ジョン・ケネス・ガルブレイス (John Kenneth Galbraith), 1908-2006

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Photo of J.K.Galbraith

 カナダ生まれでバークレー仕込みのジョン・ケネス・ガルブレイスは、多くの人から見れば「最後の アメリカ制度学派」だ。だからガルブレイスは、現代経済学における背教者のような存在であり続けた——そしてその著作も、何はなくとも論争は呼んだ。1950 年代には、主流派経済学をチクチクつつく二つの論考を発表した。一つはインフレ抑制政策として提案した、価格統制の理論 (1952) 開発(これは価格管理局での戦時中の経験から生まれたものだ)の考案、もう一つはアメリカの戦後の成功が「価格を正しく決めた」ことから生じたのではなく「価格をまちがえた」ことで産業集積を可能にしたことから生じたのだ、と論じる『アメリカの資本主義』 American Capitalism (1952) だ。これが成長をもたらしたのは、他ではあり得なかった技術革新を可能にするから、というのだ。だがそれを成功と見なせるのは、「対抗勢の権力」が労働組合や業者組織、消費者組織、政府規制などの形で潜在的な濫用が押さえられている場合だけだ。その後多くの人は、20 世紀後半の東アジアの成功はまさに、この寡占的権力と「対抗勢」制度の組み合わせに基づいているのだ、と論じている。

 がルブレスに世間的な人気をもたらし、専門家からは反発を買ったのは、1958 年の小著『ゆたかな社会』だった。そこでの主張はことさら目新しいものではなく、昔からヴェブレンミッチェルナイトが論じてきたおのだが「消費者主権」の神話に対する攻撃は主流経済学の要石を批判するものであり、多くの点で文化覇権的な「アメリカン・ウェイ・オブ・ラオフ」にも刃向かうものだった。

 『新しい産業国家』(1967) はガルブレイスの企業理論を拡張し、完全競争企業という正統派理論が分析力の点できわめてお粗末だと論じるものだった。ガルブレイスによれば、企業は寡占的で、市場シェア(利潤最大化ではない)を狙う自律的機関であり、権力を所有者(企業家や株主)や規制当局や消費者から、通常の手段(例えば垂直統合、広告、商品差別化)やあまり通常でない手段(たとえば官僚化、政治的買収)でむしり取るのだ、という。もちろんこうした主題は昔ながらのアメリカ制度学派の文献ではたっぷり扱われていたが、1960 年代にはどうやらそれが、経済学の世界では忘れられていたようだ。

 企業による「政治的抱き込み」は1973年の『経済学と公共目的』で拡大された。だが新しいテーマが加わった——特に公共教育、政治プロセス、公共財の提供の協調だ。

 はっきり認める人は少ないが、多くの経済学者はその後、ガルブレイスが指摘したテーマを追っている。政治的捕獲の問題はブキャナンや「公共選択」経済学が拾ったし、企業の目的や活動はサイモンや「新制度学派」が拾い、消費者主権の失敗はシトフスキーなどが採りあげた。産業組織におけるゲーム理論的な発展もまた、ガルブレイス的な主題を繰り返している。

 ガルブレイスは主流派からは外れていたが、それでも 1972 年にアメリカ経済学会会長になった。戦後アメリカでは有名な経済学者の一人だし、多くの分野で活躍した。ハーバード大で終身教授となり、価格管理局にも所属し、さらに数年にわたり Fortune 誌編集長、アメリカ戦略爆撃調査局長官、1960年代末には民主的行動を求めるアメリカ人の会議長、テレビや新聞のコラム、ジョン・F・ケネディやユージーン・マッカーシー、ジョージ・マクガバンの顧問兼スピーチライターでもあった。また 1960 年代初頭には駐インド大使となり、小説も2本書いている (1968, 1990).

ジョン・ケネス・ガルブレイスの主要著作

ジョン・K・ガルブレイスに関するリソース


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