西洋史上最大の哲学者の一人で、さらに一流歴史家、経済学者、終生の懐疑主義者で好人物。デビッド・ヒュームはスコットランド啓蒙主義最大の一人で、アダム・スミスの親友。ヒュームの経済学への貢献はもっぱら『政治論集』 (1752) にあり、これは後に『道徳・政治・文学論集』 (1758) に組み込まれた。
ヒュームは熾烈な反重商主義だった。富というのは、その国の財のストックで計測されるべきで、お金のストックで計測されるのではないと確信していた。また、 貨幣数量説と貨幣中立説を比較的うまく説明した(「お金は交易の車輪などではない。それは車輪の動きをなめらかで容易にする潤滑油なのだ」Of Money, 1752)。重商主義者とはちがって、ヒュームは低金利はお金がたくさんあるせいではなく、商業が絶好調だからだ、と考えた。金利の融資可能資金理論を始めて考案した人物で、金利は融資の需要と貯蓄の供給で決まるのだ、と論じている。低金利はこのように、好調な商業経済の症状であり、抜け目なさと利益や貯蓄の欲求がそこでは主流になるために金利が下がるというわけだ。だが、短期的には(そして短期的にだけ)お金の供給(マネーサプライ)を増やすと産業によい影響があることは認めた。
ヒュームの最大の貢献は国際貿易面でのものだ。 重商主義者とはちがって、ヒュームは貿易がゼロサムゲームだとは思わず、相互に利益があるのだと論じた。国際貿易の総量はまったく固定されたものではなく、あらゆる国の多様性と富に直接関連しているのだ、とヒュームは論じた。その結論に曰く「したがって私は、一人の人間としてのみならずイギリス臣下として、ドイツ、スペイン、イタリア、そしてフランスさえも、それ自体の商業の開花を祈念するものである」 (Of the Jealousy of Trade, 1758)。
ヒュームはまた自動「価格-正金フロー」メカニズムと「reflux principle」を提唱した。その基本的な議論は、黄金正貨の国内流入は対外貿易収支を操作することで実現できるという、古い重商主義政策提案を否定することだった。ヒュームによれば、正金の流入は貨幣数量説により国内価格上昇をもたらし、相手国に対する交易条件を変える。したがって外国での輸出品需要が下がり、対外貿易収支は逆転して、正金はこんどは流出してしまう。ヒュームはまたこの論理を使い、物価上昇が賃金上昇のせいだという発想を否定した。具体的には、もしイギリスで賃金上昇からくる物価上昇があれば、イギリスと他の国との交易条件は、イギリスの輸出品に不利な形で変化し、他国からの輸入品には有利になる。これによってお金はイギリスから流出し、したがってイギリスのお金のストックを減らして、するとイギリスでの物価水準はまた下がる。
ヒュームの国際貿易における自動フローメカニズムは、国々の間の貿易には「自然なバランス」があって、意図的な政策ではこれを変えたり否定したりはできないという発想に裏付けを与えた。だがヒュームは同時代の政治社会哲学者たちに人気のあった「自然法」や「社会契約」を信じてはいなかった。政治面でも哲学面でも、ヒュームは徹底した経験論者だった。道徳についての快楽主義的な理論は、効用主義の基盤となった。倫理や制度、社会慣習の「進化」に関する理論は、ハイエクやその後の進化的理論に大きく影響した。ヒューム思想の他の具体面については デビッド・ヒューム入門を参照。
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