アルバート・O・ハーシュマン (Albert O. Hirschmann), 1915-2012

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Photo of A.O. Hirschmann

 孤高の経済学者アルバート・O・ハーシュマンは、世界を旅して歩いた。ベルリン生まれ、教育はパリ、ロンドン、トリエステ(ここで博士号取得)、1940 年には仏軍に従軍、1941 年にアメリカ移住、バークレーに二年、米軍従軍、1946 年にワシントン連邦準備銀行に入り、1952-56 年はコロンビアのボゴタに暮らし、さらにイェール大、コロンビア大、ハーバード大を歴任して、やっと 1974 年にプリンストンに落ち着いた。

 ハーシュマンは、経済理論と政治理論の間のグレーゾーンにいる。処女作『国の力と貿易構造』(1945) は、経済力というのが国家間の政治力の手駒でしかないことを示した。おかげで、1940 年代にヨーロッパでマーシャルプランが実施される方法についてかなりの疑念が生じることとなった。だがハーシュマンが、もっと有名な開発理論を展開するようになったのはコロンビアでのことだった。1958 年「開発の戦略」(Strategy of Development) で述べたように、ハーシュマンは経済開発のための従来型経済教義に基づく処方箋の輸入適用に反逆した。経済開発はむしろ個別に分析せねばならず、土着のリソースや構造を活用して望む結果を得るようにすべきだ、とかれは固執した。現地の状況を無視して型にはまった教条的な構造を押しつけると、まちがいなく悲惨な発展が生じてしまう、とハーシュマンは論じた。

 先進国や低開発国は、「隠れた合理性」を持っている、とハーシュマンは論じた。だから開発経済学者はそうしたものを活用し、開発計画にそれらを採り入れなくてはならない。ハーシュマンの「前方後方リンケージ (forward and backward linkages)」概念は、その後の経済開発理論できわめて多用されることとなった。つまりハーシュマンはある意味で シカゴ学派的な経済理論の教条的な帝国主義を先取り(またはそれに従事)していたことになる。

 ハーシュマンの消費者独立性と競争構造の相互作用に関する研究は、もう一つの有名な著書『離脱・発言・忠誠:企業・組織・国家における衰退への反応』 (1970) を生んだ。

アルバート・O・ハーシュマンの主要著作

アルバート・O・ハーシュマンに関するリソース


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