ハロルド・ホテリングの経済学論文は少数ながら、その貢献は深遠でパレート学派の「指導者」の一人と十分に呼べるし、また1930年代の限界革命 の「中興の祖」とも呼べる。
競争の安定性に関するホテリングの1929年論文は、二頭独占状況における空間的な競争という概念を導入した。この問題の解決は実は、とても有名なゲーム理論的な回答を先取りするものだった。これはサブゲーム完備均衡 (後に ゼルテンが定式化したもの) と同じなのだ。減価償却に関する 1929 年論文は、それが将来の割引価値減少だという現代的な定義を導入した。1931 年には経済学に別の技法を導入した。資源蕩尽の分析に変動微分を導入したのだ。
1932 年論文は生産理論を利潤最大化に基づく選択理論的な枠組みにあてはめ、現代新古典派アプリーチの基盤を構築した。1935 年の需要導出は、実はヒックスとアレンによるものと同時だった。計量経済学会における1938年の有名な会長演説は「限界費用価格」均衡を一般厚生提案として導入した。おおざっぱにいって、経済的な効率性は、あらゆる財が限界費用で生産され値づけされれば実現される、という話だ。これはパレート派一般均衡理論における根本的厚生理論の基盤となった。またここでかれは有名な「二部性」料金を、自然独占状況における代替的な解決法として提案している。
コロンビア大学で経済学教授に任命されたものの (コロンビアは奇妙ながら、アメリカ制度学派の牙城だ)、ホテリングはまずは統計学者で、経済学者は二次的だったと論じることはできる。かれの数理統計学における業績としては仮説検定のための学生のT分布に関する有名な1931年論文がある。ここでかれは、その後「信頼性区間」と呼ばれるものの基礎を説明している。コロンビア大学では、門下の学生たちが統計理論にも十分に習熟するようにさせた。ケネス・アローとミルトン・ フリードマンは 門下生だし、エイブラハム・ワルドの指命にも重要な役割を果たした。
ホーム | 学者一覧 (ABC) | 学派あれこれ | 参考文献 | 原サイト (英語) |
連絡先 | 学者一覧 (50音) | トピック解説 | リンク | フレーム版 |