イタリアの修道院長にして役人のガリアーニは、「ナポリ啓蒙派」指導者の一人で、 イタリア効用主義の伝統の創始者の一人。フランスのナポリ大使館に 1759-1769 年までいたガリアーニは、同時代のフランス経済学者たちの多くと知り合いだった。特にかれが最も有力な敵対者だった 重農主義者たちの多くは知り合いだった。かれは 重農主義分析の多く、特にその「価値の土地説」を批判した。1751 年に、ガリアーには効用と希少性の両方に基づく新しい価値理論を導入し、おかげでかれは「限界革命のご先祖」となった。1770 年の論文は、国際収支についてかなり現代的な分析を提供している。
理論的な明晰さと、経済における「自然」法の考え方に対する親近感にもかかわらず、ガリアーニはとても現実的な人物で、抽象理論の適用性についてはかなり疑問視していた。特に、行動が緊急に必要な場合については。かれは重農主義者たちの主張するとんでもない理論が大嫌いで、それが半端で、非現実的でまったく実用できでないと考えていたし、危機的な状況においてはひたすら危険でさえあると考えていた。重農主義者が1768年のフランス飢饉の時に「自然状態」がどうしたこうしたと口論しているのを見て、口の悪いガリアーニ(およびその他多くの同時代人)は激怒した。かれは一生を通じて、かれは「あらゆる場合に」適用できると主張する理論すべてに対して健全な懐疑主義を抱き続けた。ある時や場所で機能するかもしれない手法は、他の場所では効かないかもしれない。強力な支持者兼追従者としては、ドニ・ディドロがいる――かれはまた、ガリアーニの親友でもあった。
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