小化等々)ように指示すればこれが可能なのだ、と論じた。ランゲの議論はオーストリア学派 との 社会主義計算論争 の焦点となった。
ランゲの全盛期はシカゴ大学期ではあったけれど、かれはもちろん狭い意味での「シカゴ学派」の一員じゃなかった。むしろかれは、お隣のコウルズ委員会の研究者たちと仲良くするほうが性に合っていたようだ。ランゲは 1930 年代の一般均衡理論における "パレート復活" の主導的役割を果たした。1942 年には、厚生経済学の第一&第二基本定理の初の証明の一つを提示。一般均衡の安定性分析 (1942, 1944) も創始。貨幣数量説批判(1942) は、生徒のドン・パティンキン にヒントを与えて、お金を一般均衡理論に「統合」しためざましい研究につながった。ランゲはまた、新ケインズ派総合 にもいくつか重要な貢献をしている (たとえば 1938, 1943, 1944)。
1945 年以降になると、ランゲのツキも変わってきた。ポーランドのスターリン主義的政府との密接な関係や、その政府の代弁者として政治活動をしてきたことが、その経済学研究と、そして経済学界における評判の両方をむしばむことになる。特に、スターリンを「経済理論家」としてヨイショした各種の論文 (たとえば 1953) について、経済学者仲間から糾弾されることになる。それでもランゲは、自分を社会主義活動家にしてマルクス派経済学者以外の何物とも思っていなかった。新古典派経済学は常に計算ツールであって、イデオロギーのツールではなかった。ランゲはその余生を、新古典派価格理論をソヴィエト式経済計画の実践に統合することと、古典派と新古典派経済学を一本の理論体系に統合することに費やした (たとえば 1959)。晩年は、サイバネティクスとコンピュータを経済計画に使う研究をしていた。
オスカール・ランゲの主要著作
- "The Determinateness of the Utility Function", 1934, RES.
- "Marxian Economics and Modern Economic Theory", 1935.
- "The Place of Interest in the Theory of Production", 1936, RES
- "On the Economic Theory of Socialism, 1936, RES.
- "On the Economic Theory of Socialism, I & II", 1936, 1937.
- On the Economic Theory of Socialism, 1938.
- "The Rate of Interest and the Optimum Propensity to Consume", 1938, Economica
- "Saving and Investment: Saving in process analysis", 1939, QJE
- "Is the American Economy Contracting?", 1939, AER
- "Complementarity and Interrelations of Shifts in Demand", 1940, RES
- "Theoretical Derivation of the Elasticities of Demand and Supply: the direct
method", 1942, Econometrica
- "The Foundations of Welfare Economics", 1942, Econometrica
- "The Stability of Economic Equilibrium", 1942, Econometrica.
- "Say's Law: A restatement and criticism", 1942, in Lange et al., editors, Studies
in Mathematical Economics.
- "A Note on Innovations", 1943, REStat
- "The Theory of the Multiplier", 1943, Econometrica
- "Strengthening the Economic Foundations of Democracy", with Abba
Lerner, 1944, American Way of Business.
- Price Flexibility and Employment, 1944.
- "The
Stability of Economic Equilibrium" (Appendix of Lange, 1944)
- "The Rate of Interest and the Optimal Propensity to Consume" 1944, in
Haberler, editor, Readings in Business Cycle Theory.
- "The Scope and Method of Economics", 1945, RES.
- "Marxian Economic in the Soviet Union", 1945, AER
- "The Practice of Economic Planning and the Optimum Allocation of Resources",
1949, Econometrica
- "The Economic Laws of Socialist Society in Light of Joseph Stalin's
Last Work", 1953, Nauka Paulska (repr. IER, 1954).
- The Political Economy of Socialism, 1958.
- Introduction to Econometrics, 1958.
- Political Economy, 1959.
- "The Output-Investment Ratio and Input-Output Analysis", 1960, Econometrica
- Theories of Reproduction and Accumulation, 1961
- Economic and Social Essays, 1930-1960, 1961.
- Economic Development, Planning and Economic Cooperation, 1963.
- Essays on Economic Planning, 1963.
- Optimal Decisions: principles of programming. 1964.
- Wholes and Parts: A general theory of system behavior. 1965
- "The Computer and the Market", 1967, in Feinstein, editor, Socialism,
Capitalism and Economic Growth.
- Introduction to Economic Cybernetics, 1965.
オスカール・ランゲに関するリソース
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